第13話『思いがけない再会』

 突然現れた男を見て、惺流塞せいりゅうさいは自分の眼を疑った。

 まさか、こんな場所で再会するとは思っても見なかった。

 目の前にいきなり現れた男は、盲目になったせいで屋敷を追い出された李朴りぼくだった。


 二年前と何一つ変わらない李朴。

 盲目の所為で様々な苦労をしてきたはずの李朴。

 少しでも早く李朴に色を返したくて、焦っていた惺流塞。


 もしかしたら李朴自身が既にこの世にいないかもしれないと何度考えたか分からない。

 自分のしていることが無意味かもしれないと何度絵を破り捨てたかしれない。

 だがここで、今、目の前で、惺流塞は李朴の元気な姿を見て、心の底から安堵した。


 胸の奥から熱いものが沸き起こり、喉の奥が熱を持つ。できることなら直ぐにでも駆け寄りたかった。二年前の父の仕打ち、兄達の仕打ち、自分の仕出かしたことの重大さを謝りたかった。


 謝れば李朴は許してくれるだろう。いや、今現在、うらんですらいないだろう。

 李朴はそういう人間だと言うことは八歳の頃から十六歳まで一緒に暮らして来た惺流塞には良く分かっている。


 李朴は人を憎まない人間だった。怒りはするが、怨みから辛く当たったり、嫌がらせをするような低俗なことを一切しない人間だった。

 辛いとか困ったと言うこともあまり口にしなかった。

 自分ばかりが愚痴や不満を一方的に湯水のように吐き出していた惺流塞は、自分とは間逆の李朴に、尊敬と疑問を抱いていた。


 どうして李朴には不満がないのか? どうして李朴は愚痴をこぼさないのか?

 もしかしたら自分の知らないところで当り散らしたりしているのではないか?


 そんな下世話な想像をして、こっそり李朴の後を付けたこともあった。

 勘のいい李朴に直ぐに見付かり、何度笑われたかしれない。

 李朴はいつも微笑んでいたような気がする。


 少なくとも惺流塞の思い出す李朴はそうだった。

 元は農民。武家から見れば農民は下賎の者と見られている。

 自分たちの食べるものを作ってくれている農民なのに、何故そうまで侮辱するのか惺流塞には理解出来なかった。理解できなかっただけではなく、嫌悪した。


 そんな人種の中に、たった一人、金で買われて連れてこられた。

 惺流塞ですら見ていないところで多大な苦労をしたはずなのに、李朴が心の底から自分に対する仕打ちに怒っている場面を惺流塞は見たことがない。


 いつも当たり前のように傍に置いていた李朴。

 いつの間にか傍にいることが当たり前になっていた李朴。


 たった二年。されど二年。人によっては短く感じるかもしれないが、惺流塞にしてみれば李朴の去った二年は気の遠くなるほど長かった。

 色を全て取り戻してやったとしても、李朴自身には会えないかもしれない。何処に連れて行ったのかどれほど詰問しても、家族や使用人は教えてくれなかった。


 捜しようがなかった。自分に協力してくれる者もいなかった。

 怒りのあまり血が沸騰していた。愛想を尽かして屋敷を飛び出した。

 小珠に出逢い、色鬼のことを知り、『隠世』を使役して命を削った。

 それでも、そこまでしても、李朴自身には出会えないかと思っていた。


 だからこそ、今、惺流塞は眼を見張った。追い出されたままの姿の李朴の出現に。

 だとしても、惺流塞は駆け寄ることが出来なかった。


「あれ? 何かあったのですか?」


 何処とも知れない周囲を見回して、状況を把握しようとしている李朴に対し、


「いえ、何でもありませんよ早瀬さん。ただちょっと迷われた方がいらっしゃったので」

「そうなんですか? 山は広いですからね。迷ったら大変だ。大丈夫ですか?」


 黒に近い茶色の瞳と気遣うような笑みが惺流塞に向けられる。

 見慣れた笑みだった。いつも見ていた笑みだった。

 だが、李朴は『早瀬』と呼ばれていた。


 他人の空似なのか? それほどまで似ていて、李朴ではないのか?!


 逢えるとは思ってなどいなかった。似ている人間が世の中には何人かいると言う話を聞いたこともある。

 似ているだけで別人だと言う可能性もある。

 そうそう自分にとって都合のいい展開があるとは思えない。


 分かってはいるが、あまりにも早瀬と呼ばれている男は李朴に似ていた。

 もしかしたらと言う思いと、そんなわけがないという思いが衝突し、惺流塞は男に問われても咄嗟に何も返せなかった。


「私もかつて山で遭難してしまったことがありまして……」


 恥ずかしそうな笑みを浮かべて男が惺流塞に語り出す。その視線が微妙に惺流塞とずれていることに、惺流塞は気付いていた。


 この男も、目が見えていない!


 そこに気が付いてしまうと、確かめずにはいられない衝動が突き上げて来た。

 違ったら違ったでもいい。だが、万が一にも本人だったら……。

 それは捜し人が同時に見付かったことを示し、更に、敵同士が知らずに一緒にいると言うことだった。つまり、自分が盲目にさせられた原因である色鬼と親しげにしているということだ。


「……が」

「何ですか?」

「眼が、見えないのか?」

「え?」


 問われた瞬間、男の目が軽く見開かれる。


「全く見えないのか? いつ、遭難したんだ? 元々この辺りに住んでいたのか?」


 口を開くと、言葉が止めなく溢れて来た。

 男が何度も瞬きをし、半ば信じられないと言わんばかりに呆然とした声でそれを遮る。


「ちょ、ちょっと待って下さい」


 お陰で惺流塞は我に返ることが出来た。途端に羞恥心と嫌悪感が沸き起こって来る。


「すまない。あまりにもあなたが探していた人に似ていたから、つい口走ってしまった」


 感情的になってしまった己自身を恥じ入るように唇を噛み、目線を逸らす。逸らしたところで相手に自分の姿など見えていないことは分かり切っている。馬鹿なことをしたような感じがして、惺流塞は拳を握った。『隠世』が冷たかった。


「見ず知らずの他人に、自分のことをいきなり聞かれるのは不快なものだ。申し訳ない」


 自分自身を落ち着けるためにも、惺流塞は再び謝罪の言葉を紡いだ。

 だが、それに対して返って来た答えは惺流塞にとって衝撃的なものだった。


「いえ、別にそれは構いませんが、こちらからも一つ聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「もしも違っていたらすみません。もしかして、若様ではありませんか?」

「!!」

「あ、いや、違うならいいんです。

 ただ、あなたの声が前にお世話になっていた場所のご子息に似ていたもので……。

 あまりに懐かしい声だったので思わず聞かずにはいられませんでした」

 そう言って、男は恥ずかしそうに自分の頭を掻いて見せた。

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