第四射 理由と解放と再会と

不死鳥が、堕ちた。




最後の抵抗とばかりに燃やした炎もただ小さく煙を上げるのみに留まり、光の粒子となって散っていった。




「はぁっ……はぁっ………………たお、した………………よな?」




激烈な戦闘を制した鏡花が肩で息をしながら状況を問うてくる。




「あぁ、倒したよ………………鏡花」




乱れた長い黒髪を意にも介さず、小さく笑った。




「やった…………やったんだ………………!」




そんな彼女の顔には目標を遂げた達成感と、皆を解放できたことへの安堵と、そして何かを失った悲しげな表情が混在していた。これで、彼女の生きる理由はなくなってしまったのだ。皆を救うため、不死鳥への復讐を果たすため、彼女は幸せな人生を犠牲に今日、生きる理由を果たしたのだ。




つ、とうつむいた鏡花の頬に何かが流れた気がした。




彼女は端正な顔が汚れることにも構わず、血液にまみれた手でそれを拭う。




「鏡花………………」




その瞬間。




不死鳥の血液が燃え上がった。




その血液を大量に付着させていた鏡花をまるごと飲み込んで。




「なっ!?鏡花!今すぐ水を………!」




「っちょ!?なんで私が戻ってくるなりこんなことになってんの!?それより早く消火しなきゃ………!」




魔力切れを起こし、地面にへたり込んでいたサターシャがこちらにやってきた直後の出来事だった。激しく燃え盛る火の勢いはとどまるところを知らず、今も赤々と燃え続けている。だが、狼狽し、慌てふためく俺たちに対し、鏡花の態度は冷静そのものだった。




「大丈夫だ、熱くない………むしろあったかいくらいだ」




燃え盛る炎の中、確かに鏡花の服や髪は、燃えることなく熱された空気に舞うのみであった。




「これは………魂の残滓………?」




燃え盛る炎の中、少女はつぶやいた。







『良かった』




『良かった』




『本当に良かった』




『私たちの死は無駄じゃなかった』




『生きていてくれてありがとう』




『元気でいてくれてありがとう』




『もう、私たちのことは忘れて』




『自由に生きなさい』




『私たちを解放してくれて、本当にありがとう。それじゃあね、京・華・』








炎が消える。




皆の言葉を頭の中で反芻する。




自由、自由って………




自由って、何だろうか。







痛かった。




とても熱かった。




苦しかった。




辛かった。




皆、皆、皆。




燃え盛る不死鳥に襲われ、村は壊滅した。村一番の強さを持った私・の兄も既に灰燼に帰していた。私は感情も感覚も何もかもが麻痺してしまったかのように全く動くことができなかった。目からは涙があふれ、怖くて、辛くて、とても悲しいはずなのに。私は何を感じることもなく、ただ村が焼けるさまをじっと眺めていた。


身動きをとろうとしない私を父、母、妹、お隣の一家、友達が、連れ出してくれたのだ。一人ずつ、炎に焼かれ死んでいった。もはや助かることではなく、私を助けることを目的として彼らは動いていた。




最後、私の眼前で不死鳥が吐き出した炎に焼かれ、死んでいった妹。




「皆、私、やったよ…………」




とつぶやき、勝利の笑みを浮かべたまま死んでいった妹。




手を伸ばせば届く距離で、私はまたも動けずいたのだった。




あの時、ア・タ・シ・はなぜ動かなかったのか。




妹を殺して満足した不死鳥は、私を残して飛び去った。




私が動けるようになったのは、そのおよそ十二時間後。何かが途切れたように眠りについた後だった。







アタシはあの日の私を捨て去るため、すべてを変えることにした。愛しい家族と、友達と、大切な人たちが呼んでくれた名を持つ女は、目の前で彼らが死んでいくことに対して、私のために死んだ彼らに対して、なんの感慨も抱かない屑だったのだから。




そして梔子鏡花として、アタシは第二の人生を歩みだした。あの日、私ができなかったことを果たすため。死した彼らを世界から奪った、あの憎き不死鳥を討つため。そのためならば、全てを犠牲にした。アタシの人生は復讐のためにあると、皆の魂を、呪縛から解き放つという使命のためにあるのだと、そう言い聞かせて。




そして、不死鳥を討つためさらなる力を求めていたその時、『ヴェルメイユ・ファミリア』に行き着いた。全能の超人、月影・フォーサー・ヘイムダルに教えを乞えば、また一歩復讐に繋がるのでは、と考えたアタシは、ヴェルメイユ・ファミリアへの入学を決意した。




そして、世界を知った。




………少しくらい、進歩したと思っていた。だが、アタシを取り囲む人々は、常軌を逸した才能、努力、技術、技量を持ってして、世界の理不尽に抗っていた。




遠く、遠く、彼方先を行く彼らを見て、アタシは絶望した。アタシがどれだけの努力を今から重ねようと届かない境地にまで達した彼らでさえ不死鳥の力に飲まれ、村の皆を覚えていない。サテライトには敵わない。




それなのにどうして、アタシ如きがあの理不尽を討てると言うのだろうか。




その日からアタシは、腐った。不良の真似事をしてカツアゲをしたり、非力な年寄りや子供を虐めて回り、アタシの人生で一番くだらない時期をすごした。




そして今日、それが終わった。







「鏡花、鏡花ってば!」




やけに焦った声で、アタシを呼ぶ声が聞こえる。




「サター……シャ………?」




アタシは、自分の声が酷く震えていることに気がついた。いや、声だけじゃない。心が、体が、まるで何かに恐怖するかのように、震えている。




「………ぁ……」




声が、掠れる。息が、出来ない。死ぬ。死ぬ。死ぬ。心が、死ぬ。体が、死ぬ。




あれ、アタシ………




何で生きてるんだっけ。




「鏡花!」




強い力で腕が引かれる。アタシの手はどうやら首に添えられていたらしい。首元が、酷く熱い。生きている感覚だ。




コヒュー……コヒュー………と、汚い音が聞こえる。




「せん………せっ………」




目尻から何かが零れ落ちていく。その何かが頬を伝った跡が、酷く熱い。生きている感覚だ。




「あんた、何考えてんのよっ!?急に首なんか絞めだして……!」




首……絞め………?




なるほど、だから先生はアタシの腕をあんなにも強引に引いたのか……




「分か……らない」




「…………」




「分からないんだ………」




「鏡花………」




サターシャが悲しそうにつぶやく。そんな顔をしないで欲しい。なんだかアタシが酷い事をしているみたいじゃないか……




「分からない、分からないよ……あの日以前の事も、あの日の事も、これまでの事も、これからの事も……何も、分からないんだ………」




先生がアタシを見る。アタシも先生を見た。そこで何か起きたわけでも、起きるわけでもなく、先生はアタシから目を逸らした。




「ぁ…………」




一瞬手を伸ばしかけたが引っ込めた。何故かは分からない。ただ、そうしたい衝動に駆られただけの行動だ。だが、アタシは手を伸ばさなかった事を酷く後悔した。他は何も分からない。でも、それだけは分かった。




もし、先生なら。アタシに進むべき道を教えてくれるとでも思ったのかもしれない。だが、先生とはそんな都合のいい存在では無い。アタシが望む物をくれる訳では無いと分かっているのだ。分かって、いるのに………




「分かりたくない……分かりたくないよ………」




全部、全部、全部全部全部。理解したくなんかない。




「………鏡花のバカ!」




不意に頬にパンチされた。威力こそないが、質量を超えた重さを感じた気がした。


頬を擦りながら目線を上げるとそこには、顔を真っ赤にして、瞳からとめどなく涙を溢れさせながら怒りを露わにするサターシャの姿があった。




「アホ!トンマ!うぅ……大バカ!!」




罵倒の言葉と共に、力無い拳を振るい、アタシの頬に当て続ける。




「昔の事も!今日の事も!これからの事も!そんな事誰も知らないに決まってるでしょ!!」




「……………」




「皆、皆!あれで良かったのかって、明日はどうしようかって、悩んで生きてんのよ!ちょっと生きる意味を見失ったからって、死のうとなんてするんじゃないわよ!」




ボロボロと涙を零しながら、まるで子供のように怒るサターシャ。何度も何度も、力無い拳を振りかぶってはアタシを打ち、また振りかぶってアタシを打つ。




サターシャの言葉は、正しい。




だが、それは論理的な正しさだ。統計的な正しさだ。この世は、論理と統計だけでは計り知れない物がある。例を挙げるとするならば、まさに今のアタシの胸中のように。




「アンタがどれだけあの不死鳥を倒すために努力してきたかなんて、私は知らない……知る術もなかった。でも、今こうして、目標を達成したじゃない!アンタの努力は実ったんでしょ!?アンタはやれば出来るんだから!」




「………だって」




「うるさい!言い訳なんか聞いてやらない!生きるって言え!私の友達になるんでしょ!?生きる理由なんか私が幾つでも作ってやる!だから………」




逸らしていた視線を、無理やり合わせられる。そこにあったのは、青く、澄んだ瞳の奥にある、とても不安定な少女の本質だった。サターシャは瞳を濡らし、顔をぐしゃぐしゃにしながら、アタシに、こう言った。




「………一緒に、学校に行きましょう?」




サターシャが浮かべた儚い笑顔は、まるで今にも消えてしまいそうな、この世界には似合わない、論理も統計も、何もかもを超越した、ただひたすらに、美しい物だった。







「鏡花」




「…………」




「君には一つ、言いたいことがある。それ以外は全部サターシャが言ってくれたからね」




サターシャの方を見ると、流石に醜態を晒していたことには気付いていたらしく、サターシャが顔を真っ赤にしながら鏡花の後ろに隠れる。




「言いたいこと……って?」




「君は一度、『自分の本質』について見るべきだ」




「自分の、本質………」




アタシだって鏡くらい見たことがあるが、確かに自分に対して『深淵写鏡』を使ったことはない。




「まぁ、いまここでやってもらったほうが早いかな…………はい、鏡」




先生が鏡を出してくれる。それを受け取り、さっそくやってみることにした。




「『深淵写鏡』、オープン」




そして、魔眼に映りこんだのは。




「うぅっ…………!?」




深い、深い闇に包まれた中、あの日の私が。小さな椅子に座りこみ、無表情に自らの首を絞める姿だった。




酷い悪寒に襲われ、吐き気と頭痛が同時に来る。だが、何とか飲み込み、彼に問う。




「な、なに………今の」




恐ろしかった。完全に捨て去ったはずの過去はまだアタシの中にいて、彼女を捨てたアタシを殺そうとしている…………そんなことを思い浮かべてしまう。




「これもあいつの言う通り、か……つくづく嫌になるな」




「鏡花、大丈夫………それに、お兄さ………せ、先生、あいつって?」




「いや、こっちの話。まず鏡花、君の今の状態を簡潔に述べると、いわゆる二重人格というやつだ。君の中には、あの日死んだはずの少女が今も残っている。違うかい?」




「あ、あってる………あの日、死んだはずなのに」




「それこそが、君を不安定にしている要因だ。正確に言えば二重人格ともまた違うけど、話すと長くなるし、今はやめよう。それ以前に、やることもあるしね」







「「やること?」」




二人が首をかしげる。




「あぁ。学校、一緒に行くんだろ?」




二人は互いの顔を見やると、ふっと破顔し、笑顔でこちらを向いた。




「「はい!」」







駅までの、また遠い道のりを三人で歩き、駅へと帰り着いた。




結局彼女たちと向かう場所は同じなので、今度は何も起こらず、平和な電車で移動した。




駅から数十分、乗り換えなしの直通で、電車は目的地に到着しようとしていた。




『次は終点、ヴェルメイユ・ファミリア前ー、ヴェルメイユ・ファミリア前ー。お降りの方は足元にご注意ください』




「あ、着きますね」




「やっとか、なんかすっげえ長かった気がするぜ…………」




「そりゃああんな戦いを経験した後じゃあね…………」




二人が苦笑する。




「でも、先生がほんとに先生だったなんてビックリしたな………呼びたくて呼んでただけだったんだが」




俺だって知ってて呼んでるものだと思ってたからビックリした。あの人はどうやら、ギリギリまで新任教師や新しく入学してくる生徒について伝えていないらしい。相変わらずサプライズ好きなんだな。




と、雑談をしているうちに電車はホームへと滑り込み、停車した。




「それじゃあ先生、私たちは急いで教室に向かわなくちゃいけないんで!」




「先生、またな!」




二人が手を振りながら駆けていく。それに手を振り返しながら、俺もやるべきことをなすため、電車を降りた。







コンビニにレストラン、服屋に雑貨屋にと、何でもあるやけに広いホームを出て、俺はヴェルメイユ・ファミリアを初めて拝むこととなった。




「でっか………………」




そこにあったのは、西洋風の城のような巨大な建物であった。あまりにも巨大である故、視界の中にその全貌を捉えきることができないほどだ。外からでも見える五本の塔、そしてそれらの中心に位置する要塞のような建物が本館だろう。塔から本館らしき建物まではかなりの距離があるが、塔から校門までの距離はそれをさらに超えるとてつもない距離があった。都市一つがまとめて入ってしまいそうなほどの圧倒的大きさに息をのむ。




開かれた校門を通り、目的地である校長室へと向かう。一応地図をもらってはいたが、まさかこれほどまでに広いとは思ってもみなかった。これから歩く距離を考え、心が折れかけるが、それでもやはり、行くしかない。あきらめて進むことにした。




歩いているだけでもいろいろな発見があった。たとえばこの建物は、魔法を使って開発された『魔鉱石』と呼ばれる非常に希少で、頑強な素材を用いて建設されている。やはりこの星を救う者たちがここに集まってくるのだから、それ相応の設備が用意されているのだろう。長い長い魔鉱石製の石畳を進み続けること十数分、ここに来るまでに誰と出会うこともなかった。俺たちはかなり遅れてやってきたし、今はもうクラスメイト達と親睦を深めあっているところなのだろう。




そんなことを考えながら歩いていると、ようやく『校長室』と看板のついた部屋を発見した。




「………あの人に会うのは久しぶりだな」




少し緊張するが、まぁ大丈夫だろう。コンコン、とドアをノックする。




「どうぞ」




涼しげで、それでいて情熱的で、言葉の端々に知性と優雅さを感じる美声が、部屋の中から響く。低すぎず高すぎず、よく通る声を聞くと、やはり、今日もあの人は完璧だと、思い知る。




俺は、ドアを開いた。




「………失礼します」




そこにあったのは、輝く紅の髪をうざったくない程度に伸ばし、綺麗に整え、その深紅の双眸で、こちらを見透かすかのようなまっすぐな目で見つめてくる、超絶美形の男の姿だった。そのすらりと長い脚には似合わないお馴染みのゴツい鎧姿ではなく、その長身に合うよう特注した黒いスーツをパリッと着こなしたイケメンが、俺を見て言った。




「やぁ、久しぶり。それにしても君、スーツが似合わないね」




「うるせぇよ!」




俺は人類最強に思いっきりツッコミを入れた。

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