第三射 アタシと決着と先生と

「…………は?」




間の抜けた声が耳に届く。


アタシの口から漏れ出たのか、それとも絶句し完全にフリーズしているサターシャのポカンと開いた口から漏れ出た物かは定かではないが、このたった一文字がアタシたち二人の現在の心境であることは間違いなかった。




あの日、アタシの故郷を灰燼に帰したあの悪夢は、完全に、跡形もなく消え去っていた。




「な、な………?」




もはや言葉を紡ぐこともできないほど混乱を極めたアタシは、ふらふらとしながらも男に詰め寄り胸倉を力なく掴んだ。だが、言葉は出てこない。




訳が分からない。いったい今、すぐ目の前で何が起きたというのか。そして、その事象を引き起こしたこの男は何者………何だというのか。




「えっと、鏡花………?」




男は困ったような目で見つめてくる。




次第に手にも力が入らなくなっていき、掴んでいたワイシャツからも手を放してしまった。




「お前はいったい………なんなんだよ………?」







力が抜けてしまい、膝から崩れ落ちる鏡花。


そこには先程まで力強く、芯の通った、それでいて共に危うさも孕んだ黒瞳で俺に警戒の目を向け、睨みつけていた鏡花の姿はなく、ただ、何か大切な物を失くしてしまったような、生きる意思を、意味を喪ってしまったような、どこまでも黒い瞳が虚ろに混沌を映すのみであった。




不死鳥は、片翼を失いながらも何とか俺たちを排除しようと足掻くが、それでも翼は両翼あっての物、飛行を継続することにすら苦戦し、今にも堕ちてしまいそうだ。




……当分、奴を警戒する必要は無いな。




俺は鏡花の前に座り込んだ。




鏡花の長い黒髪が震える。




サターシャは先程の光景を目の当たりにした事で気絶してしまっているようだ。一応実戦経験は積ませていると聞いたのだが、どうやら上手く行っていないらしい。この調子ではあの人も苦労している事だろう。




出会った時からお人好しで、誰かの為にしか動けない、全能の友人の見慣れた困り顔を思い出す。




そして鏡花の顔を見る。




「俺には、名前が無いんだ」




これは俺の独白だ。これから俺の生徒となる彼女たちへの弁明でも、世界に対する言い訳でも、なんでもない。今の俺のように。




サターシャは相も変わらず気絶中………いや、なんか体から出かかってるような気が………




きっと気のせいだ。




「だから、正義の味方でも、世界を滅ぼす悪魔でも、鏡花の過去を変えることが出来た唯一の人間でもないんだ」




ピクッ、と肩を震わせる。だが、その俯いた顔に付いている、性格に似合わない小ぶりな可愛らしい唇から音を発することはない。




「俺は俺であって、俺以外の何者でもないけれど……」




俯いたまま鏡花は動かない。




「君が梔子鏡花である以上、まだやるべき事があるんじゃないのかい?」




「…………」




鏡花は動かない。




「君は今まで、何のために生きてきた?」




動かない。




「俺は君が思うほど理から外れた人間でもなければ、君から生きる理由を奪うためにいる訳でもないんだ」




………




「やりたい事を、やりなさい。『先生』が何時でも、君を見ているから、ね?」








梔子鏡花は、動いた。







「………アイツを、倒したい」




男は何も言わない。




「皆の魂を、解放したい………」




男は何も言わない。




「もう、あんな思いはしたくない……!」




男は何も言わない。




「だからっ………!!!」




男は。




「どうすればいいか、教えてよ………『先生』」




顔を上げた先には、嬉しそうに微笑む『先生』の姿があった。




嬉しそうに、まるで子の成長を見届ける親のように。


嬉しそうに、まるで巣立つ雛を見守るように。


嬉しそうに、まるで生徒とともに歩む教師のように。




「うん、任せて。なんてったって俺は………」




アタシの肩に手を置く。先ほどまで拳銃を握っていたとは思えない、温かい手だった。




「君たちの先生だからね!」




そういって彼は笑った。




これが、アタシと先生との出会い。




そして、理不尽なこの世界がさらに加速し始めた日だった。







「で?結局さっきのはなんなんだ?」




今はもう立ち上がり、一端のこの世界の住人としての決意を固めた鏡花が問うてくる。


さっきのとはもちろんあれのことだろう。事前に説明しておかなかった俺も俺だが、あれくらいで自分の存在を否定されても困る。もちろん鏡花には奴に対するトラウマもあるし、そういった状況に陥ってもおかしくないことを想定できなかった俺のミスであることに違いはない。




「……それがね、俺にもよくわかんないんだよね………」




「……え、いや、だってあんなもん持ち歩いてんだろ?どんなものかぐらい把握して使ってんじゃねぇのかよ?」




心底不思議そうに首をかしげる鏡花。まぁそうだよね………




「話すより見てもらったほうが早いんじゃないかな?ほら、これ」




先ほど装填した弾丸を取り出し、鏡花に見せる。




「………これを作ったのは馬鹿かなんかか?」




まるで毒虫でも見るかのような目で弾丸を眺める鏡花。




「えっと、どうなってんの?」




先ほどまでの戦いや俺に出合い頭に吐いたセリフから彼女が『魔眼』持ちであることは想像がついていたので見てもらったのだが、どうやら彼女にはものすごい才能が授けられているかもしれない。いままで何度も旅をし、そのたびこの弾丸についての魔眼持ちに見てもらったが、この弾丸を見て、異常に気付く者はいなかった。能力がまた別系統のものだったのであろうが、異常を見通せる能力がそれほど稀有なものだということがよくわかる。




「ほんとに知らずに使ってたのかよ………」




鏡花が嘆息する。いや、そればかりはどうにもならなかったんだよ………




俺がこの弾丸について知っているのは、射出後10秒、または着弾した際に半径5メートル以内の『存在という存在を消し去る』能力を備えていることのみだ。いままで再生系のサテライトにも何度も出くわしてきたが、存在を概念ごと消し去ってしまうため、再生できなくなるという効力も発見している。今回は魂を多重に体内に持つ敵であったため、概念破壊の効果が体全体に及ばず、概念存在として弱かった(鏡花の攻撃により体部分を破壊されたためその修復のために胴体のダメージの大きかった失われた片翼側に魂が集まっていたと推測される)片翼と魔法を消し去るのみの効果となったが。




「この弾丸、中にルナの欠片が詰まってやがる………」




「ルナの………欠片?」




「あぁ、欠片っつうか、得体のしれない力を持ったルナの一部………ってとこだ」




いや、訳が分からない。それでどうしてあんなことになるんだ?ルナがここまで接近している以上、欠片が降ってくることには納得がいくが、なぜただの衛星(とはもう言い切れないが)の欠片にあんな効果があるのだろうか。




「あっ、そういえばこの弾丸は師匠がもらってきたんだけど、確か作者は歩夢・クリスト・………だかなんだかって………」




「歩夢・クリスト・ファーブルスだって!?」




おっと、予想外の食いつきだ。俺も名前を一度聞いただけだしどこぞの怪しい闇研究者かなんかだと思ってたんだが………




「鏡花、知ってるの?」




「知ってるも何も超有名だぞ!?『倫理という語が辞書にない女』とか『世界一科学分野を学ばせてはならなかった女』とか、えっと、ほかには………あ、そうだ」




鏡花は一拍おいて、




「『人間の失敗作』とか呼ばれてる、ヤバいやつの巣窟であるところのヴェルメイユ・ファミリアでも三本の指には入る人間を辞めたやつだよ!」




そりゃまぁ変わったやつもいるもんだ。




「うーん、なるほどねぇ。ま、いろいろ教えてくれてありがとう。助かったよ。だけど………」




「だけど?」




鏡花が俺の言葉を反芻する。




「もっと厳しい授業が必要かな………」




鏡花もようやく気が付いたようでバッと背後を振り返る。




そこにはなんとか片翼での飛行にも慣れ、激しい怒りを反映せんと燃え盛る炎とともに俺をにらみつける不死鳥がいた。




「それじゃあ鏡花、これから言うことをよく聞いて」




「あ、あぁ」




鏡花がこくりと頷く。




「まずは魔眼であいつをもう一度見るんだ。鏡花の能力を推測してみたんだけど、君なら確実に奴の本質に気付けるはずだよ」




「でも、さっきの攻撃じゃあ魂を一つ消費させただけだったぞ?そもそもアタシの攻撃は物理的なものだし、その弾丸みたいに存在とか概念とかに働きかけたりはできないんだ」




「うん、分かってる。でも、あいつは概念に働きかけないと倒せない敵じゃない。ほら、よく見て。注意は俺がひきつけるから」




「あぁ、分かった。やってみる」




頷く鏡花から離れ、サターシャが気絶したままでも保たれている結界に安堵しながら、俺は駆けた。







「『深淵写鏡』オープン」




魔眼の効果を発動させ、再度不死鳥を視る。




先ほどと同じように片翼の付け根が弱点であること、身体構造に加え、好きな食べ物や嫌いな場所など至極どうでもいい情報が見える。これじゃあさっきと何も変わらない。何度も、目を凝らして奴を見るが突破の糸口はつかめない。




「くっそ!分からねぇ、どうすれば………」




結局一番教えてほしいところだけは教えてくれなかった彼に対しふつふつと怒りがわいてくる。だが、教師というのはもとからそういう存在だ。大事なところは自分で見つけなければならない。




もっと、目を凝らす。




弱点、好きなもの、本質………




「………本質?」




そうだ、先ほど彼はアタシに「本質が見えるはずだ」といった。


つまり、見るのはあいつを突破するための糸口なんかじゃない。あいつが『なんなのか』を視なければならない。ちょうど彼の本質が深淵であるのを覗き見たように。




深く、深くまで潜る感覚………あいつはいったいなんなのか、それを理解するための旅が始まるのだ。




そして、アタシは見た。




あいつの本質は『器』だ。




今までアタシはあいつの表面、器に注がれた液体に向けて攻撃を放っていたのだ。たとえアタシの攻撃であいつの中の液体、つまり魂が少し蒸発したとて、それは大きな影響を及ぼさない。あいつを倒すためには、器をひっくり返す必要がある。




そして、その器というのが………




心臓である。




とうていアタシの拳で一撃で破壊しきることは不可能だ。




ならば、友に助けを求めるほかないだろう。




アタシはサターシャに駆け寄る。




いまだに気を失い倒れ続ける少女の前で、アタシはこう言った。




「おーい、サターシャ!気絶してるなら参戦しなくていいから、気絶してるなら気絶してるって返事してくれ!」




「気絶してるよー」




アタシはサターシャの腹に掌底を叩き込んだ。







「うぅ、朝ごはん食べれてなくてよかった………」




まったく、欲望に忠実にもほどがある。だが、この際にはその性格が役立った。




「なぁサターシャ。さっき光の剣を出してくれただろ?あれって拳に纏ったりできないか?」




「まーた突飛な………まぁできなくはないよ。結界の形は自由自在だからね」




「頼む!アタシにそれをかけてくれ!あとさっきの剣も!」




アタシは思いっきり頭を下げた。




「いやぁでもぉ、もう魔力も残り少ないしぃ?今日この後危ない目に会うかもしれないしぃ?魔力は残しときたいなって………どうしてもっていうなら交換条件でならそのお願い、飲んであげてもいいけど?」




「分かった、何でもする。だから頼む!」




「おおぅもう少し躊躇とかあると思ったんだけど今なんでもって言った?」




「あぁ、なんでもだ」




「………分かったわよ。条件は一つ。これからもよろしく………ね?」




恥ずかしそうに手を出すサターシャ。アタシはその手を取ってこう言った。




「お前、友達いないんだな………」




今度はサターシャの掌底がアタシの腹に決まった。







「じゃあ仕切り直して………『存護の神剣』、と『守り手の詩』」




またしても膨大な魔力が感じられる。先ほどと同じように三本の光の剣と、アタシの体を覆うように薄い光の膜が張っていた。どちらもアタシの思い通りに動くようだ。


そして、本当に魔力を使い切ったようでサターシャが膝をつく。




「っはぁぁ………」




どっと襲い来る魔力切れのだるさに耐えながらサターシャはアタシを見てこう言った。




「あんなやつ、さっさとやっちゃいなさい。もう遅刻確定だけど学校行くわよ!友達と一緒なら遅刻も悪くないわ!」




不敵に笑いながらグッと親指を立てる。




アタシもその手に返し、アタシが討つべき相手に向き直る。




あいつは彼に翻弄され、弄ばれていた。




彼がこちらを見る。




アタシは大きく頷いた。




彼がこちらに駆け出す。バトンタッチだ。




「さぁ、待ってろ。ボッコボコにしてやるからな!」




アタシは獰猛に笑った。







あいつが片翼でよたよたと飛んでくる。




ちょうど彼とすれ違う瞬間、「がんばれ」と声をかけられた。




期待には、応えなければ。




アタシは先ほどと同じように、輝く三本の神剣を足場として代わる代わる召喚しながら空を駆ける。




不死鳥が誘い込まれたことに気づき距離をとる。


アタシはわざとそれを許す。




どんどん上空へと昇っていく。先ほどは彼に集中していたところを強襲したのが決まっただけにすぎず、片翼だろうと奴は十分な速さで空を飛んでいく。




だが、これもわざとだ。




今、奴は完全にアタシの策に嵌っている。




奴は一向に追いついてこないアタシを脅威でないと判断したのだろう、そこそこの距離をとって、今度は発動間隔が短めの炎魔法を展開し始めた。彼を警戒しての選択だろうが、もう彼は手出ししない。アタシだけが相手だ。




奴の炎がアタシの頬を掠める。だが、今や炎より熱く燃えるアタシの前にはあまりになまぬるかった。




奴が魔法を撃った反動で動きを止めた。好機である。




アタシは今までわざとゆっくり走っていたのをやめ、全力ダッシュを敢行した。


およそ数十メートルあったはずの距離を一瞬で詰められ、不死鳥は狼狽する。そう、すべてはこの一瞬の隙のためだったのだ。




不死鳥の背に飛び乗るとともに、体を包んでいた薄い膜を拳に纏う。そして、神剣とともに不死鳥の体に突き刺した。




不死鳥のおよそ形容しがたい耳障りな断末魔が響き渡る。まだ、まだだ。


もっと深く、もっと奥へ!




「うおおおらああああ!!!!!」




神剣が突き刺さり、共に体内へと侵入していた拳になにか熱いものが当たっていることに気が付いた。迷わずつかみ取る。脈動するそれの中には、確かに懐かしいあの人たちの記憶が渦巻いていた。




「………今、自由にしてあげるからね」




一言、つぶやいて。




アタシはその心臓を握りつぶした。




不死は、こうして覆ったのだった。

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