第3話 2 丘の上の団地(1)
本職の警官が駅に到着してから、もろもろの聴取が終わるまで十分くらいしかかからなかった。本当にありふれた事がらなので警官たちも慣れたものだ。
「
「どうも」
南警察署の見知らぬ警官から肩を叩いてぞんざいにねぎらわれた。まったく嬉しくないだけでなく、タダ働きの徒労感の前には何の足しにもならない。
正規の警察官の中には、僕たちを出入りの業者くらいにしか思っていない者が少なくない。
僕と被害者の女性が駅務室の前で聴取を受けている時、手錠をかけられて連行される四人が僕に舌を出して去っていった。
僕の横にいた被害者の女性が、きちんと中指を突き立てていたから、よしとする。
「あの、どうもありがとうございました」
聴取が終わったとき、女性がウルウルとした目で礼を言ってきた。
「はあ、仕事の延長みたいなもんですから」
これは嬉しくないわけではないが、この後にロマンチックな展開が起こる余地などないからさらりと受け流した。
何しろ、日常茶飯事だ。
それよりも、さっさと帰宅してクソ重い装備を外してしまいたい。
ようやく解放されてから、一駅だけ地下鉄に乗り直した。
次の蒔田駅で降り、地上を少し歩いた先のバス停から、十一系統のバスに乗る。いつもの通勤経路だ。
運営会社の努力で落書きはすぐに消されるものの、民度の低い乗客のおかげで車内にはゴミは多いし、降車ボタンは半分以上が壊れていた。
多くの乗客は大声で「次降りまーす!」と叫ぶわけだ。
最後部席には、よくこのバスで一緒になる三十くらいの男性が座っている。僕は軽く会釈して前の方の二人がけ席に座った。ここなら銃を横に置けた。
後ろの男性も、AK小銃と「委託」腕章の零細警備会社社員だ。この路線ならば、おそらく学校か福祉施設の警備でもしているのだろう。
あの疲れ果てた顔は、僕もきっと同じに違いない。
冗談抜きで底辺職だ。
僕が生まれる前、バブル崩壊後の超低成長に業を煮やした政権与党は、特に規制緩和を目玉とした新自由主義政策に舵を切った。稼ぐ人間の邪魔をしてはいけないというやつだ。
それは結果として歯止めのない格差を生んだ。
一方でバブル崩壊後の不況と円高に心底嫌気がさした企業は、生産の海外移転と国内拠点のオートメーション化をすさまじい勢いで進めた。
工業、土建業、農業、林業、養殖業といった多くの業種で、既存の重機や農機、
いまや現場で必要な人間は少数のオペレーターだけだ。そのオペレーターすらAIにとってかわられようとしている。
結果として、就労をめぐる状況は急速に変わっていった。
伝統的業種の会社員、公務員、機械の運用や医療福祉教育の専門職といった「まともな仕事」は、同じ世代の中でも上澄み層の争奪戦になった。
理美容、調理なども需要はある。こちらもまた、学力とは違う才能を持った層の中で争奪戦の対象だった。しかも、中高年が手放さないまま世代交代が進んでいない。
半端な若者に、単発に近い非正規雇用以外で残されている選択肢は多くない。まだ自動化できていないトラック運転手や果樹栽培でもやるか、素人のまま自分で店を出すか、自衛隊に入るか、あるいは何もしないで過ごすかという程度だ。
何もしないでも、ぎりぎり暮らしてはいけるのだ。
格差救済の切り札として、僕が生まれるころにベーシックインカム制度が導入された。国民一人一人に対し、定期的に定額の補助金を支給するという制度だ。
インフレに補助金の拡充が追い付いていない面があったが、それでも家族が四人いれば最低限以上の生活は成り立つと言われている。
だから、都市部と地方を問わず、若者の実家住まいの割合が高い。そういう家に限ってやたらと大家族で、家族うちの一人が定職についていようものなら、結構いい生活ができた。
様々な施策が功を奏したのか、企業努力のおかげなのか、それとも違う要因があるのかはわからないが、GDPランキングはじりじりと後退しつつも日本は経済大国であり続けていた。
今は、ごく一部の人間(と多くの人間以外)の稼ぎ、蓄積された膨大な国内資産で多くの国民が養われている。
ベーシックインカムの国家予算に占める割合が大きいかどうかは、人によって評価が分かれる。代償として大胆に削られた社会保障費に対しても同様だ。
どちらにしろ、何かあった時の個人の負担は確実に増えた。
富の再配分の究極形と言えなくもないのかもしれないが、今の社会が理想とは程遠いこということには、今日逮捕された若者も僕と同意見だろう。
僕みたいな人間から見ても、隣人たちの倫理観と健全性はどんどん薄まっている気がしてならない。
多くの若者の行動パターンは似通っている。
ネットのコンテンツに溺れつつ、
若者たちの
しかし、家族が少なく補助金だけで生活できない場合はどうするのか?
その答えが委託警備員だ。
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