第52話 激甘わんこと、愛犬弁当
この奇妙な関係を公にしたくない。それは、俺と沙霧の共通の認識である。
昨日は火消しに苦労したし、今朝も健太に怪しまれたばかり。そう考えれば、賢い沙霧のことだから目立った動きは見せないだろう。
うん……心配しすぎだな。
おおかた、また手紙かなにかでこっそりと呼び出して、人目につかない場所で渡してくれるつもりなのだろう。
そんな風に思っているうちに、授業はほとんど内容が頭に入らずに過ぎていく。
やがて、昼休み開始のチャイムが鳴る。教科書やノートを机の中にしまいながら、なんでもない風を装って沙霧を盗み見た。
先生が教室から出ていくやいなや、沙霧は鞄を手に立ち上がり──俺の方へ真っ直ぐに歩いくる。
俺は秘密のメッセージが投下される瞬間を待った。
ほんの数秒後、机の上に黒い影が落ちる。長く艷やかな髪が、視界の端で揺れ──
そして、爆弾が投下された。
「樹くんっ。お昼、ご一緒しませんか?」
「……はぇ?」
一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。沙霧は穏やかな微笑みを浮かべて、俺の正面に立っている。
教室が、一気にざわついた。
けれど、沙霧はまるで気にせず、俺の腕を取る。
「沈黙は承諾と捉えますよ。では、参りましょうか」
「えっ? えぇっ?!」
質問する隙すら与えられなかった。沙霧の細腕からは考えられないような強引さで、俺は今日もまた昼休みの教室から連れ出された。
背後で、クラスのどよめきがより大きく膨らんでていくのを感じながら。
それでも沙霧は止まることなく廊下を突き進む。そうしてたどり着いたのは、昨日の密会場所と同じく、屋上手前のスペースだった。
人目がなくなるなり、沙霧はすぐに甘えるように身体を寄せてくる。
「ふぅっ、ちょっぴり緊張してしまいましたが……連れ出し成功ですわんっ♡ ご主人様ぁっ♡」
「ちょっと待って?! なにしてくれてんの、沙霧っ?!」
「きゃんっ♡ もう、そんなに大声を出したら見つかってしまいますわんよ?」
「あんな堂々と連れ出したら、今更見つかっても大差なくないっ?!」
「だめですわんっ! ゆっくりお食事できなくなってしまいますもの。それにあの程度、また鎮火すればいいだけです。私にかかれば容易いことですわんっ♡」
「……まじかよ」
このわんこ、無敵すぎる。昨日のあれですっかり自信をつけてしまったらしい。その気楽さに、俺は膝から崩れ落ちた。
まーた今日もヒヤヒヤさせられるのかぁ……。
いや、でも……猛犬沙霧を解き放てば全てに片がつくかも……?
よーしっ……!
なんだか大丈夫そうな気がしてきたぞー!
俺は半ばやけくそ気味に、考えることを放棄した。
「てかさ、弁当渡すだけなら、わざわざ連れ出す必要なかったんじゃないの?」
「ご主人様……私の言ったこと、ちゃんと聞いていませんでしたね? ご一緒しましょう、そう申し上げましたのに」
「あっ……そういえば?」
「まったくもう……昨夜約束したんですから、忘れないでほしいですわんっ!」
「約束……って、なんだっけ?」
「はうっ! ひどいですわん、ご主人様ぁ……これからは、隣で食べてくださると言ってくれたじゃないですわんっ!」
沙霧は俺の横にぺたんと腰を下ろし、ぐりぐりと身体を擦り付けてくる。それでようやく俺も思い出した。
「あー……そうだったっけ。てっきり、家での話だとばかり──」
「やっ、ですわんっ! 私はいつでもご主人様と一緒がいいんですのっ! ねぇ、ご主人様ぁ……♡」
「わかった! わかったって……!」
甘えた声で呼ばれたら、首を縦に振るしかないだろう。
すまん、健太。
これからはボッチ飯になるかもだけど、許してくれ。
俺は心の中で、いつも昼を共にしていた健太に詫びを入れた。友人も大事だが、好きな女の子と天秤にかければ、どちらに傾くのかは明白だった。
「わふんっ♡ ではでは、お待ちかねのお弁当の登場ですわんっ。味にはあまり自信がありませんが……ご主人様を想って作りましたの♡」
「うん……ありがと。嬉しいよ、すごく……」
沙霧から弁当箱を受け取ると、胸に迫るものがあった。使い慣れた自分の弁当箱──けれど、この中には男のロマン的な物が詰まっているのだ。
「開けても、いいかな?」
「もちろんですわんっ♡」
「じゃあ──」
ゆっくりと蓋を開けた俺は、思わず言葉を失った。
カラーリングは、茶色と黄色の二色。茶色は俺の作った炊き込みご飯と唐揚げ。そして黄色は全て──
玉子焼きだった。
弁当箱の半分以上を埋め尽くす、玉子焼きだった。
「えーっと……あの、これは……?」
「愛犬弁当ですわんっ♡」
「愛犬弁当ってなにっ?! 初めて聞いたんだけど?!」
「もちろん、愛犬の作ったお弁当のことですわん♡」
「まんまかいっ!」
思わず叫ぶと、沙霧はあざとく小首を傾げてにこっと笑った。
「……えへっ♡」
いや……可愛いけどさぁ。
そういう意味じゃなかったのに……。
これじゃ、愛玉子焼き弁当じゃん……?
まぁ、ありがたく食べるけど。
若干期待を裏切られた感は否めないが、沙霧が作ってくれた事実は変わらない。それがなによりも重要なのだ。
俺は弁当箱を膝に置き、手を合わせた。
「いただきます」
「わんっ♡ 召し上がれ♡」
まずは玉子焼きからだろう。焼き加減は上々、ふっくらとして美味しそうだ。見た目に関しては、俺が作るものと遜色ない。
ぎっちり詰め込まれた玉子焼きを一切れ、箸で摘んでパクリ──
その瞬間、口いっぱいに強烈な甘みが広がった。
「あっんまぁっ!!」
え、待って待って。
これって玉子焼きだよね?
お菓子じゃないよね?
そう思ってしまうくらい、激甘な玉子焼きだった。俺の反応を伺っていた沙霧は、ビクリと肩を震わせる。
「そ、そんなはずは……」
そう言って、自分も一口。
「あっまぁっ!! ですわんっ!!」
作った本人が驚愕してどうする……。
こんな時でもわんこモードを忘れないプロ根性には感心してしまう。
どうにか口の中身を飲み込んだ沙霧は、もじもじと俺を見つめた。
「……えへっ♡ 失敗しちゃいましたわんっ……♡」
使い古された、てへぺろのポーズ。その効果は絶大だった。
ぐぅかわっ……!
もうなんでも許しちゃうわ……。
だって可愛いもんっ!
俺はもう一切れ、玉子焼きに噛み付いた。
「ご、ご主人様ぁっ?! そんな無理に食べなくても……」
「食べるよ……残したりなんて、絶対しないから」
この玉子焼きにはきっと、沙霧の気持ちがたくさん込められているはずなのだ。一欠片だって、残せるはずはなかった。
「でも……美味しくないですし……」
「甘いってわかって食べれば美味しいって。それにほら、唐揚げも炊き込みご飯もしょっぱいし、交互に食べたら味のバランスも取れるし。甘いしょっぱいは無限ループ、ってね?」
「……ご主人様ぁっ♡」
その大きな瞳に涙をにじませながら、沙霧が俺にぎゅっと抱きついてきた。まったく、可愛いわんこじゃないか。
「ほら、沙霧も食べなよ。食べないなら、その甘々な玉子焼き、俺がぜーんぶもらっちゃうよ?」
「くぅん……♡ 食いしん坊なご主人様ですわんね。そういうことでしたら──」
沙霧は自分の弁当箱から、玉子焼きを一つ、俺の口元へと運んだ。
「あーん♡ ですわんっ♡」
「……あーん────うん、やっぱり甘くて美味しいよ」
「もうっ! ご主人様ってば、お上手ですわん♡」
「だって、本当に美味しいし」
沙霧が作ってくれたものを、沙霧の手ずから食べさせてもらって、不味いなんて思うわけがない。それどころか、舌が慣れてきたおかげで、極上のデザートのようにも感じる。
……まるで沙霧みたいだな。
沙霧が甘けりゃ、玉子焼きも甘い。やっぱり、しっかりと沙霧の気持ちが入っていたわけだ。
完食する頃には、腹も心もすっかり満たされていた。でも、この甘さに慣れきってしまったら──
そう思うと、少しだけ怖くなった。
けれど、怖がっている場合じゃない。この甘やかで危険な関係は、俺が望んでいるものでもある。
望むなら、手を伸ばさなければ掴めないはず。今こうしていられるのはただの幸運で、いつかは零れ落ちてしまう可能性を秘めている。
そうならないために、俺にできることはなんなのか──
秘密を守りつつ、ずっと沙霧といるために。
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