第三十八話『第一トラップ、発動』

「来たぞ!」


 空賊の副官が、獲物を見つけたハイエナのように、甲高い声を上げた。 彼らの視線の先、火災の煙の中から飛び出し、『空中展望回廊』へと逃げ込む、二つの人影。弓を持った女(クララ)と、「橋の民」の男(バルト)だ。


「馬鹿め! あそこは行き止まりだ!」

「砦(とりで)に火を放った、命知らずのネズミはそいつらか!」

「ヴォルガ様に逆らった罪、その身で償わせてやれ!」


 副官に率いられた、屈強な空賊の主力部隊、数十名。彼らにとって、あのガラス張りの回廊は、獲物を追い詰めるための、完璧な「袋小路」にしか見えなかった。 彼らは、クララとバルトを捕らえるため、何の疑いもなく、その『空中展望回廊』へと、雪崩れ込んでいった。


「はぁっ、はぁっ…! クララ殿、連中は、乗ってきたぞ!」

 先を走るバルトが、恐怖に引きつった声を上げる。


「わかってる! 止まらないで、走り続けて!」 クララも、必死だった。足元は、古代のガラス(水晶?)で造られた床。その下には、雲しか見えない。生半可な度胸で走れる場所ではなかった。

(コウスケ…! あんたの『計算』、信じるからね!)


 ドッドッドッドッ! 背後から、数十人の空賊がブーツで床を鳴らす、重い振動が伝わってくる。



――そして、回廊の真下。


 暗いメンテナンス・シャフトの内部。巨大な『支持ブラケット』が並ぶ、橋の「裏側」で、ギムレットは、その振動を肌で感じていた。


「…来たか」 天井から、クララとバルトの、比較的軽い足音が走り抜けていく。

「フン。嬢ちゃんも、なかなか根性が据わっとるわい」


 そして、間髪を入れず、地響きのような、重い『積載荷重(ライブ・ロード)』が、回廊全体を軋ませ始めた。


「ご一行様のお着きだ」

 ギムレットは、戦鎚(ハンマー)の先端…鋭く尖った「ピック」の部分を、コウスケの設計図書が示した、あの『一点』――応力集中(ストレス・コンセントレーション)が起きる、ブラケットの「継ぎ目」に当てた。


 彼は、まだ破壊しない。 コウスケの指示は、「敵の荷重が最大になった瞬間」。


 今、空賊の主力は、回廊の「中央(センタースパン)」へと差し掛かろうとしている。クララを追い詰めようと、全員が、一箇所に密集している。


――まさに、今。


「コウスケの『設計図』、信じたぞ…!」 ギムレットは、職人としての全霊を込め、その「一点」に、戦鎚を振り下ろした。


「――破断(はだん)ッ!」


キィィィィン!! という、金属が限界を超えて引き裂かれるような、甲高い断末魔。 それは、爆発音ではなかった。 コウスケが羊皮紙に入れた、あの小さな「切り込み」が、現実になった瞬間だった。



「なっ!?」


 クララを追い詰めていた空賊の副官が、足元の異変に、初めて気付いた。 床が、揺れたのではない。 「沈んだ」のだ。


「…あ」

 副官の視界の端で、回廊を支えていた四隅の巨大なブラケットの一つが、まるで熱した飴のように、ひしゃげていくのが見えた。 「応力」が一点に集中し、破断したのだ。


「馬鹿な…!?」

 次の瞬間、轟音と共に、彼らが立っていたガラス張りの床は、その「支持」のすべてを失った。 まるで、巨大なカミソリで切り取られたかのように、回廊の中央部分、数十メートルが、そっくりそのまま、床ごと「脱落」した。


「「「ぎゃあああああああ!!」」」


 数十名の空賊たちは、何が起きたのかを理解する暇さえ与えられなかった。 彼らは、自分たちが立っていた「床」と共に、重力に従い、遥か数千メートル下の、峡谷の暗い霧の中へと、吸い込まれていった。


「――っ!」

 クララとバルトは、間一髪、回廊の「出口」側…破断を免れた、安全なブロックへと転がり込んでいた。 クララが、震える足で立ち上がり、振り返る。 そこには、もう、何もなかった。 さっきまで追いかけてきた空賊も、彼らが走っていた回廊も、すべてが消え失せ、ただ、峡谷の風が吹き抜ける、巨大な「穴」が口を開けているだけだった。


「…やった」 クララは、その場にへたり込んだ。

「やったわ…コウスケ…!」

 バルトも、信じられないものを見るように、その光景に腰を抜かしていた。


 コウスケの『構造体誘導(ストラクチャー・ハック)』。


 その第一トラップは、レオを失った怒りと絶望を吹き飛ばすほど、完璧に、そして恐ろしいほど静かに、作動した。

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