第三十話「織布の未来、街そのものが拍になる」
1 透明の宣告
風に舞った最後の紙は、色を持たなかった。
黒でも、赤でも、藍でもなく、ただの透明。
けれど、指で触れると確かにざらつきがあり、読めないはずの紙に言葉があった。
> 「布は尽きた。
> 次は、おまえたち自身が布となれ。
> ——織布(しょくふ)。」
敵はついに、布を外から投げつけるのではなく、俺たち自身を布にしようとしている。
癖を奪い、場を縛り、根を刈り、光を呑み、それでも残った拍を、今度は「布の繊維」として編み込む。
この街そのものを、ひとつの巨大な布に織り上げようというのだ。
俺は砂時計を返した。
落ちる砂が透明に見えた。音も、返りも、確かにあるのに、形を失っている。
祖父の余白が最後にめくれる。
〈織られるなら、織り返せ。布は未来を重ねるものだ〉
2 織られる街
その日の昼、広場の石畳がざわめいた。
石ひとつひとつが、まるで織機のシャトルのように規則正しく震えている。
人々の歩みは勝手に揃えられ、声は縦糸のように上下に張られていく。
市場の喧噪すら、同じ節に合わせられた歌のように均一化される。
「……街が織られている」
グラールが蒼ざめて筆を落とした。
セレスティアは剣を握ったが、斬る対象はどこにもいなかった。
「布そのものになるよう、街ごと縛られている。斬れぬ敵だ」
工匠の踏み板は勝手に動かされ、道を布目に見立てて沈んでいく。
フロエの柄板は、誰の手もなく叩かれ、無数のタ…ンが無表情に織り込まれる。
アリアの笛は勝手に鳴り、無音さえも繊維のひとつにされた。
ミラの青い結びはほぐれ、糸となって縦糸に引き延ばされた。
封糸の女の札は白紙に戻り、横糸の間に挟み込まれて消えた。
「……全部、布にされていく」
誰かが呻いた。
3 抗う稽古
王が膝を折り、声を落とす。
「織られることを拒むのではない。織られるなら、こちらから織り返せ」
俺は砂時計を返した。
「織り返す……つまり、自分たちの癖と返りを、自分たちの意思で布にする」
セレスティアが導線を引き、声を重ねる。
「糸にされる前に、糸を束ねろ。癖を守る拍を糸にして、こちらから織るのだ」
アリアは笛を抱え、震えを人の肩から肩へ渡した。
フロエは柄板を足元に打ち込み、返りを床に沈めた。
工匠は斜の板を並べ、街の角を対角線に繋いだ。
ミラは青い結びを人の腰に渡し、互いを結んだ。
封糸の女は沈黙を人々の胸に置き、静かな鼓動を紡いだ。
グラールは余白を掲示に貼り、白紙を糸の間に差し込んだ。
王はひざまずき、立ち、また座り、「私はここにいる」と宣言した。
——街全体が、外からではなく内から、自らを織り始めた。
4 織布との対峙
空に広がる透明の布が波打ち、街を呑み込もうとした。
だが、その布の隙間から、別の布が逆流した。
俺たち自身が織った「拍の布」。
癖と返りを糸にし、場と根を縦糸とし、静けさと余白を横糸にした布。
それは外の布と交わり、ねじれ、せめぎ合った。
セレスティアが導線を放つ。
「斬らずに、編み込め」
アリアが笛を吹き、光らない音を「響き糸」に変えた。
フロエが柄板で返りを刻み、「厚み糸」に変えた。
工匠が板を叩き、街の石を「根糸」に変えた。
ミラが結びを繋ぎ、「結び糸」に変えた。
封糸の女が沈黙を折り、「静糸」に変えた。
グラールが余白を散らし、「白糸」に変えた。
王が立ち上がり、声を低く重ねた。
「未来を織る」
——街と外の布が交差し、織り合わされた。
5 織布の終焉
戦いは刃ではなく、編み込みだった。
外の布が「均一」を押し付けるたびに、内の布が「不揃い」を編み返した。
外の布が「静止」を命じるたびに、内の布が「遅い返り」を編み返した。
外の布が「無明」を強いるたびに、内の布が「触れる返り」を編み返した。
やがて、外の布は疲弊した。
均一は不揃いに裂かれ、静止は返りに緩められ、無明は触れ合いに照らされた。
外の布は、透明のままほどけ、空に散った。
6 未来の布
朝日が昇った。
街は光を取り戻し、窯に火が灯り、子どもが泣き、老婆が笑った。
けれど、その拍は以前と違った。
——布の拍。
人々の癖が糸になり、返りが光になり、街全体が織物のように重なり合っている。
踏み板の音が通りを縫い、結びが屋根を繋ぎ、笛が風を織り、柄板が地を編み、沈黙が空を張り、余白が未来を残した。
王が立ち、ひとこと言った。
「街そのものが布になった。これが未来だ」
俺は砂時計を返した。
落ちる砂が光を帯び、粒のひとつひとつが織物の目のように見えた。
それは終わりではなく、始まりだった。
終章 針は両刃
祖父の余白が最後にめくれ、風に溶けた。
〈針は両刃。
縫えば切り、切れば縫う。
未来は布であり、布は未来である〉
俺は目を閉じた。
拍は続いていた。
人が歩み、笑い、泣き、止まり、また立つ。
それらすべてが布に織られ、未来へ続く。
——こうして、街は「織布」となり、第一部の物語は幕を閉じた。
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