第三十九話「灯台の誓い、海に残す縫い目」
1 朝の灯台
夜明けの港は静かだった。
昨日の波がまだ身体に残っていて、床を歩くたびに足裏が揺れる。
海辺の灯台は、丘の上に立っていた。石を積んだ円筒の建物。外壁は潮風で白く剥げ、ひび割れには草が芽吹いている。
「ここで渡すんだな」
フロエが柄板を肩に担ぎ、見上げる。
老人が頷いた。「灯は夜のためにある。昼は人の目を導かない。だが——昼の灯台は縫い目を残す場所になる」
2 子どもたちの集い
広場には、港の子どもたちが集まっていた。
昨日、桟橋で「走って止まる遊び」をしていた顔がちらほら見える。
裸足の足には塩で白くなった跡が残り、目は輝いている。
「沈まないで戻ったんだよな」
「名前をつけたって!」
小さな声が弾む。
老人が手を上げて静めると、俺たちを見た。
「おまえたちが学んだものを、言葉で渡せ。灯台は言葉を覚える塔だ」
3 受けの名を刻む
俺たちは順に、昨日の稽古で得た技を言葉にして伝えた。
セレスティアは「浮き受け」を示した。
帆を背にして両腕を広げ、胸を空に預ける。
「重さをはね返さず、いったん宙に置く。これが浮き受け」
フロエは「三点の受け」を見せた。
帆、身、底。三つの力を一拍で揃える。
子どもたちが真似して、三歩で膝を折る。
アリアは「泡返り」を説明した。
「厚みのない返りは、薄く受ける。力を抜いて、次の厚みに渡す」
笛は吹かず、ただ息で示す。子どもたちの肩が一斉に落ちた。
工匠は「沈み癖の抜き」を板で表した。
倒れかけの姿勢を、吐き切って浮かせる。
子どもが声を合わせて「ふーっ」と息を吐いた。
封糸の女は「雨の半拍」を置いた。
沈黙札を灯台の石壁に貼り、半拍遅れて音を返す。
子どもたちは手を壁に当てて、不思議そうに笑った。
俺は砂時計を返し、最後に言った。
「海は問いかける。沈むか、浮かぶか。答えは受けの名だ」
4 押し跡の掲示
グラールが白紙の板を持ってきた。
墨は使わない。昨日と同じく、筆圧だけで跡を残す。
「浮き受け」「三点の受け」「泡返り」「沈み癖の抜き」「雨の半拍」
それぞれを一行ずつ押し跡に刻む。
子どもたちは濡れた指でなぞった。
「……読める」
目でなく、指で。
そのとき、灯台は光を放たなくても、人を導く塔になった。
5 海を拒む掲示の書き換え
防波堤に掲げられていた「外歌禁制」の板。
その表面に、老人が手を添えた。
「禁じるだけでは、やがて裂ける。今日は縫い目を見せよう」
押し跡の筆で、一行を加えた。
> 『一拍止まってから歌え』
禁制は消さない。
けれど、見える縫い目を加える。
港の人々がそれを触り、頷いた。
6 灯台の誓い
夕暮れ。
海は赤と黒に染まり、波頭だけが白く光った。
灯台の上に立ち、セレスティアが声を上げた。
「ここに誓う。港は波を拒まない。沈みかけても浮き直す術を持つ。外の歌も、内の歌も、一拍止まってから受ける」
港の子どもたちが声を合わせた。
「沈んでも浮く!」
「止まってから歌う!」
その声が波に飲まれず、夜の海に返っていった。
7 次の境へ
老人が最後に言った。
「次に向かうのは南だな。地図にない、名のない地。そこは拍を奪う土地だ。奪われぬよう、受けの名を持って行け」
俺は砂時計を返した。
落ちる粒の一つ一つが、今日の誓いを刻んでいる気がした。
やり足りないで終える。
次の縫い目は、未知の大地に置くために。
——第四十話「名もなき地、奪われる拍」へ続く。
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