第26話 16 横浜駅1930
YBPの立体駐車場に止めた社用車は、側面に大きなOSS社名ロゴ入りの軽バンだった。
僕たちがそこにたどり着いた時には、窓ガラスが割られ、中の装備が根こそぎ奪われていた。フロントガラスは蜘蛛の巣のようなヒビが隙間なく覆い、ボンネットは激しく波打っている。
「わお、ボコボコじゃん」
「やったやつは気持ちよかったんだろうなあ」
僕はむしろすがすがしい気分になりながら、無線で隊長に報告した。
『うちの車で移動するのはやめた方がいいな。いい標的だ。ここから徒歩だと本社まで一時間くらいか。弾薬はまだあるか?』
「マガジン六本分あります」
『心もとないが、それで何とかしてくれ。NASもちょうど補給前だったみたいで、分けるのを渋ってる』
僕は携帯のマップで本社までの最短ルートを調べた。だいたい頭の中で描いた通りだ。
直香は腰の拳銃のスライドを引いて装填状態にしてからホルスターに戻した。
気合入れの儀式だ。
「私も今あるだけだよ。うちの会社は予備なんて持って来てないし」
「車は?」
直香は、思わず、といった感じで笑った。
「ないよ。全員で電車遠足してきた」
「そりゃ楽しそうだ」
僕と直香の小銃は使っている弾が違うから融通し合うことができない。さっさと統一しないからだ。
YBPを出て、住宅街の中を天王町駅に向かった。その先はいかようにでもルートがとれる。安全そうな道を選ぶつもりだった。
駅から近い公園の近くに飲料の自動販売機があるのを見つけた。自販機は略奪の対象にはなっていないみたいだ。
僕は携帯の電子マネーで水を買って直香に渡した。
「飲み物の補給はどこでもできるね」
「不思議な気分だよ。自販機は使えるのに、人がいない」
「ホント。普段とは全然違う」
このあたりをよく知っている直香の方が、違和感は強いようだった。
天王町の駅周辺には、人も車も通っていなかった。
公園の大きく育った木を風が揺らす音が、ことのほか大きく聞こえる。街灯が街角を照らしている光景が森閑と感じられた。
直香は水のボトルのキャップを外し、飲む前に口を開いた。
「マロンさ、泣いてたじゃん」
「興奮しすぎておかしくなったんじゃねえの?」
「違うんだって。道でアキに馬乗りになられたとき、昔、お母さんの男に乱暴されたことを思い出しちゃったんだってさ」
「ああ」
僕は妙に納得しつつ、チクリとした痛みも感じてうなずいた。
「不安定だよ、あの人」
「だよねえ。でも、警備員には多いよね」
「まともな人間はすぐ辞めちまうんだろうな」
「私たちは?」
「う。どうだろうな」
また銃声が聞こえた。駅の方だ。
僕たちは線路沿いに並んだ店舗の際を進んで行った。
駅前広場を覗くと、改札のところから警備員が一歩出て銃を構えているのが見えた。
「OSSだ! 撃つなよ!」
僕は叫んだ。警備員は手を挙げて了解した旨を示した。
改札口は、照明は落とされていたが閉じられていなかった。駅員と、普段は電車内の警備をしている会社の社員が防水版を陣地にして守っている。
「乗りますか?」
通り過ぎようとした僕たちに、警備員が予想外のことを聞いてきた。
その間も、もう一人の警備員が「ゴキブリどもが!」と毒づきながら商店街方面に一発小銃を撃った。
「乗れるんですか?」
「特別運行中です。行政関係者と警備員は乗れます!」
直香が横から聞いた。
「横浜駅から先は? JRとか、MM線とか」
「動いているはずです」
「ありがとう。乗ります」
僕たちの会話を聞いていた駅員は、すぐに運行司令に連絡をした。
僕たちは改札の端から中に通され、暗い階段を上った。
「本部、こちらシエラ・ツー。S鉄道に乗れることになった。どうぞ」
『こちら本部。少しお待ちください……。横浜駅から根岸線に乗ってください。特別運行中です。MM線は防犯のため全線封鎖、K急線は戸部駅に襲撃があって運休中です。どうぞ』
「もう戸部で騒ぎが起きてるんですか?」
『すでにあちこちで起きてます。本社に招集がかかってますが、ご自身の安全を優先してください。かなり危険な状況になってきました。どうぞ』
「了解。ありがとう。おわり」
階段を上り切る。
照明を落としたホームには誰もいない様子だった。
そのホームに突然放送が鳴り響いた。
『ホームの一番前で待っていてください。もうすぐ横浜行が到着します』
言われたとおりにホームを歩いていると、電車が近づく音がする。
前照灯も車内灯も消した黒い塊がホームに滑り込んできた。
運転席のドアが開いて、小銃を構えた警備員が下りた。
「お前たちだけか? 一番前のドアから乗ってくれ。手動だから自分で開けろ」
警備員は僕たちが若すぎるからか、少し戸惑った様子ではあった。
軽いドアを開けて、中に入る。その車両には誰もいなかった。
電車が走り出してホームの壁がなくなると、暗い車内からはみなとみらいの超高層ビル群がよく見えた。
ランドマークタワーの装飾照明は消えているものの、窓の明かりや点滅する航空灯火はいつも通りだ。
夏の雲がいくつも明るい夜空に浮かんでいる。羽田行きの飛行機がそれを横切って行った。
運転席には警備員と運転手の他に、もう一人鉄道会社の社員が乗っていた。控えの運転手だ。全員ボディーアーマーにヘルメットを着用している。
運転台の計器表示は極めて暗い。運転手はすべての灯火を落とした電車をナイトビジョンを使って運転していた。
僕たちは落ち着かない気分で一番前のロングシートに浅く腰かけた。
「なんか緊張してきた」
直香が固い声で言った。
「俺もだ」
「これが終わったら、本気で転職考えようかな」
「何がしたい?」
「どこかの社内警備員とか? 委託警備はもういいよ」
「夢がない。現実とかいいから、もう少し楽しいのないの?」
「じゃあ、カメラマン」
「いいね。あちこち旅しながら?」
「ううん。地元の写真を撮りまくるんだよ」
「補助金で食いつなぎながら、そうやって暮らしていくのも、できないことじゃないかな」
直香は僕の方を向いた。
「一人分じゃ無理だよ」
「じゃあ、二人分にするか」
直香の目が揺れた……。
ような気がしないでもなかったが、次の瞬間にはふっと逸らした。
「アキは? 何かないの?」
「長距離トラック。会社で大型免許が取れたら。銃の扱いは慣れてるから、カージャックの時も安心」
「そっちこそ、全然夢がないじゃん。多分、もうすぐ自動化されるし」
「そうだなあ。本当はね、船に関わる仕事がしたい。何でもいいんだ。昔から、船に憧れがあるんだよ。最初の会社からクアッド・ポールに転職したのは、海に近かったからだった。でも、海に近いだけで、特に船と関わる仕事は多くなかった。やっぱり、港湾に強いのはOSSだと思って、また移ったんだ」
「へえ。豪華客船の警備とかできるもんね」
「こんな仕事、なにか自分の中でとっかかりがないと続けられないって思いもあった。豪華客船の警備で銃撃戦やるとは思わなかったけどな」
僕は笑い飛ばして言った。
「もっと違う仕事、あるんじゃない? 大学とか行ったら?」
「そうだなあ」
普段とはまるで違う緊張感が、二人の会話を素直にさせていた。
直香は穏やかな表情だった。
でも、そんな時間はすぐに終わる。
電車は途中駅二つを飛ばしてすぐに終着の横浜駅に到着した。S鉄道の線路はここで終わりだ。
いくつもホームが並んだ広い構内は、
「いいぞ、降りてくれ。すぐに折り返し出発する」
さっきの警備員が外からドアを開けて言った。
先頭車両以外にはそれなりに人が乗っていたようだ。武装した警備員などがホームに降り立った。
僕たちは礼を言って、関係者がまばらに立っているコンコースを改札に向かった。
特別警戒宣言は、実質的に地方自治体が発令する戒厳令だ。市民の外出は罰則付きで規制される。
一時間ちょっと前までは買い物客でにぎわっていたはずのS鉄道の駅が入っているビルは、全く人けがなかった。
「うわー、別世界だね」
直香は感嘆したように言った。
別世界はさらにその先に待っていた。
普段のこの時間、常に芋の子を洗うような横浜駅中央通路が、深夜早朝以上にガラガラだった。本来の広大な空間が、今立っている西口から東口の方まですっきりと見渡せる。
地下通路に並んだ電子サイネージが、見る人もいないのに企業広告を垂れ流していた。
この空間を独占できるというのは、後にも先にも今だけのような気がした。
JRの中央改札に近畿警備社の警備員が立哨していた。耳にしたヘッドセットを通じて、頻繁にやり取りをしている。
僕たちは警備員証を掲げた。警備員はそれを確認してから尋ねた。
「何線だ?」
「根岸線で桜木町まで」
「ちょっとまて」
警備員は手を動かして詰所の駅員に合図した。駅員は電話の受話器を置いてこちらを向いた。
「桜木町までだが、どうです?」
「大丈夫です! 今から、全列車が桜木町どまりの折り返しになります!」
はてなマークを浮かべた僕たちに、警備員は説明した。
「関内駅がかなり危険な状況になっている。電車はそこまではいかない。桜木町もどうなるかわからないから、気をつけろ」
「わかりました。ありがとう」
僕たちは閑散とした改札を潜り抜けた。
本部に問い合わせる。
「本部、こちらシエラ・ツー。今JRの改札を通った。この先の状況を知りたい。どうぞ」
『こちら本部。位置情報は確認しています。現在、関内の旧市庁舎近辺で激しい銃撃戦が行われています。人流データでは海岸通付近にも不穏な動きがあります。十分気を付けてください。どうぞ』
「了解。おわり」
直香は不安そうな表情を隠していない。きっと、僕の顔を見てそうなったのだろう。
「状況は悪い?」
「よくないな」
エスカレーターは動いていないので、長い階段を駆け上った。
東海道線と横須賀線は本数が激減しているが、京浜東北線と根岸線は高頻度運行を続けていた。理由はわからない。
ホームに出ると、遠くに小さな破裂音のようなものが継続的に聞こえる。
一気に緊張感が高まってきた。
僕たちはすでにホームにいた電車に飛び乗った。車内には警察官や他社の警備員がそれなりに乗っていた。
皆、僕たちと同じように都心警備のために召集されているのだろう。
気持ちが落ち着かないので椅子に座る気にならない。
この状況下でも会社の命令に従う理由があるのかという、素朴な疑問が浮かんだ。
僕はそれをそのまま口に出していた。
「このままとんずらしても、たぶん誰もわからないな」
「今はね。でも、間違いなくクビになる。それは困るでしょ」
僕が遁走などできない性格だとわかったうえで、直香は相手にしなかった。
直香は銃のグリップから離した自分の右手をしげしげと眺めている。何かのまじないなんだろうか。
僕は先ほどから気になっていたことを聞いてみた。
「そのドットサイト、最近つけた? いいやつじゃん」
直香はうなずいた。
「友達からもらったんだよ。お守りだね」
「ああ、それがあるなら大丈夫だ」
「何が?」
「無事でいられるよ」
直香は気弱そうに見える笑みを浮かべた。
「そうかもね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます