第5話 ギルハ 上

 4年前、結婚を機に都内へと越してきたミヤコは、都心から少し離れた郊外のマンションで、愛する夫と一人娘と共に幸せに暮らしていた。

 ── はずだった。

 だが、現実は違った。


 昨年のある日、不幸な事故が夫と娘を襲い、ミヤコはふたりを同時に失った。

 今は、家族で暮らすはずだったそのマンションの一室で、ひとりきりで生活している。

 仕事はしているものの、生活は決して楽ではない。

 それでもミヤコは、あまりにも突然すぎる喪失を受け入れられず、今もマンションを離れる決心ができずにいた。


 ── あの事故は、夫と娘が近所の公園から帰る途中に起きた。

 公園のすぐ近くの横断歩道を渡っていたところ、信号を無視した暴走車に跳ね飛ばされたのだ。

 もし相手の車が小型で、スピードも出ていなければ、こんな惨事にはならなかったかもしれない。


 しかし実際には、暴走車は大型のワンボックス。スピードはかなり出ていたという。

 運転していたのは、40代の無職の男。

 酒に酔っていたうえ、事故後すぐに逃走した。

 しかも、不運はそれだけにとどまらなかった。

 事故現場は人通りの少ない通りで、しかも平日の昼間。

 誰にも気づかれぬまま時間が経ち、ふたりは助からなかったのだ。


 ── あの時、すぐに救急車を呼んでもらえていれば、助かっていたかもしれない……。

 その想いは、ミヤコを今も深く苦しめている。


 そんなある日──

 夫と娘のいないマンションの部屋で、ミヤコが眠りかけていた時のこと。

 突然、見知らぬ番号から携帯電話に着信があった。


 普段なら、知らない番号の電話には絶対に出ない。

 だがその日は、ウトウトと眠気に引き込まれていたせいか、つい反応してしまった。


「……もしもし?」

 そう言って耳を澄ませると、受話器の向こうからはしばらくの間、ジーー……というノイズのような音だけが聞こえていた。


 そして、やがて──

「“トツゼンニ、オデンワ、シツレイイタシマス”」

「……!?」

 受話器の向こうから聞こえてきたのは、ボイスチェンジャーを使ったような、機械的な男性の声だった。


「……どなたですか?」

「“モウシワケアリマセンガ、今ハマダ、名乗ルコトハデキマセン……。

 ……シカシ、アナタノ旦那サント娘サンノコトデ、オ伝エシタイコトガアリマス。”」

「……主人と娘のこと?」

「“コノ後、アル人物ノSNSアカウントヲ、メールデ送信シマス……。ソノアカウントヲ、アナタニ見テ頂キタイ。”」

「……? 何のことですか? どういう意味?」

「“ソノアカウントデハ、アナタノ旦那サント娘サンノ事故直後ノ映像ヲ、“作品”ト称シテ配布シテイマス。……コンナ事、許シテハナリマセン。”」

「……え!? ちょっと待って、それって――」


 ミヤコが言いかけたところで、通話は突然切られた。

 直後、ミヤコの携帯にショートメールが届いた。

 そこには、SNSアカウントへのリンクと、数行の文章が添えられていた。


"このアカウントでは、あなたの旦那さんと娘さんが、事故直後に亡くなられる瞬間を映した動画を、作品と称して配布しています。

まずはその事実をご確認ください。

我々は、あなたの味方です。

然るべき報いを、愚か者に下しましょう。"


「……?」

 ミヤコはおそるおそる、そのアカウントへのリンクを開いた。


 表示されたのは、イラストや写真などを投稿している“創作アカウント”と呼ばれる類のものだった。

 だが、掲載されている作品は、どれも下品で性的な内容や、暴力的・グロテスクな主張に満ちていた。

 全体的に子どもじみた雰囲気で、クオリティも高いとは言いがたい。


「……なんだか、すごく嫌なアカウント……」


 そしてプロフィール欄には、こんな文言が記されていた。


“リアリティを求めすぎて、タイムラインでは公開できない過激な作品があります。

欲しい方は、個別にDMください。”


「……過激な作品……?」


 ミヤコは、機械音声の男が言っていた“事故直後の映像”のことを思い出す。

 だが、正直、にわかには信じられなかった。


 なぜなら事故当時、警察の調査で「目撃者はいなかった」と結論づけられていたのだ。

 もしも本当に映像が存在するのだとすれば──

 その撮影者は、夫と娘が死にゆく様子を黙って見殺しにした、ということになる。


「……そんな、心のない人間が……この世にいるのかしら……?」


 ミヤコは、信じたくなかった。

 それに、あの電話は機械音声で、どこか不気味な雰囲気だった。


「悪質ないたずらかもしれないわ……」


 そう呟いたミヤコは、SNSの画面を閉じ、携帯をマナーモードに切り替え、その日は静かに目を閉じた── 。





──翌日。


 夫と娘の居ない静かな休日の朝、ミヤコは携帯のアラームで目を覚ました。


 そして、アラームを止めようと目にした携帯の画面には、2件のSNS通知が表示されていた。



 メッセージが届いている。


 しかも、一件は全く見知らぬアカウントからだが、もう一件は昨晩に送られてきたあのアカウントからである。



「え……? なによ、これ……?」



 ミヤコは少し恐れながら、そのメッセージを確認していく。



一つ目のメッセージは、


" 私は昨晩にお電話申し上げた者です。

 ショートメールとアカウントは確認して頂けた様ですね。

 差し出がましくもありますが、ミヤコ様に代わって、該当のアカウントの人物に動画を送信する様に依頼しました。

 動画を受け取り次第、ご確認下さい。 "


……となっていた。



「……ちょっと、何者なのよ!? どうして私のアカウントを知っているの……?」



 ミヤコは恐ろしくなり、慌ててもう一件のメッセージを確認する。


 それは、昨晩にショートメールで送られてきた、あのアカウントからのメッセージだ。



" 作品のご購入、ありがとうございます。

 作品の動画を添付させて頂きます。

 これは、死ぬ間際の父娘による、美しい愛を描いたショートムービーです。

 あまりにリアルにできてしまったため、個別での販売とさせて頂いておます。"



 メッセージには動画が添付されており、下部には動画のサムネイルが表示されていた。


 そして、そのサムネイルには、夫と娘が事故に巻き込まれた横断歩道らしき場所が映っている。



「……これは、この場所は……!」



 ミヤコは、手を震わせながらそのサムネイルをタップする。


 するとそこには、血だらけになりながら地面を這いずる夫と、顔が青白く変化して動かなくなった娘の姿が映し出されるのだった。

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