生粋のオタク

鳥海 摩耶

生粋のオタク

 アニメが好きと言えば、ひとときの歓声かんせいの後に、何が好きなのか質問攻めが始まる。そこで挙げる作品によって、その後の会話が決まる。


 そして、私の場合、作品名を挙げると沈黙ちんもくが訪れるのだった。


「昨日の『退鬼たいきやいば』見た?」


「見た! めっちゃアツいよね~」


「明日の『うちの子』も気になる~」


 クラスメイトの会話には、最近流行りのアニメが並ぶ。私だって、そういったアニメの名前は知ってるし、どういう話かも知っている。


 でも、どうしても好きになれない。『退鬼たいきやいば』は熱血系超能力バトル作品だし、『うちの子』は特に何が起こるわけでもない日常系作品だ。


 最近放送されるアニメはどうも……、ハマれない。絵がきれいなのは良いことだし、ストーリーが分かりやすいことも良いことだ。けどなあ……。


 既存作品きぞんさくひんのオマージュとか、よくある展開とか……。私が大好きなあの時代の、ギラギラした情熱が感じられない。作画だって、きれいではあるけど、どこか淡泊たんぱくだ。


 めんどくさいオタクであることは自覚している。私の年齢で、20年も30年も前のアニメが好きな人なんて、ほとんどいないのだ。


 それこそ、「OVA」なんて単語を知ってる人はいないだろう。周りのアニメ好きとは話が合わなくて当然。分かっていることだ。


 でも、正直言って、自分の「好き」を共有できないのは寂しい。


 ネットならこういう悩みは解消されると思いきや、そういう訳ではない。SNSで「好き」を共有できたとしても、それは所詮しょせんネットという空間でのこと。実際に会って話をするのとは全然違う。


 こういう私だって、好きな『マクラスマイナス』や『グランチャーパワード』の話をSNSで出来たときには興奮もした。初めてフォローしてくれたフォロワーが同じ趣味で、大いに盛り上がった。


 けど、その会話のうすっぺらさに気付いた時、きょうめてしまった。いくら仲良くなったとしても、フォロワーに直接会えるわけではない。


 私は直接会って、話したいのだ。


 「おはよー」


 明るい声がクラスに響く。クラスメイトの橋本沙良はしもとさらさんだ。整った顔立ちとスタイル、誰とでも話せる人の良さで、クラスの人気者だ。


 「沙良さらおはよー。ちょうど昨日の『退鬼たいきやいば』の話してたのー」


 「そうなんだ。昨日の回良かったよねー」


 橋本はしもとさんらしく、流行りの作品は抜かりなくチェックしているのだろう。そういうところも、正直うらやましい。


 私はにぎやかな教室から逃げるように、机に突っ伏した。




 一日の授業に耐え、帰る頃に雨が降り出した。


 「……マジか」


 カバンの中に入っているはずの折りたたみ傘は、どこにもない。今日に限って無いとは。この前の雨の日に干して、そのまま入れ忘れたのかもしれない。


 ホームルームが終わると同時に教室を出てきたから、今から教室に戻るのはおっくうだ。それに、戻って傘を借りる友達もいない。こういう時、ぼっちのつらみを自覚する。


 「あれ? 空井そらいさん……だよね?」


 どんよりした昇降口しょうこうぐちの空気に似合わない、透き通るような声がする。自分の名前を誰かに呼ばれてびっくりしつつ、恐る恐る後ろを振り返ると、そこには橋本はしもとさんが立っていた。


 後ろには、橋本はしもとさんといつも一緒に帰っている谷口たにぐちさんと木戸きどさんもいる。状況から見るに、三人で帰る時に橋本はしもとさんが私を見つけた、といったところか。


 谷口たにぐちさんと木戸きどさんは、クラスメイトとはいえ話す機会のない私を警戒けいかいしてか、様子見ようすみといった感じだ。


「あ……えーと」


「傘ないの?」


「あ、ない……です」


「じゃあ私の使って。返すのはいつでも良いよ」


「え!?」


「いいから。谷口たにぐち~。ごめん、傘入れてくんない?」


「えっ、いいよ」


 どういうわけか、橋本はしもとさんは私に自分の傘を渡してくる。困惑してアワアワしていると、橋本はしもとさんはいいからと言って傘を私に預けてきた。


「じゃあね。空井そらいさん」


 そう爽やかに言って、橋本はしもとさんが去る、かと思いきや、立ち止まり私のカバンを見つめてくる。


「あ、これって……」


 カバンではなく、カバンに着けたキーホルダーのようだ。私の大好きな『くれないのファスナー』に出てくる、主人公たちの部隊マークなのだが、知らない人にとっては謎のマークでしかない。


 誰かに声をかけてほしくて、しれっとカバンに着けている。今のところ、気づいた人はいなかった。


「あ、これですか?『くれないのファスナー』の……」


 そこまで言ったところで橋本はしもとさんの顔がパアッと明るくなる。


「え!? 空井そらいさん『くれないのファスナー』好きなの!?」


「え!?」


 予想外の反応にこちらも驚いてしまう。


 「沙良さら行くよー」


 谷口たにぐちさんがかし、橋本はしもとさんはわれに返ったようで、スッと引いた。


 「またね」


 橋本はしもとさんは谷口たにぐちさんたちに合流すると、何事もなかったかのように帰っていった。


 「……え?」


 一人残された私は、ただ困惑するしかなかった。


 橋本はしもとさんから借りた傘のおかげで、家までれずに帰ることができた。傘を玄関に開げ、乾かす。私は使わないような明るい色の傘は、地味な玄関に場違いだった。


 私はため息をつき、どうしたものかと考える。


 橋本はしもとさんはクラスの人気者で、いわゆる陽キャだ。私のようなじめじめした陰キャは近寄れない存在。橋本はしもとさんが好意で貸してくれた傘を返す機会はありそうにない。


 橋本はしもとさんの周りは、谷口たにぐちさんをはじめとした「親衛隊しんえいたい」が固めている。それを突破して橋本はしもとさんに傘を返すなど……。


 「無理だ」


 これじゃあ橋本はしもとさんから傘を借りパクしたようなものだ。考えているのも嫌なので、そのままベッドにダイブする。


 橋本はしもとさん、『くれないのファスナー』好きなんだ……。


 クラスの人気者だから、自分なんかと接点はないものだと思い込んでいた。


 傘どうしよっかな。借りパクはダメだし、いつかは返さなければならない。勇気を出して、自分から橋本はしもとさんに近づくか……。いろいろ考えても、他に思い付かなかった。


 「おはよー」


 明るい声がクラスに響く。橋本はしもとさんだ。


 傘を借りてから、ちょうど一週間が立ってしまった。傘を借りたのが先週の金曜日。返せないまま土日を悶々もんもんと過ごし、月曜日も無理だった。


 そのまま火、水、木と過ぎ、今や金曜日。タイミングをつかめないまま、橋本はしもとさんの傘を私は握りしめている。返すとしたら、今日だ。それも、橋本はしもとさんが一人になるタイミング……。


 トイレか。それしかない。


 私は橋本はしもとさんに気付かれないように、橋本はしもとさんがトイレに行くタイミングを見計らっていた。そして、タイミングは昼休みの前にやってきた。


 橋本はしもとさんが席を立ったのを確認して、無関係を装い席を立つ。もちろん、傘を服の中に忍ばせて、だ。


 「こんなのストーカーじゃん……」


 思わず小声こごえで心の声が出ていた。慌てて周囲を見回すが、誰も聞いていなかったようだ。ぼっち生活のおかげでこういう察知さっち能力には長けている。


 橋本はしもとさんがトイレに入ったタイミングで、ささっと私もトイレに入る。洗面台のあたりで、橋本はしもとさんを待つ。それとなく、たまたま、出会った。そう演出する。


 しばらくして、橋本はしもとさんが出てきた。


 「あ、空井そらいさん……」


 ゴクリとつばを飲み込み、傘を差しだす。


 「こ、これ……」


 一瞬のをおいて、橋本はしもとさんはああ、と合点がってんしたようだ。


 「この前貸した傘ね。ありがとう」


 「い、いえ……」


 うつむきながら返すのが精いっぱいだった。だから、そのあとの橋本はしもとさんの言葉には驚いた。


 「空井そらいさん、今日の放課後って、暇?」


 「え?」


 「一度、空井そらいさんとじっくり話してみたかったの。たぶん、話が合うと思って」


 「え、あ、はい」


 「もし都合悪いなら、無理しなくても」


 「いやいや! めっちゃ暇なんで。だ、大丈夫」


 「よかった! じゃあ、また放課後ね。校舎の出口で待っててくれる?」


 「あ、はい」


 「じゃあね」


 そういって、橋本はしもとさんはふわっと去った。後には動揺しカチコチの私が取り残された。

 

 放課後に言われた通り、校舎の出口で待っていると、橋本はしもとさんが現れた。


 「待たせてごめんねー。じゃあ、行こっか」


 「あ、はい」


 誰かと並んで歩くことが久しぶりすぎて、足並みがおかしい。


 「これから行くとこ言ってなかったね。駅前のカフェなの」


 「あ、そうなんですね」


 返事をするものの、正直頭が回っていない。こういう風に友達と帰る、というのが初めてで、どうすればいいのか分からない。


 「安心して。今日は空井そらいさんと二人きりだから」


 「あ、はい……」


 返事をしてから、谷口たにぐちさんと木戸きどさんのことだと気づく。いつも橋本はしもとさんのそばにいる二人を、橋本はしもとさんはどうやって遠ざけたのだろう。とりあえず、橋本はしもとさんが気を利かせてくれたのは確かなようだ。


 「ここよ」


 顔を上げると、見慣れたものが飛び込んできた。


 「あ、これって……」


 『くれないのファスナー』のコラボカフェだった。行きたい気持ちはありつつも、一人で行く勇気が持てなかったのだ。


 思わず反応すると、橋本はしもとさんはふふんといった顔をしていた。


 「好きなんでしょ?」


 この前の件で、覚えていてくれたのか。


 「とりあえず入ろっか」


 橋本はしもとさんに連れられ、店内に入る。中は黒を基調としながら、壁面にキャラの等身大スタンドや、見慣れた風景の装飾が飾られている。ファンなら誰もが知る例の常夜灯じょうやとうの模型もある。


 「すごい……。雰囲気ふんいきばっちりだ」


 「でしょ。私も、ここ気になってたの」


 「そ、そうなんですね」


 しばらく並んで、二人席が空いたので座る。メニューを見ると、「白壁しろかべの手製オムライス」や「祝祭しゅくさいカレー」など、明らかに意識されたメニューが並ぶ。値段は想像通り、イベント価格というものだ。


 「高いね。知ってたけど」


 「え、ええ……。どうしますか」


 「とりあえず、これにしよっかな」


 橋本はしもとさんが指さしたのは、「座間ざま家のメロンソーダ」だった。中身はただのメロンソーダなのだろうけど、上に乗ったアイスやアクセントに入れられたさくらんぼが、劇中の雰囲気をよく表していた。値段もメニューの中では安いほうだ。


 「あ、じゃあ、私も……」


 「決まりね」


 橋本はしもとさんが店員を呼んで、注文もしてくれた。


 「さてと」


 しばらくして、橋本はしもとさんが切り出す。


 「実は、めちゃくちゃテンション上がってるの、私。クラスメイトに『ファスナー』ファンがいたなんて思わなかったから」


 「わ、私もです」


 「空井そらいさん、大丈夫よ。緊張しなくて。もっとも、私と話すのもあんまりなかったからよね」


 「いえいえ。私が勝手に緊張してるだけなんで……。こういう風に、友達と出かけるの初めてで……」


 「そうなんだ! なおさら緊張しちゃうよね」


 「大丈夫ですよ! 初めてが橋本はしもとさんで、その、なんていうか……よかったです」

 何とか会話しようとするが、あの橋本はしもとさんが同じ『ファスナー』ファンで、こういう風に話すのも初めてで……。ちょっと予想外すぎる。


空井そらいさんは、好きなキャラとかいる?」


「そうですね……、キャノンとかですね」


「あ、わかるー!あの子いいよね~」


 同じキャラが好きで良かった。『ファスナー』のファンは比較的民度が高いと言われているが、キャラの誰が好きかでいさかいが起きないとは限らない。


 作品自体が結構ドロドロ展開なので、キャラ同士のいさかいや裏切りもある。ファンもそれに比例してケンカしたりも時々ある。逆に言えば、それだけ愛がある証拠でもある。


 その後も、橋本さんと『ファスナー』についていろいろと話した。先ほど感じていた緊張はだんだんほどけてきて、前から望んでいた、「リアルで熱く語る」ということが出来ている実感がわいてきた。


「そういや、橋本はしもとさんはなんでファスナー好きになったんですか?」


「そうだなあ……」


 橋本はしもとさんはちょっと考えてから言った。


「親の影響かな」


 意外な答えが返ってきた。


「親がオタクでね。子供の時から一緒にいろいろ見てるうちに、好きになったかなあ」


「そうなんですね」


空井そらいさんは?」


「私は……」


 意外と、パッと思いつかない。


「なんか……、気付いたらこうなってました」


 橋本はしもとさんはふふっと笑った。


生粋きっすいのオタクじゃん」


 その字面じづらが浮かんで、こちらもにやけてしまう。


「せっかくこうして話できたし、タメ口でいいよ」


「え、いいんで……いいの?」


「そうそう、その調子」


 橋本はしもとさんがふふっと笑う。


「それから、下の名前で呼んで。同じクラスなんだし」


「じゃ、じゃあ……沙良さら


「いいね~」


 呼んでみると、意外と気持ちがいい。つっかえていたものが取れた感じがする。


 「で、空井そらいさんは、なんだっけ」


 「……文香ふみか


 「文香ふみか。いい名前じゃん」


 「あ、ありがとう」


 「じゃあ、文香ふみか。せっかくだし、ロイン交換していい?」


 「あ、いいよ」


 「ありがとー」


 ピロンと通知が来て、橋本はしもとさんのアカウントを追加する。


 「あ」


 プロフィールの写真が、ファスナーの聖地だった。


 「この階段……」


 「そう。ちょっと前に行ったの」


 ファスナーのファンなら誰もが分かる、作品のキービジュアルによく使われる階段。後ろの古い日本家屋も含め、作品の象徴のようなものだ。


 「いいなあ……」


 橋本はしもとさんはにこっとした。


 「今度いつか、一緒に行こうよ」


 「いいの?」


 「当たり前じゃん」


 橋本はしもとさんと一緒に聖地巡礼せいちじゅんれいの二人旅。想像するだけでわくわくする。


「ありがとう、沙良さら


 今日、勇気を出して橋本はしもとさんに傘を返してよかった。ひょんなことから、夢って叶うんだな。そんなことを考えていた。

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生粋のオタク 鳥海 摩耶 @tyoukaimaya

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