第二十九話「闇布の帳、光る返り」
1 闇の降下
宣告があったその夜、街は灯火ごと失われた。
ランプに火を入れても、明かりは芯に沈んで光らない。
松明は赤い煙だけを吐き、星も月も見えなかった。
> 「闇布(あんぷ)。
> おまえたちの“拍”を、光ごと呑む。」
誰かが息を吸っても、吐いても、白い霧すら出ない。
子どもの笑いも、老婆の咳も、音が光を持たない。
——それは「無音」ではなく、無明だった。
俺は砂時計を返す。
だが砂の落ちる音さえ、闇に沈む。
祖父の余白が浮かぶ。
〈闇は終わりではない。闇は光を際立たせる〉
2 光を奪われた街
セレスティアが剣を抜いたが、その刃も映えなかった。
「……刃が、闇に呑まれる」
アリアの笛は吹ける。だが音は空気を震わせても光を呼ばない。
「拍が聞こえても、見えないの……」
工匠の踏み板も、音を立てるのに床が黒い水のように吸い込む。
フロエの柄板は叩けるが、返りが影の奥に沈む。
ミラの青い結びも、闇に色を奪われた。
封糸の女の沈黙札は、貼った瞬間に黒紙と同化して消える。
「……全部、見えなくなる」
グラールの筆の字も、余白ごと黒に沈んだ。
3 闇返り
だが、王は膝を折って言った。
「見えなくても、返りはある」
俺は砂時計を返す。確かに音は聞こえない。だが胸の奥で、遅れを感じる。
「……闇に沈んでも、返りは残ってる」
アリアが笛を吹く。音は光らないが、振動が腕に残る。
フロエが柄板を叩く。音は消えるが、床の震えが足に残る。
ミラが結びを作る。色は消えるが、指の感触が残る。
工匠が踏み板を打つ。斜は見えないが、身体の重心が残る。
封糸の女は沈黙を貼る。札は見えないが、静けさが残る。
「——これが闇返り」
俺たちは見えぬ中で、返りだけを頼りに動き始めた。
4 闇布の襲来
闇布は、街の中央に黒い帳を垂らした。
人々の姿も声も消え、全員がひとつの影に飲み込まれていく。
「……名前も、癖も、全部呑まれる!」
グラールが叫ぶが、その声も闇に吸われる。
だが、子どもの手が俺の袖を引いた。
「おじさん、ここにいるよ」
声は闇に消えた。だが、袖の感触が残った。
俺は砂時計を返し、闇の中で「触れ合う返り」を確かめる。
「……感触も返りだ。光じゃなくても、拍は残る」
5 光る返り
俺たちは闇の中で稽古をした。
——声を出すのではなく、触れる。
——拍を刻むのではなく、呼吸を合わせる。
——光を頼るのではなく、返りだけを信じる。
アリアの笛の震えが手から手へ伝わる。
フロエの柄板の衝撃が床を走り、膝から背へ返る。
工匠の踏み板が足裏に重みを残す。
ミラの結び目が掌に芯を残す。
封糸の女の沈黙が胸に静けさを残す。
王は膝を折り、「私はここにいる」と低く言った。声は消えたが、息の熱が残った。
——返りは、光そのものになった。
人々の掌、足裏、胸、息。そこに白い光が遅れて浮かんだ。
闇布の帳が裂ける。
返りが光ったのだ。
6 最後の布
闇が晴れたとき、街は白い夜明けに包まれていた。
石畳の隙間から芽が出て、窯の火は赤く戻り、子どもは泣き、老婆は笑った。
紙が一枚、風に舞った。
黒でも白でも赤でも藍でもなく、透明だった。
> 「布は尽きた。
> 次は、おまえたち自身が布となれ。
> ——織布(しょくふ)。」
「……布そのものを、こちらに織らせる気か」セレスティアが眉をひそめる。
王は立ち上がり、静かに頷いた。
「ならば、街ごと布になろう。未来を織る布に」
👉 次回、第三十話「織布の未来、街そのものが拍になる」。
いよいよ第一部・完結。人々が布となり、自らの癖と返りを織り込んで、未来の街を築く。
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