補足:混沌と鬼

 計画が狂った。焦燥に駆られながら私は速足で教会へと帰る。なるべく、周囲の者に怪しいという印象を与えないように、視線を窺い身を縮めながら帰路を急ぐ。

 本来ならそんなことをここまで気にする必要はなかった。人が思っていることは自然と読み取れるのだから、気軽に即座に自分が発している違和感を察知することができた。だが、焦りでごちゃつく頭とは反対に、その外はとても静かに感じられた。


「あの男のせいだ……あの、禁地花太郎という教授の……」


 あの男との対話中にあの新聞の存在を察知し、実際にそこへと出向いて掲示板に群がる生徒の脳を調査した。私や箱のことを調べているのは超常現象調査倶楽部という集いだということはすぐにわかった。四人のメンバーの名前が分かれば、どこに住んでいるかも調べればすぐに分かる。実際、一人の元に既に箱は届けた——

 しかし、二人目と関わりがあると思われる教授の元へと箱を運んだ段階ですべてが狂った。

 その教授の、持ち物から何らかの思念波が送られた。人間では出しえない、攻撃的な思念波。それを浴びた瞬間、私の脳の活動レベルは激しく低下させられた。

 まるで、この星の住人のような、不便極まりない低レベルにまでだ。

 おかげで任務の遂行が難しくなってしまった。一から計画を練り直さねばならない。


「何者だ……まさか、私と同類か……?」


 苦しい。どうしてこんな脳で生きていけるのだろうか。理解に苦しむ。

 鈍い脳を頭痛がするほどに必死に働かせながら、ようやく教会の扉を開ける。


「——同類ではないよ」


「!」


 すると、どうやって先回りしたのかあの教授が礼拝堂に立っていた。

 別に、誰にも追いつけない速さでここに向かっていたわけではない。だが、大学から教会までは一本道で、その間不自然に私を追い越したものなどいなかったはずだ。

 私は、しばらく感じていなかった恐怖が自分の脳内に走っているのを感じつつ、ドアを閉めないようにしながらその男に警戒を向ける。


「君と私は、残念だけど同類ではないよ」


「なっ……何故ここにいる」


「権能の一つさ。神出鬼没とよく言うだろう? まぁ、ロマンのない言い方をするとテレパシー、テレキネシスに続く超能力、テレポートだよ。原理は長くなるので省くが……君くらいの人間ならばとっくのとうに分かってるんじゃないかな?」


 非情に不愉快な薄ら笑みを浮かべながら、説くように語る。


「……同類ではないと言ったな。ならば、上位種と言ったところか」


「話が早い。本当は上とか下とかそういう次元ではない、と細かい訂正を入れたいところだが……そこまでいくと君ですら理解が追い付かなくなってしまう。その認識でいたまえ」


 私は人間の見た目に無頓着だ。視覚で受け取る情報より脳を読むことで得られる情報の方が真であり有用だからあまり重要視していないのだ。

 恐らくさっき会った時点でそうだったのだが、感覚をデチューンされ、視覚を使用せざるを得ない今でこそ気が付くに至った。

 何なのだ、は。

 マネキン人形のような無機質なヒト、そこに無理やり継ぎ接ぎされている我々の種族の体。継ぎ目には荒々しく糸が縫わさっていて、うまく閉じていない傷口からはごぽごぽと組織液が漏れている。


「お? どうやら君にはかなりえげつないものが見えてしまっているようだね。私に対して不信感や恐怖を持つ者にはそう見えてしまうものなのだよ。普段は違和感のない姿を見せているのだがね」


「……おぞましい」


 残酷だ、とは感じない。ただただ理解ができなかった。ここの人類よりはるか高い知恵を持つ私にさえ、理解ができなかった、その事実こそが恐ろしかった。

 世界の外側。混沌の空間。

 この者が言っていた言葉は、空言ではないとわかってしまった。今、私はその超次元的真理に触れようとしている。

 それは禁忌だ。触れれば何人たりとも戻っては来れない。


「一人で考えるのもいいが、そろそろ教えて欲しい。君は何が目的でこんなことをしているんだい?」


「っ!」


 薄ら笑みが消えた。脳が読めずとも感じ取れるレベルの高圧的な気配を感じる。

 この者は今、確かに怒っているのだ。


「箱を作り、人々に呪いを振りまいているのに何か理由があるのだと思っていた。人間には理解できないが、君にとっては切実な何かが。だから、無血での解決をしようと思ったのだが……」


「無血……? 面白いことを言う。既に私は人を何人も加工しているというのに」


 欺瞞。脳を読み取れない私は、苦し紛れに文脈の矛盾を突いた。

 だが、この者の精神はどこか『外』にあることを失念していた。


「いいや。それはさ、彼らが望んだことなんだろう? 君は懺悔室で人には二種類の嘆きがあると言った。同じ事を相談者に投げかけ、それが世界、つまり何らかの他者を発端とするならそれが排除されるように箱を届け、自分を発端としているならばそれ以上の絶望を味わう前にその者を箱に加工している、そんなところじゃないのかい?」


「……そうだ」


「私はあの時、自分に対する絶望を匂わせてやった、そうしたら君は下に落として箱に加工しようとした。その時は脅しすぎて雑念は混じっていたがね」


 全てがこの者の掌の上だった。

 推理もへったくれもない、事実があらかじめ書かれた書物を読み上げているようにつらつらと語っている。

 この者にとって世界は読む物だ。疑うべき疑問の解答は、既に頭の中にある。


「君の行動は合理的だ。本来なら嫌な他人がいれば殺すか傷つければいいし、死にたいほどつらいならば死ねばいい。それが楽な道だ。だが、ここの人々は愚かにもそれができない社会を作ってしまった。嘆きは解決できない者が多数になり、非合理的に溜め込む。まぁ、その愚かさこそが、美しいのだがね」


 慈しむような笑みを一瞬だけ浮かべ、そしてそれを奥にしまい、再び冷たい表情でそれをこちらに向けてくる。


「合理的な救済の決行。君にとってそれが正義であり普遍的な価値観なのは理解している。だが、君は依頼もないのに、誰かを不用意に傷つけたわけでもないのに、尾田くんとアンジくんに箱を配り、呪いを向けた。罪を知られたくない、そんな醜いエゴが君の中にあったようにしか見えないのだが——どうなんだい?」


 最早、言い逃れは出来ない。このままでは然るべき機関に預けられるか、この場で殺されるかの二択だ。それは私の望むところでは決してない。

 ならば、私が一つ選択肢を加えさせてもらおう。

 生きるために抵抗するという選択肢を。


「私が救うのをやめれば、この先多くの者が救われなくなる。だから目撃者は消さねばならない——そんな言い訳はもう通用しないのだろう。だが、貴様にはもう少し知るべきことがあった」


 私は、懐に忍ばせていたリモコンを取り出す。筒状のボタンが一つしかない簡素なリモコンだ。

 それを、そいつの足元に向け、ボタンを押した。


「救いの決行は目的ではない——手段なのだと」


 その直後、彼の者の足元に穴が空く。それはただの穴ではない、空間の裂け目だ。しかもそこは地下室には繋げていない、本物の虚無へと続く穴だ。


「さようなら。外なる者よ」


 落ち行く彼に別れを告げた。

 だが、彼の表情は依然冷たいままだった。


「……何だったんだ、あれは」


 後味の悪さを感じつつも、私は地下室へと急ぐことにした。

 後回しにしていた素材を加工しつつ、脳を元の状態へと戻さなければ——


「!」


 予感。冷や水を浴びたように鳥肌が立った。

 不意の感情なんてものは感じたことがなかった。だが、脅威を排除したはずなのにそれは沸き起こった。

 ——そこで、ようやく気が付いた。平常時ならば確実に気が付けたはずなのに、著しく鈍感になったせいだ。


「っあああああああああああああ!」


 強烈な殺意が、叫びと共に振り下ろされた。バールだろうか、金属の重たい棒が私の頭蓋に食い込んだ。


「うっ!」


 脳漿と血液を少量振りまき、私は倒れる。幸運にも、フィジカルはデチューンされていなかった。ヒトなら耐えられなかっただろうが、私になら耐えられる。

 だが、まだ頭の調子は戻らない。理性もなく殺人行為に及ぶほどの殺意を前に死ながらも、未だにそれが読み取れずにいる。


「何者だ——」


 暗くなりつつある教会には月光が差す。その銀の光がそいつを照らした。


「——あぁ君か」


 それは、あの研究室にあの教授といた生徒だった。

 大野安慈だったか——安らぎ、慈しみとはかけ離れた『恨み』に犯された彼の姿は、鬼——怪異に見えた。

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