第二十六話「運布の罠、拍を運ぶ者たち」
1 運ばれる街
朝の広場に掲げられた紙は、見慣れた灰でも白でも黒でもなく、藍色を帯びていた。
> 「止まる景色を見えたな。
> では——運ぶ景色はどうだ?
> 運布(うんぷ)。
> おまえたちの“遅い返り”ごと、運び去る。」
運ぶ。
止めた景色をそのまま奪い去る。場を移されれば、拍は場を失い、意味をなくす。
俺は砂時計を返し、砂の落ちる音が「この場」でしか鳴らないことを意識する。
祖父の余白がまたひとつめくれた。
〈場は布。場を持たぬ拍は、裸〉
2 最初の運び
運布の最初の一手は、井戸だった。
朝一番の水汲み。桶が石輪から離れる瞬間、音も重みも、まるごと消えた。
水が、どこかへ運ばれた。
桶を引いた少年は、縄を握ったまま空を見ていた。「……ない」
セレスティアがすぐさま導線を描く。
「場を固定しろ。運ばれたのは水だけじゃない。場の拍ごとだ」
工匠は踏み板を井戸の縁にかけ、場の斜を強調する。
フロエが柄板で二重拍を井戸の壁に打ち込む。
アリアが無音を二重に吹き、ミラが縄に青い結びを二重に作る。
封糸の女が沈黙札を二段に割って、井戸口に貼る。
場は戻った。
水は再び、重みを持って桶を満たした。
——だが、ほんの数拍の間、街は水を奪われていた。
それが「運布」の力だ。
3 運ばれる人
正午、市場で今度は人が運ばれた。
老婆が野菜を量っている最中に、姿ごと消えた。
その声と笑い癖は、広場の東の角にずれて現れた。
——まるで舞台の書き割りが移動するように。
「場ごと持っていかれたんだ」
俺は砂時計を返し、銀線を老婆の呼吸に合わせる。
遅い返りが、場を引き戻す道になる。
アリアが無音の短・短・長を置き、ミラが結びを老婆の腰布に触れさせ、フロエが二重拍を背にあてる。
老婆は「戻った」。だが震えていた。
「あたしの“笑い癖”が、知らない場所で勝手に響いたんだよ……」
セレスティアが剣を握り、「運布は場を盗む。奪還の術を稽古にせねばならぬ」と短く言った。
4 奪われた癖帳
午後、衝撃が走った。
昨日奪い返したはずの癖帳の控えが、まるごと他所へ運ばれた。
「……場所ごと盗まれた」グラールが蒼ざめる。
「じゃあ今、帳はどこに?」
「どこにもない。ここでも、彼らの場でもない。宙吊りだ」
封糸の女が目を閉じる。「沈黙に触れない帳は、危うい。奪われ続ければ、街の癖が根無し草になる」
工匠は板を叩き割り、怒鳴った。「場そのものを縫い留めるしかねえ!」
5 場縫いの稽古
俺は祖父の余白を思い出す。
〈場を縫う針は、人が立つ影〉
「場縫いをしよう」
場そのものを糸で繋ぐ稽古だ。
アリアは笛を吹き、音ではなく空気の流れを縫う。
フロエは柄板を広場の石畳に打ち、拍の縫い目を刻む。
工匠は踏み板を通りに並べ、道ごと縫い目に変える。
ミラは青い二重結びを建物の柱に結んで渡し縄にした。
封糸の女は沈黙を街路灯に貼り、無音の縫い目を作った。
グラールは見出しに「場は散るが、場は戻る」と書き、広場に掲げた。
王は石の上にひざまずき、「私はここにいる」と短く言った。
街全体が、場を縫った。
運布が持ち去ろうとするたび、縫い目に引き戻される。
場縫いは、運び去られる未来を稽古に変えた。
6 次の宣告
夜。藍色の紙がまた舞った。
> 「場を縫う。美しい。
> だが、縫い留めた場はやがて腐る。
> 停布(ていふ)。
> おまえたちの“止まる場”を、腐らせる。」
「……停滞の布か」
セレスティアが目を細める。
祖父の余白が脳裏にまたひとつ。
〈腐りを恐れるな。腐りは熟れ、種を出す〉
次の稽古は——腐りをどう使うかだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます