第10話
夜明けの王都は、深い霧に包まれていた。
クラリッサはその霧の中を、一人で歩いていた。
昨夜、第二王子レオニスとの決別は、もはや彼女を“悪役令嬢”として決定的に孤立させた。
だが、彼女は震えなかった。
この道を選んだのは、他でもない。自分自身なのだから。
「……クラリッサ様」
霧の中に、黒いフードを纏った人物が現れる。
その声には、どこか懐かしい響きがあった。
クラリッサはすぐに警戒の姿勢を取る。
「誰?」
「私をお忘れですか。あなたの家が落とされた、その夜を」
その言葉に、クラリッサの視線が鋭くなる。
彼女の実家ローレンス侯爵家は、数年前に反逆の疑いで断罪され、実質的に王族によって潰された。
だが、彼女は知っていた。
本当は冤罪だったことを。
「……名を名乗りなさい」
男はフードを外した。
そこにいたのは、かつて父に仕えていた家令、ユリウス・フェルダーだった。
「私が命をかけて守ったのは、あの夜のあなたの逃亡経路です。クラリッサ様、今こそ、ローレンスの本当の血を思い出していただきたい」
静かな路地裏の一室に案内されたクラリッサは、ユリウスの語る真実に耳を傾けていた。
古びた文書と、封印された家伝の魔具その全てが、クラリッサの「出生」と「力」の正体を語っていた。
「ローレンス家は、表向きは侯爵家ですが……裏では代々王家に対抗できる力を持つ、禁術の継承者でした」
「……それは?」
「真祖の血王族すら恐れた、古代魔族との混血の証です。その血を持つ者は、王命すら拒み、意志のみで現実を捻じ曲げる力を得る」
クラリッサは、目を伏せる。
「……そんなもの、必要ないわ。私は、自分の力で復讐を遂げる。血筋なんて……今さら持ち出して何になるの?」
「いいえ、クラリッサ様。敵は王族だけではありません。あなたを駒として利用しようとした存在……その上に立つ、王国の中枢すら操る者がいるのです」
「……何ですって?」
その時だった。
部屋の魔結界が一瞬で焼き切られ、黒い影が侵入してきた。
「見つけたぞ、クラリッサ・ローレンス」
全身を黒布で覆った襲撃者は、無言のまま、魔法陣を展開する。
空気が一気に凍り、ユリウスがクラリッサを庇った。
「下がっていろ!!」
咄嗟にクラリッサは扇子を構える。だが相手の魔力は異様だった。
常人とは桁違いの、王家直属暗殺部隊のそれ。
「来る!」
瞬間、紫紺の雷が部屋を貫いた。
クラリッサは舞うように跳躍し、術を避けながら詠唱に入る。
「《虚影穿通・破(シャドウピアス)》」
宙に光の槍が生まれ、襲撃者を貫こうと飛ぶ。
だが相手は、槍を無傷で素手で受け止め、指で砕いた。
「その程度か。さすがは失敗作」
「失敗作……だと?」
「ローレンスの血はもう終わりだ。お前は、我らが王に逆らう悪として、ここで処理される運命だ」
クラリッサは血が逆流するような怒りを覚えた。
失敗作。
それは、王族にとって、都合の悪い存在に貼られるレッテルだ。
彼女の家も、彼女自身も、全てレッテルで焼き払われた。
「もう、うんざりなのよ。誰かが決めた世界に、黙って従うのは」
クラリッサの瞳が紅く染まった。
周囲の空間が揺らぎ、魔法式がねじれ始める。
ユリウスが目を見開く。
「これは……まさか……真祖の覚醒?!」
クラリッサの身体の周囲に、重力すら逆らうような魔力が渦巻く。
「命令も、運命も、血筋も……全部、私が踏みにじってやる」
「ッ……!」
襲撃者が再び攻撃を構えるより早く、クラリッサは空間ごと歪ませ、強制的に時を断つ。
「《断界・零(ゼロ・ディメンション)》」
空間が瞬間、真っ白に染まり。
気づけば、襲撃者の姿は一瞬にして掻き消えていた。
静寂。
重い呼吸の中、クラリッサは膝をついた。
覚醒に近い状態を強制的に引き出した代償は大きかった。
「クラリッサ様……あなたは、すでにただの人間ではない」
「……構わないわ」
吐息は熱を帯びていたが、瞳だけは静かに燃えていた。
「人間であろうと、悪魔であろうと……私は、私の道を歩く。それだけは、絶対に譲らない」
そしてその夜、遠く離れた王宮の深奥。
「……彼女が目覚めたか」
玉座の背後に佇む、漆黒の影。
レオニスとはまた別の、さらに上位の存在が、静かに呟いた。
「面白い。ならば、こちらも次の手を打つとしよう。ローレンス家の残骸を拾ったその少女が、どこまで抗えるのか」
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