第二十九話『橋の上の生存者』

 轟音が止み、峡谷の風の音だけが戻ってきた。 一行が立っていた場所には、塔が崩落したことで、奈落の底へと続く巨大な「穴」が口を開けている。


「……はあ。終わったか」 レオが、興奮で強張っていた肩の力を抜き、剣を鞘に納めた。

「コウスケ、お前、マジで何なんだよ。あんな倒し方、どんな英雄譚(えいゆうたん)でも聞いたことねえぞ」

「あれは…『解体』だ」 コウスケは、まだ震える膝を必死で押さえつけながら、乾いた声で答えた。

「ただの、精密な解体工事だ。…俺たちが、あいつの『想定外』だっただけだ」


「フン。見事な計算だった、コウスケ。あの『石積み』の弱点を、一瞬で見抜くとはな」 ギムレットが、瓦礫と化した「穴」の断面を、職人としての目で検分している。

「しかし、これほどの騒ぎだ。この廃墟に、もし他に何かが潜んでいるとしたら…」


 ギムレットの懸念は、すぐに現実のものとなった。


「……待って」 一番耳の良いクララが、弓を構え直した。

「静かに。……何か、聞こえる」


 一行は、息を殺す。 風の音に混じって、確かに聞こえた。 「カン、……カン、……」 金属を叩くような、微かで、しかし、一定のリズムを刻む音。 それは、ワイバーンのような獣の音ではない。明らかに、知性ある「何か」が発している音だった。


「…あっちだ」

 レオが、崩落を免れた、都市の奥へと続く路地を指差す。 コウスケは、仲間たちと目配せをし、頷いた。


 彼らは、音を立てないよう、戦闘態勢を維持したまま、廃墟の奥へと慎重に進んでいく。メインストリートは瓦礫で使い物にならず、一行は、半ば崩れた建物の内部を通り抜けるようにして進んだ。そこには、風化した家具や、持ち主のわからない食器の破片が散乱しており、ここがかつて「都市」であったことを生々しく伝えてくる。


 音の出どころは、都市の中央部に位置する、比較的、風雨の影響が少なそうな、谷間に隠れた広場だった。 一行が、崩れた壁の隙間から、その広場を覗き込んだ時。 彼らは、息を呑んだ。


 人がいた。 それも、一人や二人ではない。 数十人の人々が、まるで地の底に潜むように、息を殺して生活していた。 彼らは、古代の建築物の、崩れずに残った「構造体(シェルター)」の内部に、ボロ布や獣の皮で粗末な「住居」を造り、身を寄せ合って暮らしていたのだ。


 その広場の中央で、一人の老人が、集めた金属片を必死に叩き、修理している。先ほどの音は、これだった。 一行の気配に、見張り役らしい青年が気づき、金切り声を上げた。 「敵だ! 敵の襲撃だ!」


 その声に、広場は一瞬でパニックに陥った。 女たちは幼い子供を抱きしめ、男たちは、ギムレットが見たこともないような、橋の構造部材(ケーブルか?)を再利用して作った粗末な槍を構え、震える手で侵入者たちを睨みつけた。


「待て! 待ってくれ! 俺たちは敵じゃない!」

 レオが、慌てて両手を上げて、戦意がないことを示す。 クララも、コウスケの前に立ち、ゆっくりと声をかけた。

「私たちは、旅の者です! 怪しい者ではありません!」


「……嘘だ」男たちの中から、ひときわ体格の良い、リーダー格の男が前に進み出た。

「お前たち、『紅(くれない)の翼』の連中だな! あの塔を崩したのも、お前たちの仕業だろう! 新しい『見せしめ』か!」


「『紅の翼』?」 コウスケが、その聞き慣れない単語を反復する。

「違う! 俺たちがさっき倒したのは、ワイバーンだ! でかいトカゲだ!」

 レオが必死に弁明するが、彼らの猜疑心は解けない。


 その時、金属片を叩いていた、あの一番年老いた老人が、ゆっくりと立ち上がった。


「…待て、バルト」 老人は、リーダー格の男を制止すると、よろよろとコウスケたちの前に歩み出た。彼は、一行の姿、特に…ギムレットの姿をじっと見つめ、そして、信じられないものを見るような目で、コウスケたちの背後、ワイバーンを倒した「穴」を一瞥した。


「……『鉄の嘴(くちばし)』を、お前たちが?」 老人が、かすれた声で尋ねた。

「鉄の…? ああ、あのワイバーンのことなら、そうだ。俺たちがやった」 コウスケが答えると、老人は、その場に膝から崩れ落ちそうになった。

「…なんと。あのおぞましい『塔の主』を、たったこれだけの人数で…。信じられん」


 老人は、バルトと呼ばれた男に向き直った。

「…バルト。この者たちは、『奴ら』とは違う。…匂いが違う」

 老人は、一行に向き直り、深く、深く頭を下げた。


「旅の方々。我らの無礼を、どうかお許しくだされ」 彼は、顔を上げた。その目には、数千年の疲労と、わずかな希望が宿っていた。

「我らは、『橋の民』。この古代の橋、『空の架け橋(スカイ・ブリッジ)』を、太古の昔から維持管理することを宿命づけられた、一族の末裔にございます」


ギムレットが、その言葉にハッとして前に出た。

「…末裔、だと? では、この神業のような『石の橋』は、まさか、お前たちの祖先が…?」

「左様です、ドワーフの旦那」 老人は、悲しげに首を振った。

「我らは、この橋と共に生き、この橋と共に朽ちる定め。この橋は、我らにとって、故郷であり…そして、『牢獄』でもあるのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る