第七章 秩序への反逆

 銃声が制御室に響いた。


 スカーレットの弾丸は私の頬を掠め、私の弾丸は彼女の肩を撃ち抜いた。


 彼女は壁に背を預けながらも、まだ銃を手放さなかった。


「この街の女王は……偉大だった」


 血を流しながらも、スカーレットは話し続ける。


「ウィルシャー様は私たちに真の自由を与えてくださった。現実の束縛から解放される自由を」


「それは逃避だ」


 私は銃を構えたまま答えた。


「現実から逃げることは自由じゃない」


「では現実とは? 毎日の労働、争い、老い、死……それが本当に価値あるものだとでも?」


 スカーレットの問いに答えはなかった。確かに現実は厳しく、苦痛に満ちている。だがそれでも……


「現実には可能性がある」


 私は言った。


「変化の可能性、成長の可能性、そして他者との真の繋がりの可能性が」


「機械の中にも繋がりはある」


「偽物の繋がりだ」


「偽物? では何が、誰が本物を決めるというのだ?」


 哲学的な議論をしている場合ではなかった。遠くから爆発音が聞こえてくる。各コムの軍勢が要塞に到達し、戦闘が始まったのだ。


「もう時間がない」


 私はスカーレットに近づいた。


「降伏しろ。治療が必要だ」


「……私の役目はまだ終わっいない……」


 彼女は最後の力を振り絞って銃を持ち上げようとした。

 私は躊躇なく引き金を引いた。


 スカーレットは崩れ落ちた。最後まで忠誠を貫いた戦士だった。


 私は制御室のメインコンソールに向かった。プロメテウスの全システムがここで管理されている。水の供給、電力分配、通信網、そして経験機械の制御も。


 画面に表示されているデータを確認する。驚くべき事実が判明した。経験機械のユーザー数は私が見た培養施設の数を遥かに上回っていた。要塞内の至る所に隠された施設があり、そこに数千人の市民が接続されているのだ。


 プロメテウスの人口は一万人程度だったはずだが、その大半が経験機械に接続されていることになる。これは単なる社会実験ではない。文明の転換点だった。


 私は通信システムを起動し、全コムに向けて追加の情報を発信した。


「こちらノア。追加情報を送信する」


 私は経験機械の詳細な仕様とユーザーデータを送信した。


「この技術の価値は計り知れない。だが同時に危険でもある。適切な管理と規制が必要だ」


 各コムがこの情報をどう利用するかは予想がつかない。争奪戦になる可能性もあれば、協力体制を築く可能性もある。


 だがそれは私の仕事ではない。

 私はただ契約を履行し、新しい可能性への扉を開いただけだ。


 制御室の窓から外を見ると、複数のコムの軍勢が要塞を包囲していた。アマゾネスの戦士たち、アトリエの芸術家たち、そして見知らぬコムの兵士たち。皆が経験機械を求めてここに集まってきている。


 戦闘はまだ散発的だった。各コムは慎重に相手の出方を探っている。全面戦争になれば、経験機械も破壊されかねない。誰もそれは望んでいない。


 私は最後の仕事に取りかかった。エデンへの水の供給を完全に復旧し、自動システムで継続されるよう設定する。これで契約は完全に履行される。


 その時、制御室のドアが再び開いた。今度は見知らぬ女性だった。軍服を着ているが、どのコムの所属かは分からない。


「あなたがエンフォーサー・ノアですね」


 彼女は敵意を示さなかった。


「私はコム連合の調停官、カタリナです」


 コム連合。

 フロンティアの主要コムが形成する緩やかな協議体だ。

 通常は貿易協定の調整などを行っているが、今回のような重大事件では調停役を果たすこともある。


「調停に来たのか?」


「はい。この技術をめぐって全面戦争が起きれば、フロンティア全体が破滅します」


 カタリナは冷静だった。


「各コムの代表と会談を行い、経験機械の管理と利用について合意を形成したいのです」


「私に何を求める?」


「技術的な詳細の説明と、現状の証言をお願いします」


 私は頷いた。合理的な提案だった。


「分かった。協力しよう」


 だがその前にやるべきことがあった。

 私は培養施設で救出した市民たちの安否を確認したかった。


「少し待ってくれ。確認したいことがある」


 私は制御室を出て、避難用シェルターに向かった。女性たちは無事だった。金髪の女性が代表として私に近づいてきた。


「ノアさん、ありがとうございました」


「まだ安全とは言えない。しばらくここに留まってください」


「私たちはどうなるのでしょうか?」


 彼女の質問に私は正直に答えた。


「分からない。だが少なくとも選択の自由は取り戻した」


「選択の自由……」


 彼女は複雑な表情を見せた。


「正直に言うと、機械の中の世界は美しかったんです。痛みも悲しみもなく、愛する人と永遠に共にいられる世界でした」


「それでも現実を選んだ」


「はい。偽物の幸福よりも、本物の可能性を選びました」


 私は彼女の肩に手を置いた。


「それが人間だ」


 シェルターを出ると、要塞の様子が一変していた。各コムの代表団が要塞内に入り、緊急会議が開かれているようだった。武力衝突は回避され、外交的解決に向かっている。


 私の役目は終わった。


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