序論2:霧隠大学の怪異たち

 怪談や怪奇譚、都市伝説の永遠の課題として、それを後日誰が他の人に語り繋いだのかを考えなければならないというものがある。怪異の恐ろしさを際立たせるのに関わる者を全滅させてしまうのは使いやすい一つの手段だが、そうすればその怪談はどのようにして現在まで語り継がれてきたのかという矛盾が起こってしまう。

 だから大抵は誰かしらが生き残る。完全な創作でない限りは、怪異から這う這うの体で逃げ出した語り部が要る。


「で?」


「で……?」


 目の前に体験者かつ語り部が要る以上、その後に死ぬようなことは決して起きてはいないのだが、そんな詰みの状況で生き残られては肩透かしにも程がある。このまま終わられてしまっては、僕はこの話を信用できない。

 だってそうだろう、四つほど怪奇現象に遭遇しておいて後遺症もなく生きているとか、ご都合が過ぎる。

 だから僕は「で?」と、見るからに清楚で礼儀正しそうな語り部に乾いた態度でその先を促してしまった。


「いや、その後は? 気絶しただけ?」


「そうです。気がついたら、私校舎の休憩所に寝かされていて……その後帰りました」


「帰った……何か、その後に変わったことは?」


「ないです。スマホも特に変わった様子はないですし」


「……んー」


 事実は小説より奇なりとはよく言うが、例え奇妙であっても事実は小説のように面白くはない。具体的に言うとオチがないことが多々ある。何故ならば事実は純然に起こるのみだからだ。劇的ではなく自然的、いや運命的というべきか手を加えることが不可能だ。故にそこに脚本の結は期待できない。

 手を加えた時点で、それは事実ではなくなる。目の前の女性は事実を聞いてほしくてここまでやってきたのだから、僕が納得できる終わり方になるよう期待するのは間違いだ。

 だとしても、異を唱えたくなる終わり方だが。


「どうだ? 安慈君」


「どうだって言われても……」


 僕にずいぶんと曖昧な質問を投げかけてくるのは、目の前の女性を連れてきた男——業田だった。彼は同じ授業を受け教室でうなだれていた彼女をナンパしたようで、すっかり彼の話術によって気を許した彼女は今の話を聞かせてきたそうだ。だが手に負えないと即座に判断した業田は即座に僕を頼ることにしたようで、その日の昼のうちにいつも僕が座る食堂の席まで彼女を連れてやってきたのだ。


「なぁ、お前は憶えているのか。お前がこの前痛い目に遭った二回とも、その女癖の悪さが遠因にあるということを」


「それは……」


 一回目は禁地教授によるハニートラップによって拷問にかけられ、二回目は色恋絡みのだいぶ自分勝手な願いのせいで箱に加工されかけた。


「いやいや、一回目は完全にお前たちのせいだろうがっ! 棚に上げるな棚に! それに二回目だってお前たちに拷問されたせいだ!」


「それも君が教会に行かなければ起きなかった話だ。人を呪わば穴二つ。罰は受けるべきだ。そして受けたのなら、これ以上痛い目を見る必要もないだろう。だからあんまりこういうのに関わるなよ」


 少々厳しい物言いだが、これくらいは言っておかなければ不安で仕方がなかった。下手に怪異に関われば死ぬ……新聞を作って殺されてしまった尾田びだのように。

 こいつとはなんの関係はないのだが、それで死んでしまったら気分が悪くなる。多分、そうなる。


「……えぇい! ともかくだ、この子は今怖くて仕方がないんだ。何とかしてやってくれ!」


「……」


 ここまで来ると逆に尊敬してしまう。脳の活動の八割がたを欲望に割いているのだろうか。女の子に好かれたいという一点だけでここまで行動できるのか。

 まぁ、それが結果的に人助けになるのならいいのだが……


「あのぉ……」


「あっ、憐華れんかちゃん……ほらっ。何かわかるんだろ? あの教授の下にいたんだし」


 こいつ……マジでぶっ飛ばしてぇ……


「はぁ……えーと、まず憐華さんが出会った怪異は大体が噂になっているものです。ご存知でしたか?」


「……『怪電波』。『のっぺらぼう』ならわかります。どっちも『常設』ですよね」


「はい。どちらもあんまり後になって呪われるとかはないんで大丈夫だと思うんです」


「『常設』……?」


 わかっていないのが一人。もちろん、業田。

 なんでその認識で首を突っ込むんだ……


「霧隠大学の怪異マップ……ダウンロードしてないのか?」


「あ? なんだそれ?」


「スマホ貸せ。ロックも解除して」


 僕はパパパッと一つのアプリを業田のスマホにダウンロードしてやる。


「怪異マップ……めちゃくちゃ胡散臭いな。なんか噓くせぇっていうか」


「それで胡散臭いと思うんならこの案件を僕に任せようとするのやめてくれ。厄介ごと押し付けに来たつもりならお前ほんとどっか行ってしまえよ……」


「お、おう、ごめん」


 大人しく彼はそのアプリを開いた。


「場所ごとに出る怪異とかが載ってんのか……ん? この『週間』と『月間』ってタブは何だ?」


「霧隠大学の怪異はその定着率で分類されてるんだ。一週間以上生き残っているなら『週間ウィークリー』。一か月以上なら『月間マンスリー』。半年くらい経ったら『常設』だな。一週間未満はそもそも怪異として認識されない」


「そんなソシャゲのキャラクターみたいなシステムになってんのか……?」


「それで、『怪電波』と『のっぺらぼう』は主に九号館で目撃されてる。文学部が主に使ってるところだ。憐華さん、あなたがその時いたのもそこですよね?」


「はい」


「ほら、で、マップ開いて起こっている怪異の中から探してみな」


「なんで俺が探すんだよ。お前がやればいいことじゃねぇか」


「僕は元々この件に深く関わるつもりはないよ。今後のためにもお前が調べてくれ」


「わかったよ……結構いるんだな九号館……あぁ、人形はねぇが腐りかけの幽霊の方ならそれっぽいのがあるな」


 彼は早々にアプリを使いこなしているようだ。僕は割と頻繁にこのアプリを眺めているからその幽霊の方は見当がついている。彼も同じ答えを出しているはずだ。


「『テケテケ』……憐華ちゃん、多分これがその幽霊の正体だよ」


「でも、『テケテケ』って下半身がないはずじゃ……」


「落ち着いて考えてみるんだ。だってその幽霊、人形の下半身くっつけてたんだろ? 人形が何かはちょっと分からないけど、そいつから奪った足をつけてたんだよ」


「……あぁ、そうなんですね。私はてっきり、そっちも人形の怪異だと思ってました。死体を乗っ取ろうとでもしているのかと」


 例えば下半身がないだとか顔がないだとか、その尖った特徴こそが怪異を怪異たらしめる。故に、怪異と先入観は隣り合わせの存在だ。

 『テケテケ』は下半身がない怪異なのだから、人形のものであっても下半身はないと思い込むのは当然のことだった。


「なぁ、安慈君。『テケテケ』って踏切にいるもんじゃねぇか?」


「下半身が千切れるほどのことといったら電車に轢かれるっていうのがまず思い浮かぶ。だから踏切の近くなんだろう」


 それが基本形だ。大抵はそういうテケテケが思い浮かぶ。

 だが、怪異とはその形を歪ませ増えるものだ。オリジナルとは違った要素を持つなんてことは少なからずある。

 この霧隠大学には、そんなn次創作怪異の噂が流れやすい。


「霧隠大学のは違う。昔、この大学の九号館で飛び降り自殺があったらしい。ある女生徒が何かしらの理由を苦に屋上から飛び降りたんだ。当時からあそこは五階建てで、飛び降りたらもちろん助かるはずがない——その死に方がまた悪かったんだ」


 業田はスマホを裏側にして置き、僕の方を繁々と見ていた。アプリで見ればすぐわかる話だったが、どうやら口伝で聞きたかったようだ。

 それは憐華さんも同じで、青ざめながら僕をじっと見つめていた。


「校舎にくっつくようにしてある花壇。今でもそうだが、侵入者が出ないように鉄柵が立てられている。ただ、昔は上の方がさ……尖っていたらしいんだよ」


 何が起こったのか、業田は察したらしい。ごくりと唾を呑んだ。


「そんな鉄柵が、落ちる彼女の腰の辺りに……ズドン。刺さっちゃったんだ。でもその時点では千切れてなかったんだ。そう、丁度近くに目撃者がいたんだよ。その人によると、その女生徒の体はその後ゆっくりと千切れていったらしいんだ。色んなものをこぼしながら、下半身だけは柵の上に引っかかったままで。最終的にはらわただけで辛うじて繋がって上半身がぶら下がっていたそうだ。それはもう凄惨な現場だったんだ」


 グロ耐性がないのだろう。業田が口元を抑え気分が悪そうにする。


「もう死んでいる。それが明らか過ぎて目撃者は助けを呼ぶことすらしなかった。だけれども驚くべきことに、まだ彼女は生きていて、その上半身が「あ……し」って言いながら下半身の方に手を伸ばしたんだ……でも次の瞬間、ロープ代わりだった腸が千切れて彼女は完全に事切れた……それ以降、九号館には出るんだ、足を求める上半身だけの女生徒が」


「……」


「……」


 ついつい話す必要もないのに詳細に語ってしまった。おかげで空気が重たい。


「……ただまぁ、彼女あんまりしつこくなくてね。逃げ切ればその後追ってくることはないそうなんだ」


「……じゃあ、大丈夫なんじゃないかな、憐華ちゃん」


「……うーん……」


「それでも不安でしょう。なにせ求める怪異は何を理想とするか分からない。それまで逃げ切れたのはその人の足が彼女の理想のものではなかっただけで、自分がそうでないとは言い切れない……それに人形の件もある。これで怪異を振り切った気にはなれないでしょうに」


「じゃあ、安慈君がどうにかしてくれよ」


「僕は陰陽師じゃないんだ。お祓いを相談するなら禁地教授にしてくれ」


「じゃあ、一緒に来てくれよ。あの先生とはあんまり話したくない」


「僕も同じさ……それにもう絶交してきたしね」


「マジか……絶交なんて聞いたの小学生以来だぜ」


「ということで憐華さん。役に立ったとは言えないけれども僕にできるのはここまで。あとは禁地教授に頼るといい。この業田君と一緒に」


「……なぁ、お前は気にならないのかよ、この怪談がどう終わるのか」


「いや、全然」


 全くもって気にならない。

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