本論8:拷問
「くそっ! おいっ! ここから出せっ!」
G田は今さっき入ってきたドアを力の限り引く。全体重をかけ、ドアノブを引っこ抜かんばかりに開けようとする。
だが、びくともしない。本当にびくとも、全く動かない。普通ならば少しは動いてガンガンと音も鳴るはずだがそれすらない。鍵のツマミも、そもそもドアノブ自体も全くひねることができない。
そこだけ時が止まってしまったかのような手ごたえの無さに、彼の汗は噴き出るばかり。ついには手汗で滑って後ろに思いっきり転がってしまった。
「はっはっはっ! 見ろ! アンジくん! こんなに出来のいいパントマイムはきっとよそでは見られないぞ!」
「……」
やはりこの人のレーザーポインターは人知を超えた力を持っているようだ。きっと扉を開けたり閉めたりはまだその効力の序の口。僕に念を打ち込んだように、もっとおぞましいことも出来るはず。この悪質な魔法の杖によってこれから彼に何が起きるのか、想像もしたくなかった。
真っ先に思いつくのは……拷問だろうか。それは普通に犯罪なのだが、そういう使い方ができるのは想像に難くない。
「……っていうか、この状態は普通に軟禁の要件を満たしてますよ。しょっぴかれますよ」
「これの力が人間に分析できてたまるか。この現象が私の手によるものだと立証できなければ問題ない。それに、物理的にだけじゃなく精神的なバリアも張って、誰の意識からも外してある。ここの異変に気付けるものはいないだろう。用務員がやってきてもここだけはスルーするはずだ」
ご愁傷様、G田。
しかし、同情もしていられない。こいつは極めて自己中心的な思想をもってE太に呪いをかけた可能性が高い。そして計画が続行しているということは、それは確定事項であるということだった。
『私には当然思考を見抜く技能がある。何か秘密を持っていたらもちろん一発でわかるさ。私がハニートラップを実行している間にそれを判断する、この教室に入ったらナンパくんには何かがあるいうことだ』
計画段階で僕はそんな説明を受ける。いつもの中性的な見た目から色気のあるダウナーなJDに変わっていて大いに戸惑ったが、これはこういうものと思うしかないのだろうと究明する気力は全くなかった。
「さて、ナンパくん。観念したまえ。私は何も君を無意味にいたぶるつもりはない。ただ少しだけ質問をしたいだけなんだ」
彼女は——教授は、彼に手を差し伸べ立ち上がらせる。睨む視線にも動じずに、薄ら寒い笑みを浮かべながら、チラチラとレーザーポインターを見せつけるように振っている。挑発のつもりなのだろうか。
不可視の力によって閉じ込められ極限状態にある人間に対し、それは極々効果的だった。
「君はE太という男を呪ったのかい?」
G田は、言葉を失い、ただ立ち尽くす。答えは出ない、否定の言葉すら。沈黙を肯定と翻訳するつもりはさらさらないが、否定と訳すつもりにもなれなかった。
何も言わないのなら、事実は彼は呪ったという一点に固まるだろう。。
「くっ……そぉ!」
こんな追い詰められた状況に陥ってしまった者は得てして破れかぶれの行動に出がちである。目の前にちらつかされている意味深なポインターを奪おうと彼女に襲い掛かる。
その瞬間を目撃されれば、確実に暴漢扱いである。彼女の手によっていつドアが開かれるかもわからないし、そもそも僕という目撃者が片割れにいるし、撮影なんかされていたら詰みの場面だ。しかし彼にとって今は社会的な地位を気にしている場合ではない。
手が、その金属製の棒目掛けて伸ばされる。
「ふむ。その意気や良し」
だが、躱す。
続けて伸ばされた手も、跳んでくる拳も体当たりも、すんでの所で躱される。
猫とおもちゃで遊ぶ時と同じだ。掴まれないギリギリで逃げ、次の攻撃を誘う。そうして二、三撃いなし、唐突に背後に回り彼の腕を極めながら近くの机に押し付けてしまった。
「ぐあっ!」
「抵抗の意思を見せるというなら、スムーズに次のステップに移行することができる。短気で激情しやすそうな君のことだ、こうなるんじゃないかと思ってその算段を立てておいたのだが……無駄にならなくてよかった」
「つ、次のステップ……」
ひどく明るい物言いだったが、厭な予感がする。いや、もうとっくのとうにその予感はあったのだが、それの裏打ちが為されそうな気がするのだ。
彼からは見えないだろうがこの女の表情は今、大層楽しそうに歪んでいる。人の不幸は極上のスパイスだとでも言うように。
「教授、まさか……」
「質問、あるいは尋問に対し、彼はとても非協力的だ。やるしかないだろう、拷問」
「っ!」
「拷問!? ふざけんな! なんでそんなことされなきゃなんねぇんだよ!」
そもそも心を読む技術があるならこんな馬鹿みたいなことしなくとも分かるはずなのではないか?
どうして拷問なんて社会的リスクを負うような真似をしなくてはならないのか。
この人、ただ単に人をいたぶって楽しみたいだけなんじゃないんだろうか。
「人の心が整然としていると思っているのかい? ソートされていない図書館から望みの一冊を見つけ出すようなものさ。真実は屈服の先にある。心を調伏させ、自ら差し出させることで意味を成すんだ」
「だからって……」
「まぁ、止めたってもう遅い。もう箱は箱の中にあるんだ。あとは、中身を空けるだけだ」
「箱の中に、箱……」
片方は僕が持ってきたコトリバコ。だとするならもう一つの箱は……
仕切りで囲み外界から遮断して小さく密閉する——それが箱。
「拷問というワードチョイスが良くなかったな。儀式……または我慢大会だ」
「……やめろぉ!!」
珍しく言葉を荒らげ、彼女を止めようとする——だが、既に箱にポインターが向けられていた。
ぷしゅっ、と気の抜けた音がする。密閉された何かが勢いよく空気を取り込む音。空気を取り込み入れ違いにその中の何かが出てくる音。
それと共に勢いよくコトリバコの蓋が開かれた。
「!」
「!」
僕とG田は息を呑んだ。
彼の事情はよく分からないが、中身を知らされていた僕ですら、その光景は絶句に値する様だった。
どろりと、黒いタールのような、濁りだった。煙のような物質ではない、空間そのものが汚濁されている、そんな現象だった。それが、教室に比べれば小さな箱から際限なく湧き始めた。
「う……っ」
箱に近かったのはG田だった。あまりにも不気味だったから僕は距離を取っていたのだが、それが幸いした。
ふわりと彼の周りを濁りが包んだ。
その瞬間に彼はくぐもった声を上げ——えずく。ああいうのはよく飲み会で見かける。あれをしたらそいつから離れるのが鉄則、リバース一歩手前の反応だ。
「それ、吐かないと吐くことになるぞ」
突発的な吐き気。恐らく身をよじりたいだろう。
とにかく矢鱈に体を動かしてしまいたいだろう。
だが禁地教授がそれをさせない。抑えつけたまま、自分は涼しい顔で話を聞きだそうとする。この濁りの影響を全く受けていないのに——なんて人だこの人は、僕まで巻き込んで!
「……教授! やめてください!」
「おいおい、この男が可哀そうに見えるのか?」
「そうじゃなくて、何で僕まで!?」
「そうじゃなくてってなんだよ! こんなクソみてぇなことに巻き込みやがって! 後でお前も殺してやる!」
さっきわずかでも抱いていた同情を返して欲しいな。
鋭い殺気が向けられるが、それも全部自業自得、むしろ僕は巻き込まれた側だと主張したい。納得はされないだろうが。
「三人くらいいないとナンパくんに後遺症が残る。君の存在が今、彼を救っているんだよ」
この人……っ! 呪いを希釈するために僕まで閉じ込めたのか!
なんて人……いや……
「この、人でなしっ!」
「あー! その言葉は禁句だ! もうちょっと後までとっといて欲しかったんだがな」
何を言っているんだこの人は。
箱と、そして教授から身を離し、教室の隅で僕は蹲ることにする。
「うううう……なんでこんな目に……」
やはり拷問は続く。何もかもが、教授を止めるには足りない。どんな言葉もこの人のブレーキを踏むことはない。
「う、おおおおおぉぉぉっっ!」
だが、それでも抗うG田がついに力づくで彼女の拘束から逃げ出す。
「殺す! ぶっ殺してやるぅぅっ!」
尋常ではない気配を纏っている。濁りが、彼の体からも湧き始めているのだ。
この濁りが恨みの感情エネルギーだとするならば、確かに一番その感情が強いのは彼のはずだ。
その感情の強さが、この密閉された空間においてはそのまま肉体の強さにもなっている、そんな気配を感じた。
暴力的な敵意が、教授に向けられる。G田は今にも飛び掛かってきそうだ。
「教授! 危ない!」
「……一つ問題だ、アンジくん。コトリバコは誰を狙うと思う?」
どうやら、教授にとってまだこれは危機それはとは呼べないもののようだ。それが愚かさ故に来る慢心なのか、確かな実力から来る余裕なのかは分からない。
ただ、今は確実に授業の時間ではないことだけは、僕にもわかる。
「そんな場合じゃないでしょう!」
「いいから。答えて」
「……そりゃあ、呪いのターゲットじゃないんですか!?」
「違う。それはコトリバコを届けた何者かの狙いだ。問題は、このコトリバコ自身が誰を狙っているかだよ」
異常だ。G田の目は白目を剥き、口の端からはだらだらと涎が垂れている。まるであばれ牛か何かの獣のようだ。理性が感じられない。
「箱の材料はE太とは無関係の女性。二人は面識がないはずだ。だが箱はE太を呪った。呪いには、恨みという繋がりが無くてはならないのにだ」
「一体何が言いたいんですか教授は!」
「――答えは無差別。そこにいる者を――恨みの念を浴びた者から呪っていく。従って、だ」
ついに猛牛が動き出す――っ。
そう思った。
しかし、そうはならなかった。起こったのは教授への攻撃ではなく――G田自身への自傷だった。
彼の首には、彼の両の指が食い込んでいる。肌が白むくらいに力を入れて、締め上げている。
「恨みの根源に近い者から影響が出始める。自分自身も例外じゃないさ」
「じゃ、じゃあ、彼は自分で自分を……呪った?」
「この部屋は今、疑似的にコトリバコとなっている。だから、そのルールがそのまま適応されたんだ」
「ぐっ……ご、げっ」
「ほれ、さっさと話せ。じゃないとあの箱は閉じない。君は死なないにしてもそれ相応に苦しむわけだ」
「な、んで、お、れがっ」
「人を呪ったんだ。それくらいは苦しんでも仕方がない。自業自得だ。人を呪わば穴二つとも言う」
「ぐ、あ……」
「さぁ、話すか話さないか、さっさと決めたまえ。こちらもあまり暇ではないのでね」
つぅ、と教授の唇に赤い血が伝う。涼しげな顔をしていたが、彼女も相応のダメージを負っていた!
「はなずっ! はなずからぁ!」
「よし、我慢大会終わり!」
すぐさま、またポインターを向けてボタンを押した。すると濁りはみるみるうちに箱に吸い込まれ、密封されてしまった。
ようやくまともに呼吸ができる。教室の空気なんか汚いと思っていたが、その考えは改めなければならない。チョークの粉塵混じりでだって迷わずに吸い込んでやる。
「さぁて、聞かせてもらおうか。呪い請負業者の根城についてな」
だが、まだ教室のドアは開錠されていない。あくまで逃がすつもりはないようだ。
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