第三十話『空の支配者、ヴォルガ』

 老人の言葉は、一行に衝撃を与えた。 彼らは、この神業のような古代建築の「末裔」であり、同時に「牢獄」に囚われているのだと。


「…どういうことだ?」

 

 コウスケは、彼らに警戒を解いたことを示しつつ、ゆっくりと尋ねた。 老人は、バルトと呼ばれた男に促され、一行を彼らの「集落」――崩落を免れた巨大な橋桁の内部空間(ボックス・ガーダー)を利用した、薄暗い居住区へと招き入れた。


「我々は、あの日…『紅(くれない)の翼』が、この橋(アエリア)に目をつけたあの日から、牢獄に囚われたのです」

 老人は、弱々しく燃える焚き火を囲みながら、重い口を開いた。


「『紅の翼』…?」

 クララが、その不吉な名前を反復する。


「空賊(くうぞく)どもだ」 リーダー格の男、バルトが、憎しみを込めて吐き捨てた。

「奴らは、飛行船こそ持たんが、この橋に巣食い、我らを支配している。我らが先祖代々蓄えてきた、この橋の『補修部材』…古代の金属を奪い、我らを奴隷のように扱っている」


「なら、戦えばいいだろ!」 レオが、単純明快に答えた。

「さっきのトカゲより、ヤバいのか?」


「…ああ」バルトは、悔しさに顔を歪めた。

「あいつは、獣だ。だが、奴らの頭領、ヴォルガは…違う」

 バルトの言葉に、他の「橋の民」たちも、恐怖に怯えるように身を縮めた。


 老人が、バルトの言葉を引き継いだ。

「ヴォルガは…単なる略奪者では、ございません。あやつは、我ら以上に、この橋の『構造』を熟知している…。いや、『悪用』しているのです」


「悪用…だと?」

 職人であるギムレットが、その言葉に反応した。


バルトが、壁を殴りつけた。

 「そうだ! あのトカゲ(ワイバーン)は、ただ塔に巣食うだけだった! だが、ヴォルガは違う! あいつは、この橋の『構造的な弱点』を知り抜き、そこを『人質』に取っている!」 バルトは、コウスケたちが見ていない、都市の奥を指差した。

「あのエリアの床は、一見、頑丈に見える。だが、ヴォルガの部下以外が三人以上乗れば、『床版(しょうばん)が抜ける』よう、奴らが細工した。あそこの壁は、我らが使っていた『点検通路(メンテナンス・ルート)』だ。だが、奴らは、そこを『奇襲』のための通路として使い、我らの背後から襲いかかってくる」


 それは、コウスケがワイバーンに対して行った「構造的弱点の利用」と、まったく同じ思想だった。 ただ、コウスケの目的が「打倒」だったのに対し、ヴォルガの目的は「支配」だった。


 コウスケは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

(…まずいな。この橋(ダンジョン)は、敵のホームだ。しかも、その敵は、このダンジョンの『設計図』を悪用している、俺と同じタイプの『司令塔』だ…)


 コウスケの思考は、けたたましい金属音によって中断された。


「カン! カン! カン!」


 集落の外から、あの金属を叩く音…しかし、先ほどとは明らかに違う、切迫したリズムの「警鐘」が鳴り響いた。


「…ちくしょう! 帰ってきたか!」

 バルトが、粗末な槍を掴んで立ち上がる。


「どうした!?」

「ヴォルガだ! 奴らが、狩りから戻ってきたんだ! あのトカゲが死んで、塔が崩れた…その轟音を聞きつけて、何が起きたか確かめに来やがったんだ!」


 「橋の民」たちが、再びパニックに陥る。


「よし、俺たちが行く!」 レオが剣を抜き、バルトに言った。

「奴らのアジトはどこだ!」

「無駄だ!」 バルトが、絶望的な声で叫んだ。

「奴らはアジトなんか持たない! この橋(アエリア)全体が、奴らのアジトだ! 奴らは…」


 その時、集落の入り口、コウスケたちが通ってきたのとは別の通路から、嘲るような、甲高い声が響き渡った。


「――その通りだ、土竜(もぐら)ども」


 全員が、声のした方を振り返る。 そこには、コウスケたちが「壁」だと思っていた部分が、隠し扉のように開き、逆光の中に、一人の男が立っていた。 しなやかな体躯。血のように赤い外套。そして、その目には、ワイバーンなど比較にならない、獲物を品定めするような、冷たい知性が宿っていた。


「おやおや。見たことのない『ネズミ』が紛れ込んでいるな」 男は、コウスケ、クララ、レオ、ギムレットを、一人ずつ値踏みするように見渡した。

「俺が『紅の翼』頭領、ヴォルガだ」


 ヴォルガは、コウスケたちの背後、崩落して大穴が空いた方向を一瞥した。


「『鉄の嘴』を殺(や)ったのは、お前たちか。…大したもんだ。あのトカゲは、この橋(アエリア)の大事な『構造体』を、馬鹿みたいに壊しやがるから、俺も手を焼いてたところだ」 彼は、コウスケをまっすぐに見据えた。 「礼を言うぜ。お陰で、俺の『家』が、少し静かになった」


 レオが、一歩前に出る。


「テメエがヴォルガか! この人たちを解放しろ!」


 ヴォルガは、その言葉を鼻で笑った。

「解放? 馬鹿を言うな。こいつらは、この橋(ウチ)の『設備』だ。俺は、自分の家の『設備』を、手入れして使ってるだけだ」 彼は、コウスケたちが立っている床を、ブーツの爪先で軽く叩いた。

「ところで、新参者。お前たち、自分が今、『どこに立っているか』、わかってるか?」


 その言葉に、コウスケはハッとした。 彼は、自分が立っているこの「集落」の床を【万物積算】でスキャンする。

(…まずい。この区画の床は、橋のメイン構造(主桁)から吊り下げられているだけだ! 『支持ケーブル』が、上の一点に集中している…!)


 ヴォルガは、コウスケの顔色が変わったのを見て、満足げに笑った。

「…どうやら、お前たちのうち一匹は、俺と『話』ができそうだ」 彼は、部下たちに合図を送る。 コウスケたちの背後の通路からも、空賊たちが姿を現し、退路が断たれた。


「ようこそ、『空の架け橋』へ」 ヴォルガは、まるでこの橋の「王」であるかのように、両手を広げた。 「ここは、俺の『現場(テリトリー)』だ。…よそ者が、土足で踏み込んでいい場所じゃねえんだよ」


 コウスケは、最悪の敵と対峙していることを、即座に理解した。 力(レオ)でも、技術(ギムレット)でもない。 「知識」と「構造」を悪用する、自分と「同種」の敵と。

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