第27話 17 桜木町2000

 しばらくしてから電車は出発した。

 高架線路の上を、S鉄道と同じように電車は無灯火で走った。

 横浜駅からしばらくビルの谷間を進む。

 それが途切れると、左手に首都高のみなとみらい出口に通じる高架が電車よりも高い位置を並走し、右手は国道十六号が走る開けた空間になった。


 見上げるランドマークタワーに今のところ大きな異変はない。

 電車は目と鼻の先の桜木町駅に向かって減速していった。

 左の首都高の高架が地上に向かって下り始める。さらにみなとみらい方面の見通しが利くようになってきた。

 首都高は現在閉鎖中なので、車は一台もいない。

 そのはずだった。


「RPG!」

 誰かが叫んだ。

 車内が暗いおかげで、明るい光点が数両先の車両に飛んでくるのが見えた。首都高が線路と同じくらいの高さになるあたりから、ロケット弾が飛んで来たのだ。

 背筋が凍るのと、体が勝手に動き始めるのにコンマ数秒。


 僕はとっさに直香に飛びつくと、彼女の頭を抱えてそのまま床に倒れこんだ。

 着弾地点はわからない。

 少し前の車両が少し飛び上がった気がした。

 音と衝撃で、窓ガラスはすべて割れた。

「きゃー!」

 耳元の直香の声も小さく感じた。

 電車は脱線し、激しく揺れながら緊急ブレーキで止まった。立っていた者は、ロケット弾攻撃よりもそのブレーキでなぎ倒された。


「ちくしょう、やりやがったな!」

 誰かが叫んだ。

 素早く立ち上がった警官や警備員が、割れた窓から自動小銃で無茶苦茶に首都高を銃撃し始めた。

 予想外に反撃が早かったのだろう。首都高から追加の攻撃はなく、敵はさっさと退散したようだ。


「大丈夫か?」

「たぶんね」

 直香は僕に手を引っ張られながら立ち上がった。

「今のRPG? なんでそんなものがあるんだよ」

 その直香の疑問は、乗車しているすべての人間のものだった。

 前方車両ではけが人の救出が始まっていた。


「人は多い。俺たちは行こう」

 僕は多くの警官がその車両に向かっているのを見て、そう判断した。

 僕たちはすでに誰かが開けていたドアから外に飛び降りた。

 二両ほど前の車両から煙が上っている。はずみで切れた架線が垂れ下がっていた。

 線路の上を警官と警備員たちが歩いて駅に向かっている。

 銃声がいたるところから響いていた。


「本部、こちらシエラ・ツー。乗っていた電車が攻撃を受けて止まった。もうほとんど桜木町駅だ。歩いて向かいます。どうぞ」

『了解。現在、本社と県警本部が攻撃を受けて応戦中です。次の指示があるまで安全な場所で待機してください。どうぞ』

「県警が……。本当ですか?」

『あっという間です。とにかく、安全な場所を探してください。警備体制を整えるような状況にありません。本社に来ようとしなくていいです。十分前に神奈川県知事が治安出動要請を出しました。なぜか、その場で陸自の第一空挺団と第一師団の派遣が通達されたそうです。なんとかやり過ごしてください。以上、交信おわり』


 もはや本社の応援どころではないことを知った。自分たちがどう生き残るかになっている。

「安全なところって言ったって……」

 駅についてホームによじ登る。

 桜木町駅は大変な騒ぎになっていた。どこで待機していたのか、消防局の救急隊員がもう来ている。

 そう言えば、栞菜の恋人もこんな現場に来ているんだろうか。

 僕はそう思って襲撃現場を振り返った。


 その時、再び電車の至近で爆発があった。

 バアーン。

 とっさに身を伏せる。

 ロケット弾じゃない。大黒ふ頭の時と同じ、グレネードランチャーだ。

「ここはまずい、行こう!」

 あっけに取られている直香の背を押すようにして階段を駆け下りて、入り乱れる関係者の中、南改札を通り抜けた。


 無意識のうちに東口に出ていた。いつもの通勤経路だからかもしれない。

 広いバスターミナルの背景に、ランドマークタワー、クイーンズタワーの連なりがそびえる。

 ランドマークタワーへの連絡通路方面で銃撃戦が行われていた。いったい、誰と誰が撃ち合っているのかわからない。


 後ろを通り過ぎた県警の機動隊員が僕らを怒鳴った。

「ぼさっとするな! 突っ立ってるとやられるぞ!」

 タタタ。

 どこからの銃声なのか。

 耳のすぐそばでピュン、と銃弾が通り過ぎる音がした。

「あっち!」

 直香はJRの高架トンネルの向こうを指さした。国道の方でマズルフラッシュが瞬いている。


 歩行者は?

 いない。

 近辺にいた警察官や警備員が一斉に反応して銃を撃った。

 タタタタ。

 全く当たる気がしない牽制射撃をしながら、僕は直香に海の方を指さした。そちら側が、唯一銃声がしていない。

 直香は国道方面に向かって撃つと、広い車道を走った。僕も後を追う。


 直香が叫んだ。

「どうなってんの!」

「これはひどいな!」

 撃って走って叫んでいるとアドレナリンが噴き出てくるのか、恐怖や不安は一気に引いて行った。


 交差点の信号機はすべて赤が点滅しているだけだ。

 車は全く走っていない。

 銃を持たないタワマン住民が歩いていることもない。


 僕は大岡川の河口の向こうを見た。大きな結婚式場の奥に、さらに大きなOSS本社屋がある。見ただけではどういう状況なのかわからない。

 来なくていいと言われても、他に行く当てなんかなかった。だから、そちらに足が向かう。

 広い車道を斜めに走り抜けて、橋のたもとに来た時だった。


 河岸の遊歩道から上って来る階段に人影が現れた。

 相手の手元のガリル小銃よりも先に、中東のオペレーターのように顔に巻き付けたシュマグの方が目に入った。

 距離は一メートル。本当に出合い頭だ。

 お互いに目を見開く。

 後ろの階段にはさらに二人の男。同じようにアラブファッションだ。

 男たちは慌てて小銃をこちらに向けようとした。


 僕は反射的に先頭の男の顔面に掌底を叩きつけた。

 たいした突きじゃない。ただの牽制だ。

 相手がひるんだ一瞬で二歩下がり、腰のグロックを抜いて腰だめで正面の男に四発撃った。すかさずに構え直して二人目の男に五発撃ちこんだ。


 前の二人はそれで崩れ落ちた。

 三人目は?

 自分よりも低い位置にいた三人目を、僕は一瞬見失った。


 視界にとらえなおしたとき、彼は倒れてくる仲間二人を避けながら小銃の銃口をこちらに向けたところだった。

 僕も拳銃をそちらに向ける。

 が、間に合わない。

 妙に澄んだ頭が、冷徹にそう判断した。


 タタタ、タタ。

 僕の後ろにいた直香の方が早かった。

 敵が撃つ前に、直香の銃弾が敵の胴体に三発当たった。ヘッドショットは外した。躊躇したのだろう。

 僕は止めていた息を吐きながら倒れた三人を一瞥した。

 すぐに直香を促してその場を離れ橋を渡る。


「とどめは刺さなくていいの?」

 走りながら直香が叫んだ。

「もう動けねえだろ。戦争じゃないんだ、俺はやらないよ!」

「そだね!」


 幅の広い北仲橋を渡れば、すぐに市役所の超高層ビルだ。

 普段と同じように窓々には明かりがともり、城の月見櫓のように突出した市議会議事堂が街灯に白く浮かんでいる。

 少しほっとした。

 市役所は今のところ平静を保っている。

 そう思ったのも、つかの間だった。


 ブーンという音とともにはるか頭上を黒い影が走り、僕らを追い越して行った。

「ドローン?」

 速い。研修で何度か学んだFPVドローンだ。

 ドローンはそのまま市役所に突っ込み、爆発した。

 ドオーン!

 僕はその光景を見て、単純に度肝を抜かれた。


 さらに一機が超高層の庁舎の真ん中に飛び込み、一機が議事堂に体当たりした。いずれも爆発を伴っている。

「きゃあ!」

 直香が驚きの声を上げる。

 弱い爆風が吹き付けた。

 破片がばらばらと落ちてきて、川面に波紋を作った。僕たちは橋の真ん中で立ち止まった。


「ジャミングされてない⁉」

 僕は思わず口にしていた。TICADに備えた防空システムはすでに稼働しているはずだ。

 直香はすぐに僕の戸惑いを理解し、宙を舞う糸を指さした。

「有線だよ。ほら!」

「軍用品が取り締まりの目をくぐったのか」

 僕は思考停止して、周囲を見渡した。


 ひどい混乱の最中にいることをはっきりと自覚した。

 何をどうすればいいのか、さっぱりわからない。

 また、あの絶望的な飛行音が聞こえた。

 今度はすごいスピードで周囲の低層ビルの合間をすりぬけていく。

 ドローンには布がくくり付けられ、飛行風にあおられたそれは地上からはっきりと見えた。

 横浜市章に翼。


 ドーン、ドーン。

 ドローンの特攻だろう。遠くで空気を震わせる音がした。

「アキ、行こう! ここは危ない」

 直香の方が冷静だった。強い目で僕を促している。

 僕は直香につられるように走り始めた。

 とにかく身を隠せる場所に。


 市議会議事堂の足元で人が激しく往来していた。歩道にはガラスの破片がばらまかれている。

 職員や警備員が駆け回っているなかを通り過ぎて、僕たちは馬車道の入り口までやってきた。

「本部、シエラ・ツー。俺たちの位置は把握してますか? 本社のすぐそばまで来たのに、どこに行ったらいいかわからない」

『把握しています。本社が迫撃砲の攻撃を受けています。近寄らないでください』

 迫撃砲? 余計に混乱するだけだった。


 リンコの声の後ろで怒鳴り声が飛び交っているのが聞こえた。オペレーションルーム自体がハチの巣をつついたような状況らしい。

「本社にいる社員は少ないはずだ。大丈夫なんですか?」

「管理職も応戦してます。自衛隊が来るまで、この施設自体が落ちることはないから気にしないでください」


 ここでリンコの声が遠くなった。向こう側でいらだった声が聞こえる。

『え? こんな時に何言ってるんですか! でも、あの二人は……。そんなことはわかってます!』

 少し間があった。

『ごめんなさい。こちらは大丈夫です。シエラ・ツー、司令を修正します。大槻社本社に向かってください。今、都心部で動ける警備員はあなた達だけです。大槻社幹部の脱出の支援をしてください。ただ、県警にドローン攻撃があったという情報もあります。海岸通は避けて、馬車道方面から進んでください。どうぞ』


 最後の「どうぞ」に怒りがこもっているような気がした。

「了解。どちらにしろ、目的地はあった方がいい。おわり」

『野木さん。こんな司令、クソったれですよ』

 最後に歯ぎしりしそうな口調でリンコがささやいた。ものすごく妖艶な声だった。

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