九条レイナに抗えない
上下上下
九条レイナに抗えない
私はいつだって愛されてきた。
男子も女子も、教師ですら私に微笑む。
理由なんて、考えたこともない。
ただ――世界は最初から、そういうものだった。
教室に入れば、机の上にさりげなく置かれたお菓子。
「ノート写させて」と、頼んでもいないのに差し出される丁寧な字のページ。
昼休みに「一緒に食べよ」と笑顔で弁当を広げる。
なぜ私にここまで尽くすのか、ほんの少しだけ疑問に思ったことはある。
だが結論はいつも同じ。
どうせ、みんな私を好きになる。
私がそこにいるだけで。
「レイナ、今日も一緒に帰ろ」
隣にいるのは、幼い頃から付き纏ってくる存在。
中学ではあまり放課後に絡んでくることはなかったはずだけど、高校に入ると、休み時間だけではなく放課後まで私に付き従うようになった。
しかも最近は――ちょっとした世話まで焼いてくる。
「ほら、髪ほつれてる。……はいピン」
「今日ノート写す? 私の字、読みにくくない?」
そこまでして寄り添ってくるのに――私は、彼女を特別だと思ったことは一度もない。
ただ、他より長く縋りついているだけ。
放課後、廊下で男子に呼び止められた。
「九条さん、ずっと好きでした。俺と、付き合ってください!」
顔を赤らめ、必死に言葉を絞り出す姿。
……何度目だろう。
そして何度も同じように、私は軽く微笑んで言う。
「ごめんなさい」
その瞬間、背後からクラスメイトたちが「やっぱダメかぁ」と小声で囁く。
分かりきった結末を見届けるように。
結局、みんな同じ。
私を求め、私に拒まれる。
その繰り返し。
──ふと視線を横にやると、隣の彼女が先輩らしき人物に声をかけられていた。
「久しぶり。……部活、またやってみない?」
どうやら中学時代の部活仲間らしい。
彼女は少しだけ迷ったように視線を落とし、けれどすぐに首を横に振った。
「すみません先輩、放課後は……レイナと一緒にいたいので」
……勝手にすればいい。
その日の放課後、隣の彼女に連れられてカフェに寄った。
「今日は私が奢るから!」
やたらと張り切った笑顔。
けれど財布を出す手つきは、もう慣れきっている。
……今日も、の間違いでしょ。
「レイナ、甘いもの食べたほうが疲れ取れるよ」
にこにことケーキを押し付けてくる。
結局いつも、奢るのは彼女のほうだ。
何度も奢られたところで、私の気分が変わるわけでもないのに。
ただ、暇を潰す相手としては悪くなかった。
帰り際、駅前で彼女と別れる。
「じゃあ、また明日ね!」
そう手を振る彼女を残して、私はひとり夜道を歩き出した。
夜道は人通りが少なく、街灯の明かりがところどころで途切れていた。
制服のローファーがアスファルトをコツコツと叩く音だけが響く。
「……おい、そこの嬢ちゃん」
背後からくぐもった声。
振り向けば、男がふらつきながら立っていた。
だらしなく開いたシャツ、酒瓶を握りしめた手。
鼻をつくアルコール臭が風に乗り、距離を縮めるたびに濃くなる。
「ちょっと飲み直そーぜ? な? 一杯だけでいいから」
「俺、いい店知ってんだよ。……な?」
よろめきながら手を伸ばしてくる。
普通なら悲鳴のひとつも上げる場面。
けれど私の胸は、不思議なほど静かだった。
「……どっか行きなさい」
ただそれだけ。
気づけば、口から自然に言葉が零れていた。
男の足がぴたりと止まる。
焦点の合わない目が一瞬、虚ろに濁った。
そして次の瞬間、踵を返し、ふらふらと夜の闇へ消えていった。
まるで糸の切れた人形のように。
私は立ち尽くしたまま、その背中を見送った。
心臓は高鳴らず、汗も流れない。
ただ、胸の奥に――説明できない違和感だけが残っていた。
……今のは、何だったのだろう。
翌日の放課後、いつものように彼女が私の隣にいた。
「今日の授業、板書速すぎなかった? 私、ノートまとめといたから渡すね」
取り留めのない話を延々と続けながら、笑顔を浮かべている。
……うるさい。
けれど今日は、その存在が妙に都合よく思えた。
私は立ち止まり、彼女を見た。
「……黙って、私の後ろを歩きなさい」
一瞬、不思議そうに目を瞬かせたあと――彼女の瞳から光が抜け落ちた。
虚ろな視線のまま、言われた通りに私の後ろに立ち、無言でついてくる。
昨日まで「奢るよ!」と笑っていた子が、今はただの人形のように。
昨夜の酔っ払いと同じだ。
偶然じゃない。これは、私の力。
胸の奥に冷たい熱がじわりと広がる。
「じゃあ……明日からは、私が帰るまでずっと机の横に座っていなさい」
「……うん」
従順な声。疑問も抵抗もない。
私は息を吐き、唇の端をゆっくりと吊り上げた。
――やっぱり。
私が命じれば、人は逆らえない。
その程度の存在だ。
少しして、後ろの彼女が再び部活の先輩に声をかけられていた。
「ねえ、やっぱり戻ってきてほしいの。あなたがいないと困るのよ」
優しい声音。
彼女は少し困ったように笑っていた。
あんなふうに必死に縋られても、結局どうせ私の隣にいるくせに。
先輩に近づき目を覗き込む。
「そんな顔する必要ないわ。……あの子なんて、もうどうでもいいでしょう?」
その瞬間、先輩の目が虚ろに濁る。
「……そうね。どうでもいいわ。二度と顔も見たくない」
さっきまでの優しい声音が、一転して冷たい拒絶に変わる。
先輩は踵を返し、そのまま立ち去っていった。
彼女はその場に立ち尽くし、ぽかんとした顔をしていた。
困惑、戸惑い、悲しみ。
それでも私には何も問わない。
私は小さく微笑んだ。
――やっぱり、面白い。
その直後、廊下の向こうで男子と目が合った。
昨日、私に告白してきた相手。
まだ未練があるのか、迷いを帯びた視線を向けてくる。
……都合がいい。
私はゆっくり歩み寄り、彼の目を覗き込んだ。
「あなたが好きなのは、私じゃない。……あの子でしょ?」
一瞬、男子の目が揺らぎ、すぐに虚ろに濁った。
「……そうだ。俺が好きなのは……彼女だ」
確信に満ちた声。
まるで最初からそうだったかのように。
背後で彼女が目を見開き、頬を赤らめていた。
私はその表情を横目に、心の中で笑う。
――人の感情なんて、いくらでも書き換えられる。
後ろの彼女の立ち位置も、先輩の拒絶も、男子の心変わりも。
全部が私にとっては実験にすぎない。
――そして実験は、成功した。
人の好意も、友情も、憧れも。
全部この手で壊せるし、好きに書き換えられる。
ならば、試してみたい。
クラスで。学校で。
やがては、この世界で。
私は窓に映る自分の笑みを見つめ、小さく呟いた。
「特別なんて、私の気分ひとつで変わるのね」
友情も恋慕も、私の手の中で弄ばれるだけ。
胸の奥で広がるのは、ただ冷たい快楽だけだった。
九条レイナに抗えない 上下上下 @kamishita
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