本論1:禁地花太郎教授について
どういうことかというと、僕にとっては、あの人はストレートボブの黒髪で、非常に中性的な全体的に丸っこいパーツばかりの可愛らしい顔を持つ背の低めな人に見える。服装はサスペンダー付きのスーツスタイルだ。
しかし。
「何言ってんの。黒いけどクセ毛だし、ゴツッとした顔の厳ついおっさんじゃない」
「違う違う。金髪でスタイルのいい美女でしょ」
「えー。俺にはおじいさんに見えるんだけどなぁ」
「イケメンでしょ。今絶賛の人気俳優並みの」
「……小学生くらいの女の子に見えた」
周りの人物に話を聞くと同じ答えは一つとして出てこなかった(最後の奴はしばらくペドフィリアの誹りを受けるのだった。哀れ)。さらに考察してみても、各々が見たそれが過去見たことがある姿というわけではなく、またそれが彼彼女にとっての好みや理想の姿だということでもなかった。
その姿の浮かび上がり方はまるっきり無作為でランダムだった。掘り下げていくごとに謎は深まるばかりで生徒一同は首を傾げ続けた。
そんなてんでバラバラな見解だが、一つだけ不思議と共通することがあった。
「でもまぁ、普通」
「普通の人、だよね」
「性格はアレだけど、見た目は普通」
「普通に見るタイプだね」
「……」
「普通」。どういう視点でそう見えているかは異なるだろうが、皆一様にしてそういう印象を受けていた。皆がいの一番に思い浮かべる普通の人間の姿というわけではないのだが、不思議とあの人に対してはそういう感情を抱いてしまう。
故に、奇妙奇天烈な現象を起こしているにも関わらず、この存在はすとんと僕たちの心の中に滑り込んで融和したのだった。ひそひそと行われていた考察も、次第に雑談で話す程度のものとなっていった。
僕もおおむね皆と同じ認識であった。この人は見事に普通の人間であった。
ただ、多くの生徒はあの人に近づかない。あの人の講義はとても圧倒的に圧が強く、弱気な生徒たちを意図せず跳ねのけてしまうのだ。具体的には、やたら大きな声で演劇ぶった口調で話し、それと同じテンションで生徒に答えを求めてくるといった感じだ。誰もが恐怖の念を抱いたはずである。
そうした圧に負けずにコンタクトをとった稀有な勇気を持つ生徒は、しかしながら間もなくしてこの人の普通の外見の中に存分に詰め込まれた異常性に気が付くことになる。それを一言で表すと、「引力を持った泥沼」であり、我々をその異常性に容赦なく巻き込んでくるのだ。
結局この人の周りになんとか縋りついている生徒は両手で数えられるほどしか残らなかった。僕こと
傍から見ている人たち、また脱落していった人たちは禁地親衛隊を「勇者」と褒めそやすが、僕たち本人はそんな風に自負するつもりは全くなかった。
そう、我々は逃げられなかった——『
■■
「待っていたよアンジくん。五分の遅刻だ」
「……はい?」
僕の全ての授業が終わった後、今日受けた禁地教授の授業に関して話したいことがあり、気まぐれで研究室を訪れたのだ。アポはもちろん取っていないので、約束の時間なんてものは設定されておらず、したがって遅刻なんて概念はこの会合には存在しないはずなのだが、部屋に入って早々教授は椅子にふんぞり返りながら僕にこう告げたのだった。
「でも、僕一言もここに来るとは言ってないですよね? それを遅刻って」
「四時限目の授業が終わり、そこで君は私の研究室に来ようと決めた。だけども、途中で小腹が空きおまけにカフェインも取りたくなった。君の教室は一階、で、地下階にある購買のコンビニへと軽く買い物をしに階段を下る。幸いレジは混んでいなかったものの運悪くコーヒーマシンの豆が切れていて水っぽいのが出てきてしまい、店員に豆を入れてもらってから改めてアイスコーヒーを入れた。外は寒くなっているのに変わっている。そうして本来辿り着いていた時間より五分の遅れを出して今君はここにいる。これを遅刻と言わずして何と言う? 答えてみたまえ」
だらだらといやみったらしく笑いながら僕の行動を述べ、教授は手でこちらを指してくる。今日の授業でもこうして僕は答えを求められたのだ。この人にとっては授業もプライベートもないのだろう。全てシームレスなテンションで過ごしているみたいだ。
「……僕とあなたの間で取り決めた時間がそもそもないので遅刻ではありません。それ以外の何かでもないです。虚無です。あなたが勝手に言ってるだけでしょうに」
「はははっ。で、私の見立ては間違っているかね? 君がここに来ることに気づいてから、私が五分ほど待たされたのは確かな事実だよ」
「……当たってます。一分一厘たりとも間違ってません」
気持ちが悪いほど当たっている。コンビニで買ってきた、とかの下りはまだギリギリ当てられそうだが、ここに来る決心をしたタイミングまで察せられているのは大いに気持ち悪い。
やはり異常だ、この人は。多分、何かしらの超能力は持っているんじゃないだろうか。それが事実ならますます手に負えなくなってしまうのだが。
「よしっ。今日も私の千里眼は快調だな。さて、別に遅刻を咎めるつもりはない。軽い冗談だ。そこに座って菓子でも一緒に食べよう。コンビニブランドの100円の……いつものチョコリングスナックだな」
「はいはい」
私は教授の肘付き回転椅子の前に開かれたパイプ椅子に座った。その横には皿の乗った小さなテーブルも置いてある。そこに菓子をあけろということだろう。
何もかもお見通しで——その上で非常に図々しい。別に教授のために買ってきたわけではなく、僕が個人で食べるために持ってきたものなのだ。それを当たり前のように分けてもらえるものとしている。全くもって腹立たしい限りだ。
「いやまったく、今日も疲れた。君のこの捧げ物がなければやっていられないよ」
「捧げ物を差し上げてるんですから、何かご利益をくださいよ」
「いつもあげているじゃないか、知恵を」
これまた絶妙な加減の正論だ。ただ、他の生徒は捧げ物をしていない中で僕だけがあげているので不平等な気はする。別にこうして話していても特別得られるものはないのだから。
得られるのは、若干実りのある楽しい会話だけだ。
「はぁ……そういえば、僕が部屋に入ったとき、何か作業してましたよね? 授業というよりもそっちで疲れてるんじゃないですか?」
「ん……あぁ、面白いパズルが手に入ったのでね、それを解くのに頭を振り絞っていたんだ」
「研究とかじゃないんだ……」
何のための捧げ物だ。遊びで頭使うならそれで糖分を補充するな。
「ふふふ、これだよ」
教授は雑に書類の乗った事務机から一つの立方体を持ってくる。寄木細工というやつだったか、様々な模様の彫られたいくつもの木製のパーツが組み合わさってできた箱だ。恐らく、ある一定の順番でそのパーツを動かすと開く仕組みなのだろう。
「アンジくん。君はリンフォンを知っているかい?」
「……確か極小サイズの地獄そのものであるパズルでしたっけ? 聞いたことありますけども、ネットの都市伝説じゃないですか」
「今の時代、口伝よりネットだと思わないかね、若者のアンジくん? その伝手も決して馬鹿には出来ないよ。怪異にとっては、存在が人へと伝わることこそが重要なのだからね」
「はぁ」
大学の教授がそれを言ってしまっていいのだろうか。そう思ったが、いつまでも時代はアナログではいてくれないのだろう。多分、また二十年後なんかにはもっと技術は発達していて、我々もそれを受け入れざるを得なくなる。その時にいつまでもアナログにこだわることは人類の進化に対する否定に他ならない。そういうことなのだろうか。
それでも、アナログの方に重みがあるような気がしてしまうのは、二つの狭間の時代に生まれた性なのだろう。
「このパズル、極小の地獄でこそないが、非常にそういうものに近い。これはね、異界を閉じ込めた箱なのだよ。この世でも地獄でもないどこかをぎゅっと閉じ込めた箱。あぁ、とてつもなくワクワクするねぇ」
「……僕には何の変哲もない民芸品に見えますけども? 箱っていうのは未知数なんじゃなかったでしたっけ。お得意の千里眼で見透かしちゃったんですか?」
「まぁそんな感じだがね——それでも詳しいことは開けてみないとわからないんだよ」
無邪気に目を輝かせながら箱を撫で、その内に潜んでいる異次元を想起する教授はクリスマスのプレゼント箱を目の前にしている子供のようだった。
未知と不可視に対する好奇心、か。
「——今日は、箱ばかりだ」
「ん? そういえば、君は何か話したいことがあってここに来たのだったな。わざわざ放課後に研究室に訪れてまでしたい話っていうのはどういう話なんだい?」
「そういうのも見透かせないんですね」
「そこは見透かしたら面白くないだろう? ネタバレは好かないんだ。会話は新鮮な気持ちで楽しみたい」
「じゃあ、腐らないうちに話しちゃいましょうか。きっと興味深い内容ですよ——今、ここいらで出没している『コトリバコ』に関する噂です」
ここで、一瞬教授は険しい顔をして——そしてすぐにニヤリと笑った。箱を皿の隣に置いて手を組んで踏ん反り返り、信じられないほど不遜な態度でこちらの話に耳を傾ける。
「ほう? では、聞かせてくれたまえ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます