第2話 1 セキュリティ・ブルース(2)

 最初に女性に声をかけた男の表情ががらりと変わり、瞬発力の良さをうかがわせる動きで女性を追いかけた。

 粘着質ねんちゃくしつ、というよりも、どこかタガが外れた気配がする男だった。

 他の男たちもニヤニヤ顔はそのままで、面白がるように後を追った。


「はあ」

 僕はため息をつきながらも、条件反射でドアに向かった。閉まる寸前でドアをすり抜ける。

 老婆の、まかせたわよ、という表情がうざい。


「何よ、あっちいってよ!」

 女性の甲高い声がホームに響いていた。女性はホームの端まで追い詰められている。

 男が何かを叫んだが、ちょうど発車した電車のモーター音にかき消された。

 パンクヘアの男が女性の腕をつかんでいた。つかまれた女性の腕の先には、ポリマーフレームの携行用拳銃が握られている。ちゃんと持っていたらしい。


 状況はよくない。

「何もしてねえだろうがよ! 銃口こっちに向けんじゃねえよ、クソアマ!」

「やめてよ!」

「銃持ったアバズレがリクルートスーツ着て就活かあ⁉ 調子こいてんじゃねえぞ!」

 女性は空いた左手でパンク男を叩き始めたが、仲間の一人が近寄って左腕をねじりあげた。


 痛がった女性から、パンク男が拳銃をむしり取った。

 女性は四人の男に囲まれるような形になっていた。

 島式のホームには、今出ていったのとは反対行きの電車を待つ人がパラパラといた。この異常事態に、表立って動く人はいない。


 このあたりでは日常茶飯事だから、大騒ぎしないというわけではない。

 おそらく、階段を駆け上って駅員に知らせている人もいれば、携帯を使って通報している人もいる。

 自らの体を使って介入しないというのは、こういった場面に遭遇した時の基本だった。みんな慣れたもので、それをわきまえているのだ。


 ただ、警備員がそれを言うわけにはいかない。たとえ、帰宅途中でも。

 この駅に委託警備員は常駐していない。

 ということは、拳銃くらいしか持っていない駅員が、あれこれマニュアルをチェックしてから駆け付けるか、提携警備会社の社員が到着するまで待つかということになる。


 それまでの間に、逆上した男たちが女性をぼこぼこに殴るくらいのことは普通に考えられた。

 郊外部の傷害事件は毎日数えきれないほど起きていた。そんな光景を日常的に目にしてきた子供が、こんな若者になるわけだ。

 四人か。ちくしょうめ。


「やめろ! 手を離せ」

 僕の声に四人は振り向いた。

 相手が抜くまで、こちらは腰の拳銃を抜けない。地下鉄構内でヤンキー相手に自動小銃などもってのほかだ。その辺のことは駅の監視カメラが見ているから、ズルはできない。


「嫌がっている。やめるんだ」

「ちっ」

 男のうち一人が舌打ちをした。

 前置きなしだ。有無を言わさず僕に向かって来た。

 相手も、自分が銃を抜かない限り警備員が撃ってくることはないと知っている。郊外サバイバルのハウツーだ。


 おそらく僕が来ることは想定のうちには入っていたのだろう。

 市中の委託警備員は、彼らのような人間からは、とかく嫌われた。権力の犬である警察の犬だからだ。

 しかも、高価な国産銃である豊和工業製20式をあえて使うOSSのような会社は、犬の中でもさらに権力寄りの方針だということになる。みんな、そんなところまで見ているものだ。


 ふん、好きでやってるわけじゃねえ。

 僕は心の中で吐き捨てると、すでに手をかけていた伸縮警棒を一秒で展開し、男の肩を殴った。「ぐっ」とうなって彼の突進が逸れた。鎖骨が折れるような強さではないはずだ。


 次の男には、太ももにローキックを入れた。失神させるほどうまく入らなかった。それでも、男は転がった。

 三人目の男はきちんと軸足を活かして拳を叩きつけてきた。まともな動きだ。

 それを腕で受け流しながら男の懐に飛び込んで、僕は雄たけびを上げながら大外刈おおそとがりで地面にたたきつけた。一瞬体が宙に浮た男は、背中を強打してのたうち回った。


 最後、僕の勢いにうろたえたパンク男が、女性から奪った拳銃を向けようとした。僕はその手首を、警棒でしたたかに打ち付けた。

「いてえ!」

 最後のは当たり所がよくなかった。骨がいったかもしれない。


 振り返ろうとすると、最初に警棒で肩を殴った男が、叫びながら背中に蹴りを入れてきた。

 全くの不意打ちに僕はバランスを崩し、受け身を取りながら前転して立ち上がった。プレートアーマーの上だったのでそれほど痛くはない。


「ふっざけやがって!」

 僕は思わず口走ると、すぐに振り向いてその男を警棒で頭上から連打した。頭は直撃しないようにだ。警備員に課せられた制約は多い。

 たまらずに男は後ずさり、四人と僕が少し距離を置いて対峙する形になった。


「きゃあ!」

 僕の後ろで女性が悲鳴を上げた。

 二人が拳銃を抜いたからだ。その声にせかされるように、僕も警棒を左手に持ち替えて、腰ホルスターから貸与品のグロック19を抜いた。訓練、実地を問わず、毎日のように繰り返している動作だからスムースだ。


 男たちの銃は骨董品こっとうひん級のスチールフレームオートに、廉価だが性能は悪くない東欧製九ミリ。弾が出ればなんだっていいわけだが。

 彼らの銃口が小刻みに震えている。照準なんて見ていない。距離にして三メートル、それでも当たるかどうか怪しい。


 銃をぶら下げて歩くのと実際に引き金を引くことの間には、途方もない距離があるものだ。彼らが引き金に力を入れる仕草だけを見せただけで先制する自信はあった。

 こんなとき僕の頭の中を駆け巡るのは、職務執行規定だとか、警棒取り扱い規範だとか、つまり職業上の保身に関するあれこれだ。


 やり過ぎは後々面倒だ。しかも勤務時間外だし。

 この委託業務ゆえの判断の迷いが、警備員がなめられる一因ではある。

 後始末をビビっていても仕方ないので、とりあえず叫ぶ。注意散漫は命取りだ。

「銃を置いて、手を頭の後ろで組め!」


「うるせえ、ザコ警備員が調子に乗ってんじゃねえぞ! ぶっ殺してやるよ!」

 パンク男が右手首を押さえながら叫び返した。

 調子に乗ってるだあ? 仕事だよ!

「いいから銃を床に置け!」

「黙れって言ってんだよ!」


 声がヒステリックに裏返っている。パンク以外の男たちはすでに拳銃を下ろしたがっている気配が見え見えだった。

 いいぞ、わめくだけで撃たないのはいい兆候だ。

 ほら、男たちの後ろから駅員たちがやってきた。望外なことに、手にはショットガンも持っている。これなら大丈夫だろう。

 ああ、これも勤務扱いにしてくれればなあ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る