第14話『残酷なほどに変わらぬ相手』

「聞けばここは咲穂山と言うんですが、若が住んでいる場所からかなり離れています。

 それに、あまり遠出を好まない方でしたからね、いるはずはないとは思ったんですが、こちらこそすみません。何分なにぶん……」


 と言われた瞬間、惺流塞はその名を口にした。


「お前、本当に『李朴りぼく』か?」

「え?」


 今度こそ正真正銘、驚きの表情を作り出して男が言葉を飲み込む。


「その名前を知っていると言うことは、本当に若?」


 惺流塞と李朴、二人は互いに見合った。

 思ってみもなかったことだった。予想外の出来事だった。

 互いに自分の知っている人物だと確認しあったにも拘らず、両者は見合ったまま二の句が告げずにいた。


 二人の間にあるのは「まさか」と言う思い。

 もしも再び逢えることがあったなら、言いたいことは沢山あった。

 だが実際、目の前にしてしまうと何を話せばいいのか分からなくなっていた。

 頭の中が真っ白になり、言葉が浮かんでは消えて行く。何から話せばいいものか全く分からず、奇妙な沈黙が続いた。


 黙っていればいつまでも続きそうな沈黙。それを打ち破ったのは緑色鬼だった。


「あの、早瀬さん……その方は、お知り合いですか?」


 強張った声だった。


「あ、すみません草花さん。紹介します。私がかつてお世話になっていた若です。

 そして、こちらが、今私がお世話になっている草花さんです」

 

 と、紹介されたところで、惺流塞も草花も互いに頭を下げることは出来なかった。 

 二人は敵同士なのだ。そして、それを知らないからこそ、早瀬であり李朴は笑みを絶やさなかった。

 惺流塞は問い掛ける。草花という名の緑色鬼を見たままで、


「何故『早瀬』と呼ばれているんだ? お前には俺が名付けた『李朴』という名前があっただろう? 自分で付けたのか?」


 声が硬かったかもしれない。詰問しているように思われたかもしれない。

 だが、李朴は気にした素振りもなく答えた。


「名前は草花さんに付けてもらいました」

「何?!」


 その答えは惺流塞の怒りに油を注いだ。


「俺の与えた名前を棄てたのか?!」

「違います! 棄てたわけではありません。ただ、使えなかったのです!」

「使えなかった?」

「はい。私は屋敷を後にした後、色々あってこの山で遭難しました。そのとき負傷していて身動きが取れなかったところを草花さんに助けてもらったのですが、そのとき名前を聞かれて咄嗟に答えられずにいると、呼ぶ名前がないと不便と言うことで名前を付けてもらったのです」

「何も付けてもらう必要はなかっただろう! お前には『李朴』と言う立派な名前があっただろうが! それとも何か? 自分を見捨てた人間が与えた名前は使いたくなかったと言うことか?!」

「違います! そうではありません」

「だったら何なんだ!」


 頭の中の冷静な部分では、李朴がそんな恩知らずな人間ではないと分かってはいた。

 だが、自分の中の後ろめたい気持ちが惺流塞の言葉となって李朴を責めた。


「もしも! もしも私が『李朴』の名前のまま歩いていれば、きっと若は『李朴』の名前を手掛かりに私を捜し出してしまったことでしょう。『李朴』と言う名の盲目の男と聞いて回れば誰かが私に気が付くはず。そうなれば若はきっと追い駆けて来てしまうと思いました」

「当たり前だろうが!」

「だからです。だから私は名乗れなかったのです。もしも見つけてしまえば若は屋敷を棄ててやって来てしまう。それは大旦那様の望むことではありません」

「だから名乗らなかったと言うのか? あの男の言いつけを守ったと言うことか?」

「違います。これは私の意志です! 大旦那様には関係のないことです。

 それに、『李朴』はあなたが私を呼ぶために考えて与えて下さったものです。呼んで下さる方がいない以上、その名前は使えません。私は『李朴』という名と共に、若たちと過ごした日々を胸にしまい続けるつもりでいました。だからこそ、草花さんに名前を問われたとき、私は答えられなかったのです」

「お前は馬鹿だ」

「はい」

「大馬鹿者だ」

「よく言われていましたね」


 貶されても、李朴は嬉しそうだった。

 散々な目に遭わされていたにも拘らず、自分の家族から引き剥がされた原因を作った屋敷の人間に義理立てするなど、惺流塞には考えられないことだった。


 これが、『二度とあの屋敷と係わり合いになりたくない!』だからこそ、『その屋敷の人間に与えられた名前を名乗ることなど出来ない!』という理由であれば納得も出来たし、諦めも付いたし、理解もし易かった。


 だが、李朴はそういう男ではなかった。馬鹿が付くほど義理堅い。

 何処の世の中を捜せば、自分を裏切った人間を目の前に気遣う人間がいるだろう?


 自分だったら恨みつらみを全て吐き出して、罵詈雑言の限りを浴びせかけて、完全に関係を一掃してしまうだろう。

 そうしたところで苛立ちはきっと収まらない。そのくらいの事は想像していたし、また、もしも李朴に逢えたとしても、そうなるかもしれないと言う覚悟はしていた。


 だが李朴は笑っていた。いつものように、二年以上も会えなかった人間とは思えないほど当たり前のように、自然な笑みと共に惺流塞の正面に立っていた。


「お前が隠していたとしても、俺はこうしてここにいる」


 紡ぐ声が震えていた。

 不覚にも、何一つ変わらない李朴の存在が嬉しくて、泣きそうになっていた。

 素直に喜びを出せない自分が少しだけ恨めしかった。自分はもう子供ではない。素直に感情を表現できるほど純粋でもない。


 だからこそ惺流塞は、李朴を責めるように、「お前の心遣いは無駄になったぞ」と遠回しなことを言ってしまった。


 本当は謝りたかったのだ。ずっと、謝りたかった。見つけたら最初に謝ろうと思っていた。それなのに、李朴があまりに変わっていなかったため、謝る機会を失っていた。


 これがもし、一言でも責めてくれたなら、惺流塞は素直に謝罪の言葉を紡げた。土下座してもいい気持ちでいたし覚悟も決めていた。でも、李朴はそうはさせてくれなかった。

 惺流塞にとって、李朴は優し過ぎる人間だった。李朴は言う。


「そうですよ。どうしてここへ居るのですか? 屋敷からは遠いのですよ?

 大旦那様は? 皆さんは元気ですか? ここへは一人でいらっしゃったのですか?

 あ、だから迷われたのですね? また意地を張ったのでしょ?」


 呆れるような心配しているような声でまくし立てる。だから答える。


「別にそういうわけではない」

「だったらどうして?」

「お前のためだ!」

「私のため?」


 きっぱりと断言され、李朴の顔に戸惑いが浮かぶ。だが、一拍後には責めるような表情を浮かべて詰問口調で問い掛けて来た。


「私のために遥々こんな遠いところまで一人で来たと言うのですか!」


 説教の一つもして来るだろうと思っていると、案の定して来た。


「遥々と言っても歩いて三日程度の道のりだ。遠いと言うほど遠いわけでもない」

 返す口調がやや拗ねていた。


「十分に遠いですよ! 供の者も連れずに一人で来るなんて、何を考えているのですか!

 何かあったらどうするのですか!」

「別にどうもしないさ」

「そんな投げやりなことは言わないで下さい。そんな勝手をなされては大旦那様が心配いたします」


 むしろ、今現在李朴が一番心配しているように惺流塞には見えていた。


「あいつらは心配などしないさ」


 惺流塞は吐き捨てる。


「心配されたくもない。あいつらはお前を追い出したんだ」

「若。ですからそれは仕方のなかったことなのです。盲目の私が居たところで何の役にも立てないのですから、働かざるもの食うべからずです。当然の判断だったのです。

 目の見えない者が若の護衛など勤まるはずがありません。ですから大旦那様は私に暇を与えて下さったのです。全ては若、あなたのために取った選択。それを怨んで「あいつら」などとさげすんではいけません」

「知ったことか。俺はお前を外へ出すつもりはなかったんだ。出すなと頼んだ。でもあいつらは聞き入れてはくれなかった。だから俺もあいつらの頼みを聞き入れてやらなかった。

 俺は今、あいつらと一緒には暮らしていない」

「え?」

「俺はもう、あの屋敷の人間達とは無関係だ」

「無関係……って、だったら今はどこでどうやって暮らしているのですか?!」


 何故か李朴が焦っていた。

 今でも心の底から心配してくれるのだと言うことを目の当たりにして、惺流塞は口元が綻ぶのを自覚した。


「今は絵を描いている」

「絵を?」

「そうだ。あいつらが散々反対し、馬鹿にし続けて来た絵だ。俺はそれを売って金を稼ぎ生活している」

「それはつまり……夢を叶えたと言うことですか?」

「そうだ。俺の名前は世間に広がっている」


 惺流塞は得意げに話してやった。それを受け、李朴の顔に徐々に歓喜が広がって行く。


「凄いじゃないですか、若! 私はとても嬉しいです!」

「そ、そうか? お前も喜んでくれるのか?」


 嘘偽りのない言葉に、惺流塞の中にも喜びが生まれる。

 どれだけ高く絵が売れるよりも、李朴に喜んでもらえた方が何万倍も嬉しいと思えた。


「お前にも見せたい絵が沢山あるんだ。いや、誰にも売らずに取っておいてある!」

「そうですか。それはとても嬉しいです。私も、是非とも若の描いた絵を見たいです。

 ですが、若の絵を見ることは叶いません。私には残念ながら見えないのです」

 

 柔らかな苦笑だった。

 だからこそ惺流塞は朗報を告げる。


「安心しろ李朴。俺の絵はお前にも見えるんだ」

「若、お気遣いは嬉しいのですが、私の眼は」

「黒と灰色と茶色しか見えない。だな?」

「は、い」


 言おうとしていたことを先に言われて、驚きの表情を浮かべる李朴。


「ですが、何故そのことを若がご存知で?」


 戸惑うのも当然のことだ。だからこそ教えてやる。


「お前が色を失ったに過ぎないからだよ、李朴。そして、黒の世界に灰色と茶色を取り戻したのが俺だからさ」

「え?」

「俺は突き止めた。あの時、お前に何があったのか。どうすればお前に色を取り戻すことが出来るのか。そして俺はお前に色を取り戻すことを誓った」

「誓った……って、そんな、一体どうやって」

「色鬼を狩る!」

「色鬼?」

「そうだ。俺があの時見つけた虹色に光る玉は『虹玉こうぎょく』と言って、色鬼を封じ込めていたものだったんだ。そこから逃げ出そうとしていた色鬼達が、触れた人間を通じて外へ解き放たれた。そのときお前の中から色を奪って行ったんだ。

 だから俺はそいつらを追っていた。捜して、お前に色を返した。

 色は全部で一二色。全部狩り終えればお前はまた普通に物を見ることが出来る。

 俺の絵を見ることも出来るんだ。

 今は黒と灰色と茶色の三色で描いたものがある。それは直ぐにお前でも見られるように描いたものだ。だから来い! お前の後ろにいるその女から離れて。そいつこそ、お前から緑色を奪った緑色鬼だ!」

『!!』


 弾かれたように李朴は草花という名の緑色鬼へと振り返った。

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