本論12:ブラックマンの影

「……と、ここまでは良かったのだがな」


 大学へ戻りつつ僕は教授の話を聞く。


「その直後、何かがあったようで神父は懺悔室を出て行ってしまったよ。電話があったわけでもないのにだいぶ慌てていたようだった。神通力で何か緊急事態を察したんじゃないかな」


「……先生が言うにはその神父は何かスイッチを押そうとしていたんですよね。そのボタンが押されていたらどうなっていたんですか?」


「懺悔室にも時空の裂け目があった。こちらは誰か——まぁ、あの神父だろうね——によって修繕と加工がされていた。きっとそれに飲み込まれてそちらに送られていただろうね」


「……そうですか」


 調査することのできた二部屋にそんな機構やスペース、そしてそこに人を落とす意味はなさそうに思えた。

 ということはその懺悔室から繋がっているのは、あの唯一開かなかった異臭漂うあの部屋に繋がっているのではないだろうか。あそここそが人を落とすに足る部屋、つまりはこの製造所なのではないか。

 そんな最重要箇所を後回しにしていたせいで調査できなかったことを悔いる。恐れずに突貫できていればもっと解明できたはずなのに。


「いいよ、そこまで気にしなくて。私としてはむしろあからさまな場所以外を調べてほしかった。箱の製造所を調べたところで箱がそこで作られている以上の事は得られなかっただろう。彼が犯人だということはとっくのとうにわかっている。アンジくん、私が知りたいのはね、彼が何を思ってこんなことをしているかということだ」


「……かなり確信をもって言ってらっしゃいますけども、そこまで分かっているならもうとっ捕まえるなりした方がいいんじゃありませんか?」


 僕は、教授がその怪しい神父について語っているのを聞いていてずっと疑問に思っていたことを告げる。

 教授が確信しているということは最早それは動かぬ事実だと言っていいだろう。ならばその確信が出た時点で捕まえてしまえばいい。

 もし、それ以上に証拠が欲しいというならば、G田にしたように拷問して自白させればいい。

 それなのに教授はわざわざ調査をし、すぐに終わるはずの事件を引き延ばしている。事実上大罪人を野放しにしていることにどういう意図があるのだろうか。


「君も察してはいると思うが、相手は君たちと同類ではない。あの加工はもっとかけ離れた種の技術だ。故に我々は細心の注意を払わなければならないのだよ」


「どうして……」


「下手を打てば戦争だからさ。ああいう技術力の高い異種と喧嘩するととんでもないことになる。すべきは落ち着いた交渉だ」


「とんでもないことってなんなんですか。教授はいつも具体的な核心に迫る部分をぼかしますよね? それで僕が納得できると思っているんですか?」


 煮え切らない態度に僕はイラついていた。その神父が何者なのか教授にはわかっているはずなのに、それをはっきりとは僕に伝えない。それなのに注意しろ、戦争になる、交渉すべきなどと言われるのだ。理不尽極まりない。


「教えてくださいよ」


「ふぅむ。少し前までなら教えていたかもしれないな……だが君は躊躇った、その部屋に入るのを。」


「僕が怖気づいている、と言いたいんですか?」


「まぁ、そういうことだ。好奇心が恐怖に負けるようなら、君に深きを知る資格はないということだよ」


「っ……」


 反論は出来ない。事実僕はその選択で一つ事柄を取りこぼしている。何を取り逃したかは分からないが、調べるべき事だった。

 このまま中途半端に知りながら解決を見るのは、僕的には大いに悔恨を残しそうに思えた。いっそ教授に同行するのをやめて、この事件から離れてしまうというのも選択肢に入ってくる。

 だが、恐怖に負けていようとも好奇心がいまだ熱を保っているのは事実。どちらにしろ後悔はするだろう。その二つを秤にかけた場合、どちらが大きな後悔を生むかと考えると——


「分かりました。教授は精々僕が怖気づかないように努力してくださいよ」


「善処しよう」


 話しているうちに大学の北門へと帰ってきた。

 すると掲示板の内の一つの前に人だかりができていた。この北門付近には学部ごとのいくつかの掲示板があり、その注目を浴びている掲示板はサークルの掲示物用のものだった。


「どうしたんだろうね」


 教授は言った。

 まだ気が付いていないようだが、僕は少しだけ嫌な予感がした。

 まさか……

 人を掻き分け、その元凶を目にする。


「これは……」


 それは、新聞だった。見出しは『運ばれる呪いの箱! ボックスマンの影!』

 でかでかとイメージ図として全身黒づくめの男のイラストが載っていた。

 奇しくも、それは教会の神父服のように見えなくもなかった。



 ■■



『いやぁそう言われましても、新聞は出さないと我々のサークルの存在意義がないんですよねぇ』


 研究所に着いて僕たちは急いでパソコンを開き、超調のメンバーにグループ通話を繋いだ。開幕教授の御小言から始まったが、それに対する返答が栄越の言葉だった。


「まったく、あれほど言ったらやめないか、普通? 一応、評価すべき胆力の強さを君たちは持っているよ」


 教授はポインターから出る光によって机の上に投射されたホログラムを見つめながら話をしている。どうやら今日の調査データみたいなのだがそれを集めたはずの僕ですらそれがどういう意味を持っているかは分からない、そんな図形が机の上で躍っていた。


『ですが、先生が言うには合っているのでしょう? 黒ずくめの男というのは』


「そうだ、君たちは結果的に正しい結果に辿り着いてはいる。だが、今回はれっきとした犯人が存在するんだ。そいつを下手に刺激したことになった」


 気になる言い方だ。まるでそれが確定事項のように扱っている。

 もしかしてそれが原因なのだろうか、神父の途中退室は。神通力などと言っていたがそれも本気で言っていたのだろうか。

 神父が何らかの力で犯行の発覚を知る。だとしたらその神父はもう逃亡してしまったのかもしれない。それは由々しき事態だ


「それに怪異にとって重要なのは結果じゃない。この世界に現出するまでの過程こそが肝要なんだ」


 始まった。ここからが長い。

 うんざりだが今怪異の渦中にいる僕にとっては聞かなくてはならない話なのではないだろうか。


「怪異は、箱だ。それこそ黒く塗装された中身の見えないブラックボックス」


 解説をしている今でも教授の分析は終わっていない。片手間だが確かな気迫がある。

 画面の向こうにいる三人のため息にも似た息遣いが聞こえてくる。


「世界では、時に人間の理解を越えた出来事が起きる。人はその現象にブラックボックスを被せてしまう。そしてどうしても解けない箱には怪異の名が付けられ、表面にはその姿が描かれる」


 誰も、何も言わない。


「数学でも関数や方程式の概念を学ぶ際にやったことがあるだろう? ブラックボックスに数字を入れると別のものになって出てくる。それと同じで、とある因がいつの間にかブラックボックスを通っていて、気が付くと不可思議な果が現れている。人はその間にある関数を理解できなく、結果それは怪異や怪奇現象と名付けられるわけだ。君たちがやっているのはその箱の外殻をなぞっているだけに過ぎない。箱にとって重要なのは箱そのものじゃない、何が入っているかじゃないか? どういう方程式が、未知数が眠っているかを解き明かすべきではないか」


 この教授は、今怪異を式となぞらえた。理解はできたが、僕には到底納得できない例えだ。この人にとって怪異とは解き明かすものなのかもしれない。それはとても傲慢な考えな気がする。自分にとって理解できない不思議などこの世にはないと宣言しているようなものなのだから。

 今まさに講義をしている大きなブラックボックスを目の当たりにしている僕に、その中に内包されているものを読み取るなんて言うのは千年かかっても出来そうにない。

 もちろん、今回の事件も先生無しでは何十年かかっても無理だ。

 世界の広さ……というか、自分の見ている風景の次元の低さを思い知らされる。

 と、話が結び終わったあたりで異変に気が付く。


「あ……尾田、離席してるじゃん」


 彼のアイコンに離席状態を表すマークがついていた。放課後だというのに講義を受けさせられるのに辟易したのだろうか。


『荷物の受け取りに行ったんじゃないか?』


 椎名が教えてくれる。確かに文字チャット欄を見ると、少し前に『チャイム鳴った。注文したものだと思うので失礼』と尾田からの簡易的な報告が書いてあった。


「ふむ……言いたいことはあるが注文した物なら仕方ないな。」


「とりあえず尾田が戻るまで待ちましょうか」


 少しの間、教授の話に休憩時間ができて皆ほっとしたような気配を醸し出す。僕も力を抜いてリラックスする。


「……いや待て。届け物。その注文した物というのは何だ? 何で届く?」


 しかし、その緩和した空気を再び締めなおすのはやはり教授だった。


『? 何で届くとかは聞いてないですけども、あいつゲーム機を注文したとか言ってたような……』


「ゲーム機……十中八九箱詰めで送られてくるな」


 教授はそれを聞いてホログラムをいじくる。その姿からは、この人にしては珍しい焦りが感じられた。


「どれだ……さっき見たはずだ……アンジくん!」


「はいっ!?」


「多分、君は箱の保管庫のようなものを調べただろう? そこに段ボール箱が無かったか?」


「いや、えぇと……」


 あった。

 そうだ、中は見ていないが段ボール箱はあった。それも分析したはずだ。


「そうだな、分析している。今そのデータに辿り着いた……アンジくん、尾田君に電話してくれ」


 一瞬にして背筋が凍った。

 教授は今箱の中身が重要だと言ったが、それは教訓的で概念的な話。この事件——『コトリバコ』に関しては違う。


『重要なのは……箱の中身じゃない。箱そのものが何で出来ているかだったんだ』


 そう言ったのは確か、E太の家で箱を前にした時だ。物理的にはそういうことになる。


「開けなくて正解だったよ、アンジくん」


 それは良かった。

 だが、僕は良くても尾田が良くない。

 通話は繋がらず、グループ通話の方にも音沙汰がない。荷物の受け取りなんてすぐ終わるだろうに、いつまで経っても彼が現れる気配はなかった。

 耳に当てているスマホの通話音よりも、心臓の重い響きの方が大きく聞こえてくる。息が、苦しい。


 コンコン


「!」


 研究室のドアが叩かれる。


「禁地教授にお届け物です」


 続けて声。だが、ノックした割にこちらの返事も聞かずにドアは開けられた。


「……君か」


 そこに立っていたのは、丸坊主で黒ずくめの男。

 それはまるで、神父のようにも見えた。


「あなたでしたか……救いがあらんことを」


 神父は十字を切り、手に持っていた箱を——ガラスのように透き通った箱を部屋の床に放った。それが床に落ちる前までに、彼はドアを閉めて退室していた。

 僕はそれを受け止めようと立ち上がるが、間に合うはずもない。


 ガシャン


 箱が、割れた。

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