第5話

 倭の国に来たところで逃れられなかった。いやわかってはいたことだ。でもどこか和らぐような、少しは楽になれると思ってたのかもしれない。だからなのだろうか、この不安と苛立ちが少しも変わらなかったことに対して落胆している。そう、落胆してるし憤りまで覚えている自分がいる。

 そんな感情を少しずつかみ潰すアリステイル。彼の住んでいる国であれば少し柔らかさと軽さを持っているような彼の前髪は、倭の国の気候、そしてそれにあてられて、汗をかいているアリステイル自身のように、どこか疲れたようにしんなりとしている。

 慶知の杜での日程が終わった。その直後に今日の予定と、そしてこれからこの地で学んでいくことについての予定を話された。その後共に来た留学生と元から取っていた宿へと案内された。

 中に入って最初に抱いた感想として薄暗いであった。日の光を遮るようにスライド式?のようななにか白いものが張られてある窓。全体的な雰囲気としてとても地味としか形容が出来なかった。あと目に入るものはやけに低いテーブル、そして椅子の様に置かれてある足のない、背もたれだけの椅子。ベッドがないことも不思議だ。


 先ほどの説明でこの倭の国というものは室内に入るときに靴を脱いで入るということだけ知っていた 。妙な不快感を感じる。しかしそれよりもこの国に来る妙な質感。汗ばむような湿気る様な質感から解放されてすぐに気にならなくなった。まるでこの地に順応していくかのようでもある気がした。足元の感覚に慣れた後、彼はもう少し奥の方へと進んでみることにした。彼は妙な感覚を覚え始めていった。この、倭の国に来るときに徐々に湿度やその温度、質感に染まり始めるような感覚。しかしそれとも絶妙に違う。今回はただ来るのではない気がする。そう無意識で感じている。彼の国、というか彼の生活しているところはあまりにも彼にとって眩しかった。いやそんなわけはない。貴族の家系であるアリステイル・リリエンタール。彼にとってそれはとうに見慣れているもののはずである。切り取られた大理石でできた大きなテーブル。あるいは金の装飾の入った小物や収納する化粧棚。ダスクオークの節の無い部分をふんだんに使った彼の机。幾度となく送られてくる金に白金の細工が施されたペン。虹や祝福、などを思い作ったとされるオイルランプ。それらが自分に、あるいは思考に染まらない感覚が嫌で嫌でしょうがなかった。その為、彼は基本的に野外や庭、或いは通っていた学園の教室や書物庫の日当たりの少ない場所にて物事を進めていたのである。使用する道具は羽ペン。紙面は無駄な装飾がなく、完全な白色の者ではなく少し質の落ちた頑丈性重視の黄ばんだ、処理の甘いものを使用していたのだ。そんな辟易するような刹那の日常の回想から眼前へと差しだされているものへ意識を映す。するとどうであろうか驚くほど身に染みてしまっている。彼はこの時の感覚をより深く感じている。背の低い机を見てみれば、なんと暗く主張しないものであろうか。まるで学園にいる学長や或いは魔術師にいるとされ、時折彼がいた学園へと姿を見せてくるそんな、言葉にするのであれば気取らない強者、賢者、或いはただただそこに居座るようなもの、あるいは悠久の時を過ごしながら少しずつ継ぎ接ぎと修復のなされている魔導書のような落ち着きを見せている。彼は 基本的に、いや魔道具のすべてがそうではないのであるが、装飾というものをあまりなされない。まさしくそれなのである。幾年も使い、そして丹念に育てられた牛の川のような重みと強かさを感じる様な、そんな深い茶色をこの背の低い机は纏っているのである。そこからさらに他のものへ、外部へと視線をずらしてみる。机とくれば、椅子を、或いはこの白い紙のようなものが貼られてある窓、空になっている棚の様なものへと次々に視線を向けていく。言われも得ない納得感、その馴染みはおそらくこの空間そのものに帰属しているのではないだろうか。あるいはここにあるすべての者が醸し出している。そしてその空気が自分のことを受け入れている。あるいは受け入れていない。しかしてそれは拒絶ではない。そのような何か。確かに自分自身のことを拒絶も受け入れもしていない。しかし完全なる無視でもない。この間取りや光の入り方、暗さに調度品そのすべてがそうであるというならばおそらく自分自身も許されている。そんな気がした。自然と背負っていた、手に握って保持していた物たちを、荷物を、脱いでしまっていた。いや別に来ているのではない。しかしそこに差し出す用に、或いはそうと流されるような言われも得ない納得感の元に導かれ、その身を任せていたのかもしれない。

 

 ともかくとして彼、アリステイル・リリエンタールはそんなどこか滲み出るような納得感、あるいは馴染みを彼は感じて、動けなくなった。不安からのカタルシスの様な解放感ではなく、力は抜けないが何か他の、精神的気概が抜けるかのように立ち尽くした。

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