第51話 秘密の守護者わんこの、冷たい嘘と甘いフォロー
唐突な健太の登場によって、俺の中にあったはずの覚悟は散り散りになってしまった。ようやく言えるかと思ったのに。
とはいえ、朝っぱらから人通りの多い通学路で告白しようとしていた俺にも非はあるだろう。
けれど、湧き上がる怒りは抑えられず、俺は健太の脛を思い切り蹴飛ばした。告白を邪魔されたとは言えないが、こちらには背中を叩かれた仕返しという名目があるのだ。
「なにすんだよっ! 痛いだろうがっ!」
「でっ……! ちょっ、脛はやめろって、脛はっ!」
「うるさいっ! いきなりぶっ叩きやがって!」
二度、三度と蹴りつけると、健太の顔が痛みに歪む。それでも怒りは収まらず、もう一度脚を振り上げたところで、そっと肩に触れてくる手があった。
沙霧だった。
「樹くん、やりすぎてはだめですよ。お友達に暴力はよくないと思います」
「そ、そうだぞ樹っ──って……あれ?」
沙霧が庇ってくれたと思ったのか、俺に抗議しようとした健太は、不意に首を傾げた。
「……なんだよ?」
「いや……月島、まだ樹のこと名前で呼んでね……? しかも、また一緒に登校してるし、やっぱりお前ら……」
「…………」
しまった……。
手を離して安心してたけど、もう少し距離を空けておくべきだったか……。
沙霧との登校に浮かれすぎていた自分に反省しつつも、健太を誤魔化せそうな言い訳が思い付かない。口を横に結んで、疑わしげな視線に耐えていると──
「……私に任せてください」
耳元で落ち着いた声がして、沙霧が一歩前へ出た。
「樹くんとは、さっきばったり会って、せっかくですのでご一緒させていただいていただけですよ。クラスメイトですもの。理由なんて、それで十分とは思いませんか?」
沙霧は平然と大嘘をついた。やましさなんて微塵も感じさせない、涼し気な表情で──というより、どこか瞳が冷たい。
もしかして……沙霧、怒ってる?
「でも、名前で呼んでんじゃん。樹が名字じゃないって、昨日わかったはずだろ?」
っとに……面倒くさい男だな!
人が隠したがってることを詮索すると、いつか痛い目を見るぞ!
いっそ、もう一発蹴ってやろうか……!
なんて考えたが、沙霧に暴力的な男だとは思われたくない。ここは、任せてと言ってくれた沙霧を立てておくべきだろう。
「そうですね。確かに今は、ちゃんとわかった上で呼んでいますよ──樹くん、と。ですが、一度始めた呼び方を途中で変えるのも変じゃないですか。むしろ、その方が意識しているように見えませんか?」
「えっ……そ、それは……そう、なのか?」
「はい。ですので、ご期待に添えなくて申し訳ありませんが、樹くんとはそういう色っぽいことは一切、これっぽっちもございませんの。ご理解いただけましたか、桜肉くん?」
「あー……うん。すまん、俺の勘違いだったみた──んっ? 待って! また俺のこと桜肉って言った?!」
「あら、違いましたか? 美味しそうなお名前だと思って記憶しておりましたが」
「ちげぇよっ! 桜井だよっ! 頼むからちゃんと覚えて?! いや、この際間違えてもいいから、馬刺しにだけはしないでっ!」
「そう言われましても──私の中では、桜肉くんで定着してしまいましたし……?」
「ひでぇっ……!」
沙霧は健太にきっちりトドメを刺した。健太は天を仰いで叫ぶと、しゅんと肩を落として校門へふらふらと歩き出す。どうやら、俺が手を下すまでもなかったらしい。
……ただ。
沙霧の言葉は俺の心にも少なからずダメージを与えていた。本気で言ったわけではないと、頭ではわかっているが──
一切、これっぽっちも……かぁ。
告白一歩手前まで踏み切った俺には、想像以上に刺さる言葉だった。
「ふぅ……今回も秘密を守り抜けましたね」
沙霧は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、健太の背中を見送っている。俺は俯き、小さくため息をついた。
「はぁ……辛い」
「なにがです?」
「うわっ……! もしかして、聞こえてた……?」
「聞こうとしなくても聞こえますよ。だって──」
沙霧は周囲に気を配りつつ、俺の胸にとんっと手を置いた。
「樹くんの……大切なご主人様のお声ですもの♡ たとえ人混みの中でだって、絶対に聞き逃したりしないですわんっ♡」
「……っ?!」
唐突なわんこモードに、心臓が跳ねる。さっきまで、完全な擬態モードだったのに……本当にオンオフが上手くなったものだ。
「これはあくまでも予想ですが……樹くん、さっき私が言ったこと、気になさっているのでしょう?」
「えっ、いや……それは……」
「ふふっ、樹くんはとってもわかりやすいですね。あんなの真っ赤な嘘に決まってますのに。だって、昨夜誓ったばかりでしょう? 私の身も心も、ずぅっと、ご主人様だけのものですわんっ♡」
「……うん」
沙霧には敵わないな……。
ころころとモードチェンジをして、俺を振り回して。
そんなところが、好きでたまらない。この気持ちを伝えずにいることは、どうやってもできそうになかった。
「あ、あのさっ……さっき言おうとしてたことなんだけ──んむっ?!」
沙霧の白い指先が、ちょんと俺の唇を塞ぎ──言葉どころか、呼吸さえも止めさせた。
「その話は後ほど、ゆっくりと聞かせてください。私も、楽しみにしてますから……今は、これ以上誰かに怪しまれないようにしませんと」
またしても、俺の想いは内に引っ込められた。なのに今度は、苛立つことはなかった。
沙霧が楽しみにしてくれている、待ってくれている。その事実が、どうしようもなく俺を満たしてくれた。
胸の奥の痛みが、沙霧の声にそっと撫でられるように溶けていく。
また邪魔されるのは嫌だし……帰ってからにしようかな。
そうしたら、俺達の関係はどんな風に変わるんだろう?
意外と、恋人同士になってもあんまり変わらなかったりして。
「さ、私達も早く教室に参りましょ?」
「うん、そうだね」
期待に胸を膨らませながら、先に歩き出した沙霧の横に並ぶ。人一人分の間を空けて、今だけは、ただのクラスメイトを装って。
そうして──今日もまた、学校生活という日常が始まった。
真面目に授業を受けているふりをして、時折、こっそり沙霧と視線を交わす。そのたびに、沙霧は愛くるしいわんこの目で俺を見つめ、声なき鳴き声を送ってくる。
──わんっ♡
──きゅーん♡
──くぅん♡
唇の動きだけで、どんな鳴き声なのか手に取るようにわかる。
そんな秘密のやり取りを重ねて、四時限目の途中──空腹感を覚えた俺は、ふと気付く。
そういえば……。
沙霧はどうやって弁当を渡してくれるつもりなんだ?
俺の弁当は、まだ沙霧の鞄の中。
新たな火種の予感に、胸がざわつく。
沙霧が作ってくれたおかず、めちゃくちゃ楽しみにしてるんだけど──
俺、無事に食べられるのか……?
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