第二十五話『仮設トラス構造(テンポラリー・ワーク)』

「プロジェクト開始だ!」

 

 コウスケの号令が、絶望に包まれていた渓谷に響き渡った。 商人のキャラバンは、呆然とした表情から一転、藁にもすがる思いでコウスケの指示に従い始めた。


「ギムレットさん、資材の選定を!クララ、商人たちから人員を徴発して、資材運搬チームを編成してくれ!レオ、お前はギムレットさんの助手と、周囲の警戒だ!」


「おうよ!」

「わかったわ!」

「フン、人使いが荒いわい!」


 いつものギルドの空気が、この災害現場(げんば)で即座に再現される。


 ギムレットは、街道脇の森に入ると、その職人の目で最適な「資材」――すなわち、強度と長さを兼ね備えた倒木――を選定し始めた。彼の巨大な戦斧が、今や武器としてではなく、完璧な「工具」として振るわれ、倒木はみるみるうちに角材へと加工されていく。


 一方、コウスケは地面に設計図を描いていた。 いや、それは設計図と呼ぶにはあまりにも単純な、いくつもの「三角形」を組み合わせただけのスケッチだった。


「レオ、ギムレットさんが加工した木材を、この図面の通りに運んでくれ。商人たちにも手伝わせろ!」

「お、おう! しかしコウスケ、こんな細い木で、あのバカでかい石橋を支えられるのかよ?」


 レオは、ギムレットが切り出した、お世辞にも太いとは言えない角材を担ぎ上げながら、心底不安そうな声を上げた。


 コウスケは、スケッチを描く手を止めず、レオに説明した。


「いいか、レオ。お前が木の枝で『四角い枠』を作ったとする」

コウスケは指で四角形を作ってみせる。


「おう。四角い枠だな」

「その枠の角を、横からグッと押したらどうなる?」

「そりゃ、簡単にひしゃげて、菱形みたいになるだろ」

「その通り。じゃあ、木の枝3本で『三角形の枠』を作ったら? それを横から押しても、ひしゃげるか?」


 レオは一瞬、頭の中で想像した。


「…いや、三角形は、押しても…そのまま…か。なるほど!」


コウスケは、地面に描いた三角形の集合体を指差した。


「そうだ。構造っていうのはな、基本的に『三角形』が一番強いんだ。四角形は外部からの力で簡単に変形するが、三角形は変形しない。これが『トラス構造』っていう、この世界じゃ忘れられた古代の技術だ。こうやって三角形を連続して組み合わせることで、お前が『細い』と言ったあの木材でも、一本の丸太より遥かに強い『面』としての強度を生み出せる。軽い材料で、強く、しかも長いスパンを支えることができる、最高の構造だ」


 レオは、チンプンカンプンといった顔で頭をかきながらも、コウスケの言うことだけは信じて、角材を運び始めた。


「よくわかんねーが、すげえってことだな!」


 その頃、クララは会計責任者として、別の「コスト」を計算していた。


「コウスケ! この作業、あとどれくらいかかるの!? ギムレットさんの作業速度は計算できるけど、商人たちの素人仕事がボトルネックになってるわ! このままだと、日没までに終わらない。そうなれば、この危険な場所で野営よ! 宿泊費が浮く代わりに、リスクと消耗品費が跳ね上がるわ!」

「わかってる!」 コウスケは、クララの的確な指摘に頷いた。

「だからこそ、急ピッチで『仮設構造(テンポラリー・ワーク)』を組み上げる。ギムレットさん、あとは頼みます!」


 ギムレットの作業は、神業の域に達していた。 商人たちが運んできた角材を、彼は驚異的な速度と正確さで組み上げていく。楔(くさび)を打ち込み、ロープで緊結し、コウスケが描いた通りの巨大な「三角形の集合体」――『仮設トラス構造』が、みるみるうちに姿を現していく。


「よし、組み上がったぞ!」

 ギムレットの掛け声で、レオと商人たちが、その巨大な木造の構造物を持ち上げる。


「慎重にだ! 一気に運ぶぞ!」

 コウスケの指示のもと、一行はそれを崩落したアーチの東側、抉(えぐ)れた地面へと滑り込ませた。


ゴゴゴゴ……!


 『仮設トラス構造』の先端が、宙吊りになっていた『キーストーン(要石)』の底面に正確に接触し、押し上げる。 その瞬間、橋全体がギシギシと軋む音が止み、西側に傾いていた橋の残骸が、わずかに水平に戻った。 橋の重心が安定し、力のバランスが取り戻されたのだ。


「おお…!」

「揺れが、止まったぞ!」

 商人たちから、歓喜の声が上がる。


「すげえ! コウスケ! ギムレット! 本当に直しやがった!」 レオが、その安定した橋の残骸に、真っ先に飛び乗ろうとした。


「待て! 馬鹿野郎!」


コウスケの、これまでになく鋭い怒号が飛んだ。 レオは、片足を橋に乗せたまま、驚いて凍り付く。


コウスケは、険しい顔で橋に近づき、安定したキーストーンの状態を【万物積算】で最終確認していた。


「…ダメだ。安定はしたが、強度はギリギリだ。これはあくまで『応急処置』だ。調子に乗るな」 彼は、レオと商人たちに向き直り、プロジェクトマネージャーとして、最も重要な「安全管理」の指示を出した。


「いいか、よく聞け。この橋の『許容荷重(きょようかじゅう)』…つまり、安全に渡れる重さの限界は、俺の計算では100kgだ」

「ひゃ、100kg…? 俺とギムレットさんは、それだけでアウトじゃないか!」

 レオの言葉に、商人たちも青ざめる。


「だから、一度に渡れるのは一人ずつだ!」 コウスケはクララに指示を飛ばす。

「クララ! すぐに商人たちの荷物を仕分けしろ! 一つの荷物が100kgを超えないように、すべて小分けにするんだ! 重量は俺が【万物積算】で確認する!」

「りょ、了解!」


 コウスケは、キャラバンのリーダーに向き直った。

「あなたの運んでいる『薬』とやらが最優先だ。まず、それを運ぶ準備を。それと…」 彼は、絶望的な顔で立ち尽くす商人たちを、静かに、しかし強く鼓舞した。

「馬車は諦めてもらう。だが、命と、あんたたちの一番大事な荷物(クスリ)は、必ず向こう岸に届けてやる。まだプロジェクトは終わってない。手を動かせ!」


 それは、剣も魔法も使わない、あまりにも地味な「勝利」だった。 だが、絶望的な道を「知識」と「技術」だけでこじ開けたコウスケの姿は、商人たちの目には、どんな英雄よりも頼もしく映っていた。

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