第20話『代理人』


「草花さんは中に入っていて下さい」


 やはり庵の周囲などに結界と呼ばれるものを張っていたのかと、内心で感心しながら告げる。

 言葉は知っていたが、まさか実際に体験するとは今の今まで思ってもみなかった。

 その割には薬草を貰いに普通の人がいくらでもやって来ることが不思議ではあるが、きっと結界とはそう言う物なのだと勝手に解釈しておく。その一方でふと思い至る。


「そう言えば、草花さんたち色鬼? は、どれだけ強いんですか?」

「え?」


 予想外の問い掛けだったらしく、やや間の抜けた答えが返って来る。


「いえ、若が言っていましたから。色鬼を封じれば色が戻ると。少なくとも私は灰色と茶色が見えます。と言うことは、若は二人の色鬼と対峙したはずです。そのときの対峙した色鬼たちの強さや戦い方が分かれば、若の今の強さが分かりますし、対処の仕方も変わってきますから」


 ただでさえ見えないのだ。少しでも見えないことの差を縮められるのであればそれに越したことはない。


「やっぱり、何か特殊な力を使うんですよね? 結界を張っているんですから」


 と問えば、戸惑い気味に草花は答えた。


「確かに、一般の人間とは違う力は持っています。基本的に自分の色と同じ色のものを扱うことは出来ますが、先ほども言ったように能力や強さはそれぞれです。ですから一概にどうこうとは言えないのですが……」

「そう……ですよね」

「すみません。お役に立てなくて」

「いいえ。構いませんよ。ただ少し興味があっただけですから。色鬼という存在そのものにも、その色鬼を追い続けている若自身にも。

 若は今、子供の頃の夢を叶えて絵師になっているんです。あ、一緒に聞いていたから知っていますよね? 若は絵師になりました。その絵師になった若が、一体どうやって色鬼たちを狩っているのか知りたかっただけなんです。草花さんは何か知っていますか?」


 問われて草花は『隠世かくりよ』のことを話そうとした。

 だが、答えようとして慌てて飲み込む。


 もしも惺流塞が自らの命を削って『隠世』という妖を使い、色鬼じぶんたちと対峙していると知ってしまったら、きっと早瀬は惺流塞と対峙することなど出来なくなる。


 惺流塞が結界を破って、ここに向かって真っ直ぐにやって来ることは分かっている。何の迷いもなく次々に結界が破られて行っていることは、結界を張った草花自身がよく分かっている。


 助けを求める者だけが入って来ることが出来る結界。

 自分に危害を加える意思があるものを寄せ付けないための結界。


 だが、惺流塞は問答無用で結界を破って来る。

 自分の元から『早瀬』という名を与えられた李朴を取り返すために。


 そんなかつての主の意思を曲げさせるために、早瀬は自分の命を脅しに使った。

 一度はそれで惺流塞から逃げることが出来たが、惺流塞が命を削ってまで自分の色を集めていると知ってしまえば、それこそ本当に早瀬は命を絶ってしまうような気がした。


 早瀬ならこう言うだろう。


 自分なんかのために命を粗末にしないで下さい。どうしても頼みを聞いて頂けないのなら、こんな命はいりません――と。


 そうでなくとも、もしかしたら自身の目を傷つけてしまうかもしれない。

 本当に失明してしまえば、それこそ色鬼たちを狩る理由自体が消滅してしまう。そうなれば惺流塞も『隠世』を使う必要はなくなるし、草花も狩られる心配がなくなる。早瀬自身も一応は生きていられるが、そこに光は一切存在しなくなる。

 それは誰もが望まない世界だ。だが、いざとなれば早瀬はその手段を躊躇うことなくやってしまいそうな気がしてならなかった。故に、草花は答えられなかった。


「私には……判りません」


 その答えが、早瀬にとって良い答えなのか悪い答えなのか、草花には分からなかった。

 ただ、出来ることなら傷ついて欲しくなかった。

 今ここに何重もの結界を張って、一切外界と隔離してしまおうかとも思ったが、おそらくそれは惺流塞にしてみれば――いや、『隠世』にしてみれば無駄な抵抗以外の何物でもない。


 だったら、さっさと自分を狩らせ、封印させてしまえばいいじゃないかという声が何処からともなく聞こえて来るが、草花はそれだけは嫌だった。

 結局早瀬のことを考えているようでいて、実際のところは自分のことしか考えていないことに気が付き、草花は居た堪れなくなって謝った。


「すみません、早瀬さん……」

「何も草花さんが謝ることはありませんよ。ある意味これは私と若の問題ですから。甘やかして来た私が悪いのです」


 どこか自嘲めいた笑みを浮かべ、草花の内心を全く気が付かない早瀬が慰める。

 直後、声がする。


「誰が甘やかして来ただ。それはこっちの台詞だ」


 見なくとも早瀬には分かった。惺流塞が憮然とした表情を浮かべているだろうと言うことは。


「若。早いお着きですね」


 嫌味でも何でもなく、自分ですらどこに庵があるのか分からない山の中で、別れてからそれほど経っていないにも拘らず、惺流塞が現れた。

 もしかしたら、自分が気付かないだけで、それなりに時間は経っていたのかもしれないな。と言ってから漠然と思う。よく考えてみれば草花が夕餉の支度をしていた。

 薬草を取りに行った時間を考えてもかなり時間は経っている。


「山の中は迷いませんでしたか?」


 さりげなく草花と惺流塞との間に自身を置き、問い掛ければ、惺流塞は早瀬の意図を察したらしく不機嫌な声で答えた。


「俺には有能な案内人がいる。あんな目眩まし、無意味だ」

「そうですか」


 惺流塞の声は冷え冷えとしていた。押し込まれた怒りがどれほどのものか、眼の見えない早瀬には見えるようだった。


 惺流塞は言う。激情を押し殺した冷たい声で、


「俺がここに来た意味は分かるな? 李朴」


 意地でも『早瀬』と呼ばないことに、早瀬は惺流塞のこだわりと優しさを見た。

 惺流塞は今でも早瀬のことを自分の家族だと思っているのだ。

『李朴』という名は惺流塞がつけた。自分の家族だと認めたらお前が名付けろと父親に言われ、その上で付けた名前だ。


 どうして『李朴』と名付けたのか聞いたが、惺流塞はけして答えようとはしなかった。だが、屋敷を出された今でも家族と思っているからこそ、惺流塞は草花の付けた『早瀬』とは呼ばないのだと思うと、素直に早瀬は喜びを感じた。


 だが、状況はけして喜んでいられるようなものではない。


「少しは冷静に物事を判断出来るようになったか? 自分がどれだけ馬鹿なことをしているか分かったか? 分かったなら今すぐこっちに来い。無駄な争いはしたくない。これは全てお前のためなんだ。いや、俺のためなんだ。これは俺がしたいからしていること。お前が一つ頷くだけで、俺はとてもやり易くなる。お前がそっちにいる限り、俺はやりにくいんだ。分かってくれ。これが最後の忠告だと言うことはお前にだって分かっているだろ?」


 分かっている。長年惺流塞と供にいたからこそ分かっている。

 惺流塞は一度決めたことを曲げたりしない。頑固な気質の持ち主だと言うことを。だが、


「申し訳ありません、若。若の心遣いは本当に嬉しいのですが、残念ながら今ここにいるのは若の知っている『李朴』ではありません。ここにいるのは若の知らない『』という人間です。

 私は『李朴』と言う人間のことをよく知っています。『李朴』はあなたのことがとても大切だと言っています。だから争いたくないとも言っています。だからこそ、『早瀬』である私が若のお相手をさせて頂きます」


 言いながら、惺流塞から貰った刀を引き抜く。

 決定的な決別。一瞬、爆発的に怒気が放出されたような気がした。

 気がしたと思ってから、気のせいではないだろうと思う。


 きっと、惺流塞は愛想を尽かしたことだろう。

 早瀬は心の中で、心の底から惺流塞に謝罪した。


 だが、譲れない場面と言うものは人それぞれにあるものだ。たとえ、他人から見たら無意味なことだとしても。

 そのうち、何かが早瀬の耳に届いた。惺流塞が喉の奥で笑っていた。


「言うようになったじゃないか、李朴。いや、『早瀬』とやら。

 よく分かった。お前の……、『李朴』という名の人間の気持ちは。

 故に、俺からも『李朴』の主だった『若』からの言葉を伝えよう。

 私もお前を傷つけたくはない。だが、お前の色を取り戻すため、代わりの者をやる。どうか、早く目を覚ませ……とな。

 自己紹介が遅れた。俺は『若』の代理人。色鬼を狩ることを生業なりわいとしている絵師『』だ。俺は『若』ほど甘くはない。覚悟しろよ『早瀬』とやら」


 それが、『李朴』と『若』。『早瀬』と『惺流塞』の対決の言葉となった。



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