第三部

第四十一話「灰の都、沈黙の宮殿」

1 灰の大地


 名もなき地を越えた先に、さらに広がる灰の平原があった。

 色はすべて褪せている。

 草木は黒い影のまま枯れ、岩は灰の粉をまとって鈍い光を返す。

 風は吹いても音を持たず、ただ衣を冷たく揺らすだけだ。


 「……ここが、灰の縫い手の都か」

 セレスティアが呟いた。


 遠くに、巨大な建物があった。

 城とも宮殿ともつかない、灰色の塊。

 塔は天を突き、門は裂け目のように黒く口を開いている。


 俺の胸骨は、波でも風でもなく、ただ沈黙そのものを刻んでいた。


2 沈黙の宮殿


 近づくにつれ、壁の材質が分かってきた。

 石ではなかった。

 布だった。

 灰の縫い手たちが織り合わせた、無数の「奪われた拍」でできた布の層。

 外から見れば岩のようだが、触れれば柔らかく、指を沈めると音が吸い込まれて消える。


 門の前に立ったとき、俺の砂時計は沈黙した。

 粒は落ちているのに、胸骨の裏に一切の返りを持たない。

 「……ここでは、内の返りすら奪われる」

 フロエが青ざめた声で言った。


 セレスティアは剣に手を添えた。

 だが抜かなかった。

 「斬るより、聞け。ここに何があるかを」


3 灰の人影


 宮殿の中は広い空洞だった。

 柱も壁も、すべて灰布でできている。

 その中に、無数の人影が佇んでいた。


 顔はない。

 ただ灰布を纏い、声もなく立ち尽くしている。

 歩いても、呼んでも、まったく反応しない。


 「……人か?」ミラが囁く。

 「いや、人だったものだ」工匠が答える。

 「拍を奪われて、立ち続けることしかできなくなった」


 封糸の女が指を震わせた。

 「沈黙の織り……人を布にする織り……」


4 灰の王


 奥に、一際大きな玉座があった。

 そこに座る一人の影。

 外套は他の灰の縫い手よりも濃く、顔は完全に覆われていた。


 「来たか」

 声がした。

 外に響いたわけではない。胸骨の裏に直接刻まれた。


 「……灰の王」セレスティアが剣に手を置く。

 「お前が拍を奪ってきた張本人か」


 「奪ったのではない。静かに還したのだ。人は拍を持たねば裂ける。縫い目を持たねば争う。ならば、すべて沈黙に還せばいい」


 その声は甘やかで、しかし底冷えがした。


5 王都との因縁


 灰の王は立ち上がり、布の裾を引いた。

 「この沈黙は、おまえたちの王都から始まった」


 俺たちは息を呑んだ。

 「王都……?」


 「かつて王都は布を均しく織るために、余計な拍を捨てた。

  歌にならぬ声、記されぬ拍。それらを棄却し、均整を求めた。

  私は、その捨てられたものを拾い上げただけだ」


 グラールが顔を歪めた。

 「……棄却された布……それが灰布の始まり……」


6 内なる揺らぎ


 セレスティアは沈黙したまま剣を握り、震えていた。

 「私たちが守ろうとした織布が……奪う側でもあった……?」


 アリアは胸を押さえ、呼吸が乱れた。

 「なら、私たちの稽古は……奪うための稽古だったの……?」


 仲間の目が揺れる。

 拍を奪う敵が、王都と繋がっている。

 布を守るために歩んできたはずの道が、足元から揺さぶられる。


 俺は砂時計を抱いた。

 音はない。だが、粒は確かに落ちていた。

 「……違う。俺たちは奪うために歩んできたんじゃない。縫い目を見せるために歩んできたんだ」


7 灰の王の誘い


 灰の王が手を差し伸べた。

 「ならば、ここで選べ。

  沈黙の布に加わるか。

  それとも裂けて滅びるか」


 その声は甘く、同時に冷酷だった。

 仲間たちは息を呑み、足がすくむ。


 俺は前へ一歩出た。

 「俺たちは沈黙に加わらない。裂けても、縫い直す」


 灰の王は、わずかに笑ったように見えた。

 「ならば——試してみよ」


8 試練の幕開け


 宮殿の布が波打った。

 人影たちが一斉に動き出す。

 無数の灰布の兵が、拍を奪う沈黙の波をまとって迫ってきた。


 「——来るぞ!」

 セレスティアが剣を抜いた。

 仲間たちも立ち上がる。

 胸骨の裏にはまだ返りはない。だが、名は残っている。


 浮き受け。三点の受け。泡返り。沈み癖の抜き。雨の半拍。

 名は縫い目だ。ここでこそ使う時だ。

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