第三十五話「鉄路の拍、走るものの受け方」
1 砂を抜けて
写本砂漠の端を越えると、地面は固く締まった。
白い塩でも、黒い砂でもない。石を敷き詰めたような、平らな大地。
そこに、黒い帯が真っ直ぐ走っていた。二本の鉄だ。
「これが……鉄路」
工匠が息を呑む。「鉄は速さを呼ぶ。拍は走るものの形になる」
踏み込んだ瞬間、俺の胸骨に速い返りが走った。
砂時計の粒よりも早い。落ちる前に、次が来る。
「……受け方を知らなければ、倒れるな」
セレスティアが低く言った。
2 鉄の町
路の先に町があった。赤錆びの屋根、煤で黒ずんだ壁。
大きな車輪を持つ機械が広場に並び、息を吐くように煙を上げている。
人々は同じ方向を見て、同じ速さで歩いていた。
「ここでは、遅鈍は罪だ」
グラールが広場の掲示を読んだ。
> 『立ち止まる者は罰金。倒れた者は運び去る』
「……立ち止まれない町」
アリアが笛を握りしめた。
3 走る拍との衝突
俺たちが町を歩き始めたとき、車輪の音が迫った。
鉄路を駆ける列車。轟音とともに、地面が震えた。
その速さは、俺の観測では追いきれない。砂時計の粒が落ちる前に、五拍が過ぎる。
人々は慣れているらしく、微かに身体を傾けて受け流した。
だが、ひとりの子どもが列の端でつまずいた。
「危ない!」
セレスティアが踏み出そうとした瞬間、工匠が境杭を叩き込んだ。
杭は鉄の返りを受け、わずかな遅鈍を地面に生んだ。
その一拍で、フロエが柄板を打ち、アリアが塩鈴を舌に載せた。
子どもは倒れずに済んだ。
4 町の掟
だが、役人が近づいてきた。
「余計な遅鈍を置いたな。罰金だ」
セレスティアは抜剣せず、ただ視線を返した。
「立ち止まる余裕がない町は、やがて止まれなくなる。倒れた者を捨てる町は、いつか皆で倒れる」
人々がざわめいた。だが役人は「秩序だ」と繰り返すだけ。
そのとき、鉄路の奥から、別の拍が近づいた。
5 灰の縫い手の影、再び
灰の外套の男が姿を見せた。
「ここでは、我々の秩序が勝つ。走る拍こそ、人を均一にする」
俺は砂時計を返した。
だが、粒の落ちる速さでは追えない。
「ならば——走る拍を遅く受ける術を示そう」
俺たちは再び試した。
工匠の杭で速さを受け、アリアの塩鈴で辛みを胸に流し、フロエの柄板で厚みを与え、ミラの糸で揺れる橋をかけ、封糸の女が沈黙で足元を覆った。
走る拍は遅れ、鉄の速さは胸骨の裏に収まった。
人々が目を見開いた。
「走るものが……倒れない?」
6 見える縫い目としての鉄
灰の男は立ち尽くしていた。
「走る拍は、止めれば崩れる」
「止めはしない」俺は答えた。「遅く受けるだけだ。境を見せるように」
町の老工夫が歩み寄ってきた。
「遅鈍を嫌ってきた。だが、いまの一拍は……働き手を守った」
役人は押し黙った。
鉄路の町に、初めて「止まれる場」が置かれた瞬間だった。
7 次の境界へ
夜。列車は走り続ける。だが広場には、小さな休止の床が残った。
人々がそこに腰を下ろし、鉄の拍を胸に収める。
セレスティアは言った。
「鉄は速い。だが速さを受ける術を学べば、布はもっと広がる」
俺は砂時計を返した。
落ちる粒は速い。けれど、その速さを遅く受ける術を、俺たちはもう手に入れた。
——第三十六話「潮路の布、海を縫うもの」へ続く。
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