第11話

王都の朝は、凍てつくような静けさに包まれていた。


 クラリッサは、夜明け前に目を覚ましたまま、窓辺に佇んでいた。

 その瞳は疲れを感じさせず、むしろ獲物を狙う獣のように研ぎ澄まされている。


(次はどこから毒が回るかしら)


 レオニスの裏切り、真祖の血の覚醒、そして謎の暗殺者の襲撃。

 王族の中枢が本格的に動き始めた今、クラリッサは自分の存在が脅威として認識されたのだと理解していた。


(つまり、私はもうゲームの駒ではない。盤面をひっくり返す側)


 しかし、それだけでは足りない。

 彼女が目指すのは復讐の完遂王太子、第二王子、そしてローレンス家を潰したあらゆる者たちの崩壊だ。


 その頃、王宮。


 レオニスは地下の謁見の間にて、密かに一人の人物と会っていた。

 年齢不詳、目元を覆う黒い面をつけた男。

 彼こそが影の王と呼ばれ、代々王家の背後で王位継承を操ってきた存在だった。


「計画は、順調なのか?」


「少々、想定外の動きがありました。クラリッサが、覚醒しかけています」


「フン……真祖の血か。あの女の祖先、まだ王家に牙を向く気か」


「それだけではありません。彼女は、我々の手を離れました。もはや……制御不能です」


 男は笑う。


「ならば、放っておくな。毒を使え。感情という毒をな」


 その日の午後。クラリッサのもとに、一通の手紙が届いた。

 差出人はミリア。


『お話があります。あなたに真実を伝えたい。どうか、学園裏の旧温室までお越しください。』


 文字は震えていた。筆跡も以前より乱れている。

 何かに怯えているような、切迫感。


「……誘いかもしれない」


 そう思いながらも、クラリッサは立ち上がる。


(でも、放ってはおけない)


 かつてはただの清楚な学園令嬢だったミリア。

 しかし、地下で彼女が見せた冷たい瞳と記憶喪失の断片。

 あの違和感の正体を、今度こそ突き止めなければならない。


 旧温室は、長いこと使われておらず、蔦と枯れた花々に覆われていた。

 クラリッサがそっと扉を開けると。


「来て⋯⋯くれたんですね」


 ミリアがそこにいた。

 だがその姿は、以前の儚げな雰囲気とは違う。

 目の下に濃い影。唇は青白く、指先はかすかに震えていた。


「ミリア……?」


「私、知ってしまったんです。自分が……人間ではないかもしれないって」


 クラリッサは一歩近づく。


「それは……どういう意味?」


「私は、誰かに作られた存在。記憶も、感情も、他人のもので……。あなたを恨むように、誰かに仕込まれたの。王宮の、実験の一部だった……。クラリッサ様を悪に見せるための、ただの道具だったの」


 その告白に、クラリッサは息を飲む。

 それは、彼女が最も恐れていた復讐の構図の裏返しだった。


(この国は、悪役令嬢を作るために、少女を加工していた……?)


「あなたは、私を恨んでる?」


 ミリアは、かすかに首を横に振った。


「わからないの……私の感情が、私のものじゃない気がするの。本当は……ずっと、あなたに憧れていたのかもしれない。でも、気づけば、あなたが憎くて、怖くて、殺したくて……。全部、頭の中でぐるぐるして、壊れそうで……」


 その瞳に、涙がこぼれた。


「私、壊れる前に……あなたに、言っておきたかったの。ごめんなさいって」


 クラリッサは、無言で近づいた。

 そして、そっとミリアを抱きしめた。


「あなたは、壊れなくていい。それは、あなたのせいじゃないわ。憎しみも、怒りも、誰かに植えつけられたなら、それは毒よ。でも、毒は解ける。私が、解いてあげる」


「クラリッサ様……」


 その瞬間だった。


 温室の天井が音を立てて崩れ、魔術の気配が一斉に殺到する。


「伏せて!!」


 クラリッサはミリアを庇いながら結界を張る。

 空から降ってきたのは、黒装束の兵士たち。

 王宮直属・記憶操作部隊コードネームは白百合。


「確保対象、クラリッサ・ローレンス及び実験体003、拘束する」


 ミリアが震える。


「やっぱり……私、まだ逃げられないのね……」


「逃げないわ。今度は、私が抗う」


 クラリッサの魔力が解き放たれる。

 真祖の血と悪役令嬢の怒りが融合し、空間をも飲み込む。


「お前たち、私を悪に仕立てたいのなら、最後まで見届けなさい。私はこの国すら、悪役にしてみせる!!」


 夜が来る。

 だが、この夜はただの夜ではない。

 復讐が、暴走が、覚醒が、交錯する地獄の夜。


 そしてその中心に立つのは、一人の令嬢。


 クラリッサ・ローレンスという名の、悪役であり、英雄であり、破壊者。

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