第24話 15 YBPの夕べ(1)
「アキさんって、家どこなんですか? ワタシ瀬谷区なんですけど、通勤めっちゃたいへんでぇ。でも、もしアキさんもS鉄沿線なら、一緒にご飯とかできますよね!」
「ざーんねん。S鉄ではないな」
「えー、じゃあワタシの未知の世界を知ってること? いろいろお店とか教えてくださいよー。私、食べることが生きがいでぇ」
「なにしろ自炊派なもんで」
「じゃー、料理教えてー」
うるさい。
僕の隣でぺらぺらしゃべり倒しているのは水野マロンで、青木警備保障の社員。ということは直香の同僚だ。
頭のネジが外れた同僚がいるとは聞いたことがあったけど、これのことか。
僕は藤田隊長と一緒に保土ヶ谷区にある横浜ビジネスパーク(YBP)に配置されていた。
重点治安維持区域からは外れているものの、中心市街の連なりのはずれあたりにある、都心部から至近の拠点だった。
三棟の象徴的なシルエットの高層ビルと他の低層ビルが、近代的な造形の広場を囲んでいる。
広場の中央には、円形の池を囲む回廊があった。プライベートで来ようとまでは思わない。それでも、回廊が暖色の照明で浮かび上がり、それが池に映っている光景はきれいだった。
ここは国内屈指のコンサルタント会社であるN社がデータセンターを置いている。
県警と情報部の言う危険予測の上位にある施設だった。郊外部の住民はエリートを敵視しやすい。
特別警戒宣言の発出は事前に知らされており、N社のグループ警備会社、NASがすでに厳戒態勢を敷いていた。
今回、自前の警備だけでいいと応援を断る企業も少なくない中、敷地内にパブリックスペースを多く持つYBPは増援を依頼した。建物はNASが守るから、外に人が欲しいということだ。
派遣されたのは僕たちOSSと、会社が近いというだけで選ばれた青木警備保障。
OSSからは僕と藤田隊長の二人、青木警備は全社員の四人だけという布陣だ。
特別警戒宣言だなんだと大げさに言っているわりに、ちんけな体制だった。僕は配置についてから肩透かしを食らった気分だった。
十八時〇〇分、事前通告通り、横浜市から特別警戒宣言が発出された。
防災無線がある地域にはサイレンが鳴り響き、市の防災アプリを入れている携帯からは不気味なアラートが鳴った。
全国のテレビ、ラジオでは緊急速報として報じられたはずだ。
社内の無線でも緊迫したやり取りが続いていた。
ところが、僕の持ち場には違う空気が流れていた。
「直香とはよく会ってるんですか? すごく仲よさそうでいいなって思うんだけど、なんだか彼女見てるとじれったくてぇ」
来た。
直香からは「いい子だけど、底なしの悪意がにじみ出るときがあるから気を付けて」とメッセージが来ている。
さっきから甘えたような口調で話しかけてくるのは単にそういうしゃべり方だからで、食事うんたらと言っているのは一番無難な話題だからだろう。
つまり、僕に変なちょっかいを出そうという気はないようだ。
だが、直香とのことをダシにして、いじめて遊んでやろうという魂胆は透けて見えた。
直香からは「マロン、大丈夫⁉」というメッセージも来ていた。とても心配らしい。
現場について藤田隊長がしたことは、マニュアルにあるフローチャートに僕たちの名前を当てはめて即席の警備計画を作ることだった。配置は機械的に決まった。
隊長は直香と、並んだ三棟の高層ビルの東側に立っていた。
僕はマロンと三連ビルの反対側にあたる南西の入り口、青木警備の社長夫妻は少し離れた西側だった。
「なにしろ、お互い忙しいからさ」
「そうなんですよお、忙しいのを言い訳にして、いろんなことに臆病になっちゃうんですよね!」
主語がないから誰のことを言ってるのかわからない。
「水野さんは? 忙しくないの?」
「マロンでいいですよぉ。あまり気にいってない名前だけど、親がガンギマリしている時に決めたらしいからしょうがないですよね?」
「そりゃ、ご両親がかわいそうだな」
「何言ってんですか! 私が生まれた後も結局入籍しなかった、無計画カップルです。実の父親は私が五歳のころには行方不明になって、それから私にはお父さんがたくさんできちゃいました」
この話を笑顔でするところがヘビーだ。
「じゃあ、水野さんも苦労したんじゃない?」
ついつい常識的な話し方になってしまう。
「マロンでいいですってばぁ。苦労って言えば苦労ですかねえ。小学校五年生の時、その時のお父さんが私に手を出してきたんです。まあまあイケメンだったし、最初はしょうがないかなって思ったけど、変なプレイになってきたんで思わず撃ち殺しちゃいました。それで私はしばらく施設に行くことになってぇ、それが一番大変だったな」
「それ、本当?」
「こんなことでウソつかないですよぉ。しかもその時その男に変な薬飲まされて、たぶんアイスだったと思うんだけど、注射するのはかわいそうだと思ったんですかねえ」
「いや、そこは問題じゃないだろ」
「私、その年に初体験も、人殺しも、ヤクも全部経験しちゃったんですよ。ひょっとして、ひいちゃいました? 私、男の人には早めにこの話することにしてるんです。受け入れられるかどうか、その人の度量がわかるっていうかぁ」
早すぎだ。だいたい、そんなポルノじみた告白ばっかりしてたら、変な男しか寄ってこない。
「水野さんが大変だったのはよくわかるけどさ、でも」
「でも、何です?」
マロンはいきなり真顔になって聞いてきた。僕は正直に心臓が縮んだが、思ったことは言うことにした。
「カウンセラーかソーシャルワーカーだな。今のマロンさんは、気持ちが平和ではないように見える」
マロンは冷たい目でこちらを見ると、視線と同じくらい冷たい声で言った。
「アキさんって、クソ真面目ですね。私、そういうのウザいなー」
うーん、失敗?
微妙な雰囲気になったと思ったら、マロンはいきなり満面の笑みになった。
「なーんてね。今、ワタシのことマロンって呼んでくれたの、チョー嬉しいです。アキさん、やっぱ食事しましょうよぉ。いろいろ語れそうじゃないですか、ワタシたち♡」
大変だなあ。
携帯が震えたので見ると、「マロン、大丈夫⁉」というメッセージがまた浮かんでいた。
そんな緊張感あふれる会話をしている僕たちの正面には、ビール坂という急坂がまっすぐに伸びていた。YBPのすぐわきにある丘陵から下って来る坂だ。
かつてYBPがビール工場だった時代につけられた名前だが、そのころとは違って今は丘の斜面にもびっしりと家が立ち並んでいる。
夜の家庭の明かりが斜面に散らばっていた。
その家々の足元、YBPに面した場所は、坂の左側は広大な駐車場、右側は新規のビルの工事現場になっている。
こうして見る限りでは、平和な光景だった。マロンのような子供があの中にいないことを祈るばかりだ。
と思ったら、奇声が聞こえてきた。
おりゃー。
ヒィーホー。
坂の方からだ。
「シエラ・ツーよりエコー・シックス。正面の坂から何か来ます。叫びながら降りて来てるみたいだ。どうぞ」
『確認しろ』
僕はYBPの敷地から低い生け垣を越えて歩道に出て、坂に目を凝らした。坂のカーブから人影が現れた。
「自転車?」
足で駆け下っているにしては速すぎると思ったら、自転車だった。
「銃、持ってません?」
マロンが短く言った。
二台のママチャリが来る。確かに、前の一台にまたがった男の肩には、スリングベルトのようなものがかかっているのが見えた。
「わからないな」
僕が小銃の安全レバーに指をかけながら言った時だ。
男が急ブレーキをかけ、坂の途中で止まり切れない自転車から飛び降りた。軽業のような動きだった。すごい運動神経だ。
イーホー!
あれはカウボーイのつもりなのか。
僕は頭の隅でそう考えながら、20式小銃のセーフティーを外し、構えた。
自転車から降りた男の手にはっきりとAKのシルエットが見えたからだ。
「止まれ! 銃を下ろせ!」
結構距離はあるが、聞こえるくらいの声は出した。男は無視した。
タタタ。
暗闇にマズルフラッシュが瞬いた。
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