2話:極彩色の少女と、モノクロな私。
昼休みのざわめきが校舎中に響く中、私はひとり、校舎裏の廊下にいた。
そこは第一校舎3階、山岳部の部室がひっそりと構えている場所である。
第一校舎には特別教室がないため、放課後文系の部活に使われることはない。
グラウンドや体育館で活動している運動部もまず立ち寄らない。
誰にも見つからずに、何かを考えているふりをするのに、これ以上の場所はない。
目の前にある、古びた木の扉。
そのすぐ横に貼られた「新入部員募集中」の紙は、風雨に晒されて角が反り返っていた。
誰が貼ったのかもわからないまま、恐らく何年も前から放置されているのだろう。
それでも、目を引くのは事実だった。
少なくとも、私はこうして足を運んでしまっている。
スニーカーのつま先で床をこすりながら、ぼんやりと考える。
どうせ、どこに行っても自分の居場所なんてないのなら。
誰もいない場所で、ひとりで過ごす部活――それなら成立するかもしれない。
……まあ、そんなことを真剣に考えてる時点で、だいぶ終わってると思うけど。
そもそも、山なんて興味ないし。
虫は嫌いだし、日焼けもしたくないし、筋肉痛なんて絶対ごめんだ。
それでも、なぜかこの部室の前に立っている自分がいる。
滑稽だなと思う。
自分でも、何がしたいのかわからない。
「ねえ、君」
突然、背後から声をかけられた。
心臓が跳ねたような気がして、びくっと肩がすくむ。
声をかけられるなんて、まったく予想していなかった。
というより、誰にも見つかりたくなかったのに。
「……な、なに?」
振り返ると、そこに立っていたのは、極彩色の目をした少女だった。
色素の薄い茶色の瞳が、窓から差し込む光を吸い込んで、万華鏡みたいにきらきらと色を変えている。
吸い込まれそうになる、と本気で思った。
短めのボブで、前髪はきっちりと整えられている。
顔まわりの毛先がふわっと外に跳ねているのが、やけに元気そうで、軽やかだった。
口元には、やけに自信ありげな笑みが浮かんでいた。
まるで、「話しかけるのに理由なんていらないでしょ」とでも言いたげに。
見覚えがある。というか、忘れたくても忘れられない。
同じクラスの、確か――
入学してすぐ、教室のど真ん中に陣取って、知らない人同士の間を笑顔でつないでた子。
誰とでも話せて、誰とでも仲良くなれて、誰からも自然に声をかけられて。
そういう強者の香りがする人間。
「
菜摘はまっすぐな目でこちらを見ていた。
少しも遠慮のない、真正面からぶつかってくるような視線。
人と話すのが得意な人の、相手の顔をちゃんと見ようとする目。
「え、あ……いや、ちょっと見てただけで……」
声がうわずる。
菜摘はそんな私の反応を気にする様子もなく、ぱっと明るく笑った。
「だよね~。でもさ、ここに立ってるってことは、ちょっと気になってるってことじゃん?」
「……まあ、そうかも」
言葉を選びながら答えると、菜摘は一歩、私の隣に並んだ。
ふわりと、彼女の匂いがした。
柑橘系の制汗剤。その奥に隠された、ほんのわずかな汗の気配。
その匂いが、なぜか私の鼻腔の奥から、こびりついて離れなかった。
「実はさ、あたしも今ちょうど部活探してるとこなんだよね。バスケ部に誘われたんだけど、なんか……ちゃんとやる気になれなくて」
「えっ、バスケ、うまそうなのに」
気づけば、自然と声が出ていた。
菜摘は少し驚いたように私を見て、それから嬉しそうに笑った。
「ありがと。でもね、うまいって言われると逆に冷めちゃうんだよね。期待されてるって思うと、なんかしんどくなる」
その言葉に、ちょっと意外だな、と思った。
こんな明るい子でも、そういうことを考えるんだ。
「だからさ、山岳部。なんか、いいかもって思ったの」
「……どうして?」
「なんか、自分でちゃんと登らなきゃいけないじゃん。誰かと競うわけでもないし、点数も勝ち負けもないし。全部、自分の足で一歩ずつって感じ」
菜摘は、そう言って軽く笑った。
その笑顔は、さっきまでの底抜けな明るさとは少し違っていた。
どこか静かで、でもじんわりと熱を帯びているような、そんな種類の笑みだった。
それが逆に、妙にまぶしく感じられた。
「もしよかったら、だけどさ――一緒に、やってみない? 山岳部」
菜摘は、そう言って手を差し出してきた。
ためらいも、見返りも、計算もなさそうな手。
ただまっすぐに、目の前に置かれた「選択肢」みたいなその手は、眩しすぎて、ちょっとだけ怖かった。
こんなにストレートに人が差し出したものを、今まで私は、何度見送ってきたっけ。
見送ったくせに、心の中では「あのとき応えていたら」とか考えて、勝手に後悔して、何もしないまま、また次の日を迎えて。
……また、そうやって生きていくのか。
だとしたら、少しくらい、何か変えてみたってバチは当たらないかもしれない。
私は――
「うん、いいよ。一緒にやろう、山岳部」
自分でも信じられないほど素直な声が出た。
そして、菜摘の手を取った。
その瞬間、自分の中の何かが、ほんの少し軋んだ気がした。
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