第21話「種市の渦——群衆の余白と舞台の終わり」
春の市場は、音が近い。
籠が触れて鳴る軽い音。苗箱の湿った匂い。呼び込みの声。
看板を撫でて、扉に一滴だけ油。いつも通りやってから、僕は少し息を深くした。
「今日は種市だ。畑じゃなく、人が回る」
レイナが地図の円に線を引く。
広場——舞台——露天——退場路。
「塔は写しと補助。指揮は現場。紙は道具で、主人じゃない」
ベルクは顎で舞台を指す。
「第三騎士団は入退場の空を持つ。剣は抜かない。楯で楔(くさび)を作る」
フィオは桶を数え、器を重ね、笑った。
「余白の粥は裏手。見物の列が荒れたら、終わりの合図で火を落とす」
ミロは子らに若草の小旗を配る。
「半は旗ひと振り。声が埋もれる時は、鈴一打」
僕は紙を一枚、柱に貼った。
《群衆の三行》
一:入場の帯(矢印を太く・時間を短く)
二:見物の余白(輪・一歩・器)
三:退場の終わり(灯三瞬/鈴一打/“帰り歌”)
角は丸。黒地白字。下に改めた名。
帯長ベルク、余白番マルタ、読み手ラース、見方は停止路工房(ディオム)、歌い手は市童会。
舞台袖の柱に、もう一枚。
《舞台の三行》
一:曲ごとに終わりの合図
二:次の曲まで半を置く
三:退場の帯を前に出す
「回せるか?」
ベルクが短く聞き、僕は短く頷いた。
「回さない歌・群衆版を合わせて回す」
午前。
入場は順調。入場帯は太い矢印が効いて、列は息を合わせる。
見物の輪は一歩空き。器は重なり。
ここまでは、いい。
青い箱が、運ばれてくるまでは。
「群流最適匣(フローキャスター)」
商会の企画長——サーレン。黒革の手袋、笑顔が薄い。
箱の窓で針が震えて、札が自動で上下する。
「見物の隙間ゼロ。立ち止まりは損失。前へ。——最適に人波を押す」
ベルクの目が細くなる。
「停止路義務」
「鍵はある」サーレンは肩をすくめた。「中央で止める。現場は押すだけでいい」
レイナが一歩前。
「名で止められない最適は、呪い」
「呪いが嫌なら、速くしろ」
匣は柱に据えられ、入場帯の札の上から勝手に指定を重ね始めた。
人は前へ。もっと前へ。
空が痩せる。
肩と肩が触れて、笑いが薄い怒りになる。
マルタの旗がひと振り。若草半。
——届かない。
音は厚く、人は多い。
舞台の幕間で太鼓が鳴り、最適の拍が人の拍を上書きする。
「半!」
僕は匣の背面へ。蓋の蝶番、刻み、逆刻み界面。
ある。だが、深い。
押すために遅延針が束で入っている。止めを鈍らせるための遅延。
汚い手だ。
「ベルクの名で止まる!」
ベルクの声が落ちて、楯が斜めに立つ。
騎士たちの楯で作った楔が、波を切る形になった。
歌い手が低く回す。
《回さない歌・群衆》
さきのな、とめ
あとのな、まつ
はん(若草)
から、ひとつ
おわり、いちど
太鼓の拍と、歌の拍がぶつかった。
僕は匣の遅延針を一本、抜く。そして、逆刻みを半歩だけ戻す。
名を残す欄に、墨で太く。
「群流匣・逆刻み:リオン」
針の震えが半に乗る。
波が止まれる速さに落ちた。
肩が、離れる。
息が、戻る。
サーレンは笑わない。
「速さは落ちた」
「折れないなら、上がる」
僕の声は薄い自分でも分かる。喉が乾いていた。
昼の空。
フィオの粥。器の音が終わりを示す。
「午後は退場が本番だな」
ベルクの言葉に、僕は頷いた。
退場は一番折れやすい。人は帰りで油断する。
舞台袖に、もう一枚。
《退場の三行》
一:退場帯(外→外/二段)
二:半を前に置く(若草旗)
三:帰り歌(短・低)
レイナが台本を三行に切り、シェルが角を丸め、ラースが胸札に印字。
ディオムがやってきて、匣の側面に白い印を付けた。
「波切り合図。楯の楔と合わせる」
楔の角度。十五度。
規格に入れる気だ。僕はうなずく。
退場。
最初の列は良い。二列目も良い。
三列目で、太鼓が速くなる。
舞台裏で誰かが最適の拍を叩き始めた。
匣の針が震え、楔の角度に逆らう。
「上からだ」
ディオムが目だけで示す。舞台の梁。見えない小匣。
輪の歌に似て、少し違う群衆拍。
ベルクが鞘で石畳を一度。
終わりの合図。
マルタが若草旗を高く。
歌い手は帰り歌に入る。
「さきのな、とめ/あとのな、まつ/はん/から、ひとつ/おわり、いちど」
低く、短く。帰りは高くしない。
僕は梁の小匣に手を伸ばし、逆刻みを外に出す。
白い印を二つ。
「波切り:角十五/間ふたつ」
列が割れる。
楔が道を作り、帰り歌が拍を持ち、若草半で止めを前倒しにする。
匣の針は、人に追いつけない。
それでいい。
サーレンが歯噛みを飲み込む音が聞こえた。
「鍵は?」
ブラン(規格局)が横から短く。
「最終停止。名札穴は必須。——名を先に」
サーレンは鍵を握ったまま、筆を取る。
「群流匣・担当:サーレン——逆刻み口の設置に同意」
筆圧は重い。
名は残った。
裏手。
別の匂い。紙の匂い。
小さな札束が配られていた。「優先観覧トークン」。
仮旗から確旗へ早替えできる権利。隅に小さな官印。
出たな。
取り立て番ルオが、黒地太字の免除枠を叩く。
「救護/避難/破損。……名を出せ。返せるお願いで」
札束は吸い寄せられるように、掲示板の改めた名に消えた。
ざまぁは、紙が列に変わる音。静かだ。
夕暮れ。
舞台の最後の曲。
歌い手の声は低く、短い。
終わりの合図は灯三瞬、鈴一打、器ひと重ね。
退場は帯で回る。
匣は動く。けれど、名の前に止まる。
止められる最適は、人の速さに入った。
ユーンが柱の陰で、短く言った。
「群衆は、式より詩が速い」
ディオムは匣の縁を拭い、白い印の角度を指でなぞる。
「式は詩の後で短くすれば残る」
ブランが綴り本の付録に新しい頁を挟む。
《R1-群衆付録 RC1》
必須:
名で止める(帯長/余白番/歌い手)
半(若草旗/鈴一打)
楔十五度(楯・柵の角)
帰り歌(短・低)
逆刻み界面(群流匣)
推奨:
見せ方・群衆(高旗/黒地白字/矢印太)
息の指標(怒号数/褒め数/終わり回数)
現場枠:
旗の色/鈴の音/楔の材
末尾の改めた名。
「規格局:ブラン」
「停止路工房:リオン/レイナ/ディオム」
「第三騎士団:ベルク」
「市民:余白番マルタ/取り立て番ルオ/歌い手・市童会」
「監:ユーン(臨時)」
夜。
看板を撫で、閂に一滴。
今日を楽にする工房。
文字は軽い。
人の重さを小さく割って担ぐやり方は、まだ増やせる。
明日は、市場の外だ。
回廊の分岐で需要予報の裏口が動くらしい。
サーレンは引かない。
でも、名は残った。
それがあれば、戻せる。
僕は鈴を一打。
終わりの合図。
——回っている。
第21話ハイライト
春の種市で大群衆。**《群衆の三行》と《舞台の三行》**を導入(入場帯/見物の余白/退場の終わり)
商会企画長サーレンが**《群流最適匣》**を持ち込み、隙間ゼロを強制 → 逆刻み界面+若草半+楔(十五度)+帰り歌で“止まれる速さ”へ矯正
回さない歌・群衆版が機能。楯の楔で波を切り、梁の小匣(群衆拍)も逆刻みで無力化
優先観覧トークンは名の灯り+免除枠で無効化(静かなざまぁ)
規格に**《R1-群衆付録 RC1》**を追加:名/半/楔十五度/帰り歌/逆刻み界面を必須化
「式は短く、詩は太く」——人の速さへ最適を合わせる設計が次章へ繋がる
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