第二十六話『空の架け橋(スカイ・ブリッジ)』

コウスケの指示による『仮設トラス構造』は、完璧に機能した。 商人たちは、100kgずつに小分けされた荷物を背負い、まるでアリの行列のように、慎重に、しかし着実に橋を渡り終えた。最後の商人が渡り終えたのを確認すると、コウスケは橋の入り口に「危険:許容荷重100kg」と記した簡易的な看板を設置した。


「あ、あの…冒険者様! なんとお礼を言ったら…!」 キャラバンのリーダーは、コウスケの前に走り寄り、深々と頭を下げた。彼は震える手で、金貨が詰まった革袋を差し出そうとした。


「どうか、これをお納めください! 少ないですが、命と、この薬を救っていただいたお礼です!」


 レオが「お、ラッキー!」と手を伸ばしかけたのを、クララが肘で鋭く制止する。 コウスケは、その革袋には目もくれず、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。


「報酬は結構です。その代わり、これを受け取ってほしい」

「…これは?」


 商人が受け取ったのは、今回の『応急処置』にかかった木材の量、作業人員、そして推定工数を記した、簡易的な『施工報告書』だった。


「俺たちは『礎の谷・都市開発ギルド』だ。もし、あなたがこの先の街で、『橋が壊れていて困っている』という別の商人に出会ったら、この報告書を見せて、こう伝えてほしい」 コウスケは、商人たちの目をまっすぐに見た。

「『礎の谷』に行けば、どんな無茶な現場(げんば)でも、必ず『道』を造る連中がいる、と」


 商人は、金貨よりも遥かに価値のあるものを託されたかのように、その羊皮紙を両手で固く握りしめた。


「…かしこまりました! このご恩、そして『都市開発ギルド』の名は、決して忘れません!」



「さて」 遠ざかっていくキャラバンを見送ったコウスケは、仲間たちに向き直った。

「クララ、今のやり取りは『宣伝広告費』として計上しておいてくれ」

「…はあ? お金をもらってないのに?」

「金銭的な『売上』にはならなかったが、俺たちのギルドの『ブランド価値』という資産を、大陸に広めるための『投資』だ。費用対効果は、いずれ何倍にもなって返ってくる」

「…もう、あんたの言うことは、時々本当にわからないわ」

 クララは呆れながらも、コウスケの言葉を手帳に几帳面に書き留めていた。



 一行は、再び南へと馬車を進めた。 『礎の谷』周辺の鬱蒼とした森は姿を消し、徐々に、空が広くなる。木々の背は低くなり、剥き出しの岩肌が目立つ、荒涼とした高地へと入っていた。空気は澄んでいるが、薄い。


「おーっ! 見ろよ、すげえ景色だ!」


  レオが、馬車の外で大声を上げる。 『礎の谷』とは全く違う、広大な空と大地に、彼の冒険心は最高潮に達していた。


 ギムレットも、街道の敷石を感心したように眺めている。


「…この石畳、谷の連中が造ったものより古い。だが、遥かに精巧だ。どんな職人が、こんな辺鄙な高地に、これほどの道を…」


 旅を続けること、さらに二日。 彼らは、ついに「それ」を視界に捉えた。


「…………」


 誰もが、言葉を失った。 目の前に、突如として世界が終わりを告げていた。 大地が、まるで巨大な神が振るった斧の一撃によって断ち切られたかのように、垂直に裂けている。雲が遥か下に見え、その底は暗い霧に包まれて、見通すことすらできない。あまりにも巨大な峡谷だった。


「うそ…」クララが、地図を握りしめたまま青ざめた。

「地図では、この先に道があるはずなのに…」

「どうなってやがる…これ、どうやって渡るんだよ…」

 レオが、絶望的な声で呟いた。


「いや…見ろ。あそこだ」

 ギムレットが、震える声で、峡谷の対岸を指差した。


 そこには、橋があった。 いや、それは、コウスケが、いや、この世界の誰もが知る「橋」という概念を、遥かに超越した「何か」だった。 峡谷の断崖から、まるで自然の一部であるかのように、巨大な石造りの構造物が、対岸へと伸びている。 それは、一本の道ではない。 幾重にも重なったアーチ、天を突く尖塔、そして、橋桁そのものの上に築かれた、無数の建物群。


それは、「橋」であり、同時に一つの「都市」だった。


「…馬鹿な」 職人の王であるギムレットが、自らの目を疑うように呟いた。

「あんな長大なスパン(距離)を、石だけで…? どんな荷重計算だ…? 魔法か? いや、これは魔法なんかじゃない…技術だ。信じられん…」


レオは、ただ口を開けて、その光景を見上げていた。


「すげえ…街が、空に浮いてやがる…!」


 コウスケは、無言でスキル【万物積算】を発動していた。 彼の目には、その「空中都市」の構造が、青い光の線となって流れ込んでくる。


(…違う。ただの石じゃない。石材の内部に、未知の金属繊維が組み込まれている…『プレストレスト・コンクリート』、いや、それ以上の技術だ。橋全体が、一つの巨大な『カンチレバー構造』として、両岸から完璧なバランスで張り出している…)


 それは、彼が前世で学んだ、どんな現代建築をも凌駕する、神業のエンジニアリングだった。


 だが、その荘厳な威容とは裏腹に、その「都市」から、あるべきはずのものが、完全に欠落していた。 生活の音だ。


「…静かすぎる」

 

 クララが、不安げに呟いた。 これほどの巨大都市だ。活気ある市場の喧騒や、人々の話し声が聞こえてきてもいいはず。 だが、聞こえるのは、峡谷を吹き抜ける風の音だけ。 都市の入り口であるはずの巨大な城門は、半分崩れ、黒い口を開けたまま、彼らを招き入れている。


 一行は、馬車を降り、ゆっくりと橋の入り口へと近づいた。


「…おい、コウスケ、見ろよ、あれ」

 レオが、剣の柄に手をかけながら、城門の柱を指差した。 そこには、明らかに刃物ではない、「何か」によって抉られた、巨大な爪痕が、生々しく刻み込まれていた。


 コウスケは、その爪痕を【万物積算】で分析する。

「…この損傷、風化じゃない。物理的な衝撃による『構造的欠陥』だ。しかも、比較的新しい」 ギムレットも、その爪痕を検分し、唸った。

「そして、デカい。この爪痕を残せる主は、俺たちが森で出会ったどんな魔物よりも、遥かに…だ」


 コウスケは、興奮から一転、プロジェクトマネージャーの冷徹な顔に戻った。

「計画変更だ。これは、単なる『古代建築の調査』じゃない」 彼は、仲間たちに告げた。 「これより、『A級ハザード(危険)環境下における、現場調査』を開始する。全員、最大級の警戒(アラート)で進むぞ」


 不気味な静けさに包まれた「空の架け橋」が、彼らの侵入を、まるで待ち構えていたかのように、その全貌を横たえていた。

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