本論13:呪いの強襲

 G田に対する拷問に使ったあれは可愛いものだったとわかった。

 ガラスの箱の着地点、そこからゴポゴポと沸き立つような音が聞こえ始める。そこには焦げ跡のような黒い跡があった。その小さな跡がじわじわと床を侵食していく。侵食した部分には泥のようなどろりとした液体が泡沫と煙を放ちながら溜まっていた。

 その中から一筋の結晶が生えてくる。それは増殖し体を成しながら大体僕の背丈まで伸びていく。

 瘴気の存在感が圧倒的に濃い。触れたら死ぬ程度では済まないだろう。距離がある状態でも如実にそれが肌で感じられる。

 そんな濃厚なエネルギー体が最終的になったのは、人の形だった。結晶の骨格にぐずぐずの肉を無理やりくっつけた痛々しい人の成り損ない。この忌むべき呪いの人形ひとがたはボロボロと自壊しつつも形を保とうとしている。生きるべきものではないのに、これは必死に生きようとしている。

 その様を見れば今生み落とされたこの黒い赤子には確かに意志を宿っているように思えた、人間でも生物でもないというのに。


「ギ、ィ、あああ˝っ……」


 軋みのような声を上げ、そして我々に向かって走り出した。その動きはグラグラと体幹のないものだったが、ずるずると足を引きずりながらも襲い掛かってくる。


「うわああああ!」


 狭い研究室。置いてある机を擦り抜けながらそれは一直線に僕の元へ。そして呪いの手を振り上げ、振り下ろす——。


「アンジくん!」


 その瞬間、教授は机に置いてあったポインターを手に取り、燐光を放つ。すると呪いは時が止まったように固まった。


「今、こいつの動きは止めた。だが、どうにかしなければな……」


「教授……早く、これを殺してください……」


 息がつまりそうだった。この呪いを目にしているだけでも心臓を締め付けられるようだ。

 呪いに侵されている、大きな原因はそうだが、多分それだけじゃない。

 この意志のようなものは何から生まれているのだろうか、と考えると自ずと答えは出てきてしまう。これ自体が、感情という細胞をもって生まれた意志の生体なのである。僕はその呪いの強さをこの身をもって実際に感じたのだから、嫌でも痛感させられる。

 だからこそわかる。これはこの世に在ってはならない、醜悪という言葉をもってしても表せないものだと。


「早く……殺してください……限界です……」


 だが、それと同時にひどく哀れだった。息も止まるような怒りと嘆きに身を焼かれながらも、これは生きることを強制させられている。痛みを感じる心みたいなものはこいつにはないだろう。

 だがそれでも、見ているだけで心が締め付けられるようだった。目の端からは熱い涙が零れてくる。


「殺す? あれは生きていないのに奇妙なことを言うね」


「いいから、とにかく何とかしてください!」


「はぁ……そうだな」


 そう言って教授はポケットから何かを取り出した。


「それは……」


 初めに『コトリバコ』の話をしたときに、教授が開けようとしていた寄木細工の箱だった。それをカチャカチャと動かし、開封する。


『小さな箱』ピンキーリンク


 箱の中身は見えなかった。ただ、その容積以上の闇が広がっているのを、不確かながら認識した。

 異界を閉じ込めた箱——教授はあれをそう評していた。もしかしたらあれは闇ではなく、何らかの小宇宙なのかもしれない。

 開いた箱は辺りの空気が大きく歪んだ。そして箱の口を呪いに向けると、強大な引力が箱の中に向かっているのか呪いは徐々にその構成物質たる黒い濁りを吸い込まれ剥がされていく。


「オ˝、ヴォオオオオオォ!!」


 心臓を打つような低音の叫び声と共に、呪いは確かに苦しんでいた。ちぎれる己の体を、崩れる己の骨を嘆くように自分に寄せるが、それらは空しくも手から離れ箱に吸い込まれていく。

 ついには体に大きなひびが入り、人としての形を失っていく。


「ヴ、ィ、ヤ˝アアアアアアアアアアッッッ!」


「っ!」


 悲鳴。だが、僕には確かに、


「いやだ」


 と言ってように聞こえた。


「ま、待って……」


 そんな言葉が届く暇もなく、欠片も残さずそれは箱の中へと吸われた。

 すべてが終わって役目を終えた箱は静かに閉じてしまった。

 僕は、確かにあった嘆きを見つめ、しばらくぼんやりとしていた。


「申し訳ないが、消滅はさせてやれなかった。あれだけ強いものは最早浄化できない。だから自然消滅するまで封印することにした」


 そんな僕に、教授は言葉を投げかける。


「……じゃあ、消滅するまでは、あれは苦しみ続けるってことですか?」


「あぁ、そうだ。だが聞いてくれ、アンジくん。あれは人間じゃない」


 その言いように、僕は一瞬怒りを覚える。


「悪いと思っている。あの時は手っ取り早く理解できると思い、呪いの欠片を君に打ち込んだが、それが君の感覚を鋭利にしてしまったようだ」


「どういう、ことですか」


「君は、呪いの何たるかを感じ取った。だから、それに纏わりつく感情に対して強く共鳴するようになってしまった。君が今流している涙はそういうことだ」


「あ……」


「共鳴したとしても、それにどう感じるかは感性によるがな」


 教授は箱とポインターをしまう。


「さて、こうなったからには決着をつけねばなるまい。君は、とりあえず尾田君の所に行ってくれ」


「教授は……」


「もちろん教会だ。あの神父と改めて腰を据えて話さねばなるまい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る