第06話 魔力制御
次の日。
俺は、派手めのアロハにタンクトップ、七分丈の短パンという出で立ちで職場に立っていた。
九条に一張羅を濡らされたせいで、仕方なくこうなったのだ。
服なんて、もう何年も買っていない。
おじさんなんて、だいたいそんなもんだ。
ダンジョンの中は自由だ。
四十を過ぎた妻子持ちが勇者装備に身を包み、必殺技を叫んでいる。
――だが、日常ではTPOを守らねばならない。
分かっている。俺だって、これは苦渋の選択だったのだ。
リーダーの小林さんは、「んー……ラフで良いって言ったけど」と一言つぶやいただけで、それ以上は何も言わなかった。
そして、「はい、これお願い!」と次から次へと仕事を振ってくる。
いつしか俺は、目の前のタスクに没頭していた。
***
昼休みは、まさしく戦場だった。
俺は味噌汁を一心不乱に注いでいた。
汗と湯気の中、味噌の香りが立ちこめる。
そこへ――ひときわ大きな声が響く。
来奈だ。
今日は三人組ではなく、別の友達と二人らしい。
「で〜、あたしもついにレベル8なのよ!
いよいよ伝説の幕開けってやつ?」
隣の大人しそうな眼鏡の子が、感心したようにうんうん頷く。
「最初にレベル上げるのって難しいよね。
ちゃんと指導してくれる人がいないと無理だよ」
「そう、袴田ちゃん分かってる!
うちの冒険部の顧問に、すっごい人が来てさー。委員長が呼んだんだけど」
来奈が、得意満面に声を張る。
「へえ、高柳……先輩が。すごいね」
政臣は同級生から“先輩”と呼ばれているようだ。
実際、二十歳だしな。
やがて、来奈が食券を手に配膳コーナーへやってくる。
「そのすごい人ってのが、実はさ――」
と言いかけて、俺と目が合った。
彼女の動体視力が、俺の上半身のハイビスカスと露出した
……そして、ぴたりと口をつぐんだ。
「……ま、まあ、その話は今度ってことで」
味噌汁を受け取ると、何事もなかったように足早にテーブルへ向かう。
「ありがとうございます」
袴田と呼ばれていた生徒は、丁寧にお辞儀してから、慌てて来奈の後を追っていった。
俺は小さく息を吐く。
大家に即日クリーニングを頼んでおいて、本当によかった。
これは仕方のないことなのだ。
「おじさん、おかわり〜!」
そんな声にスマイルで応えながら、俺は再び味噌汁へと意識を向けた。
***
放課後、冒険部。
俺が顔を出すと、来奈と梨々花はサッと目を逸らした。
一方の由利衣は、にこにこと話しかけてくる。
「コーチ、ご機嫌ですねぇ。うちのおじいちゃんもそんな格好してますよ〜」
どうやら、黒澤家のセンスとは合いそうだった。
たが、そんなことはどうでも良い。
俺は三人に向き直り、当面の目標を伝えた。
「まずは、第一層を抜ける実力をつける。
これでようやく、初心者卒業だ」
ダンジョンの各階層は、十のフロアで構成されている。
階層が変われば景色も、出現するモンスターもまったく異なる。
そして、各階層の最終フロアには“階層ボス”が控えており、そいつを撃破できれば次の階層へ進める。
一度ボスを倒した冒険者が所属する国の魔法使いは、以後はスタートポイントから、その階層をスキップして転移できる――
なぜか? 精霊がそう定めているからだ。理由は誰にも分からない。
現在、日本の攻略到達階層は第八層。
理屈のうえでは、いきなり第八層へ挑むこともできる。
……だが、そんな命知らずな初心者はいない。
階層を潜るほど、モンスターは強力になり、
より大きな魔石や高価な素材を得られるようになる。
低階層でコツコツ稼ぐか――
それとも、大物狙いで一攫千金を狙うか。
各国、各冒険者の戦略が問われるのだった。
なお、現在の世界トップはアメリカ――十二層。
それに続くのが中国の十層だ。
日本は、いまだ後塵を拝している。
レイドバトルと同じく――いや、それ以上に、
階層攻略は国家の威信を懸けた戦いだった。
レベルだけで考えれば、★1のSRの場合三十台で第一層を突破といったところだ。
だが、まずは基礎的な魔法の使い方を身に着ける必要があった。
「というわけで、訓練だ。まずは黒澤、ついてこい」
俺は冒険部の部室を出ると、等間隔にロウソクを並べて火をつけた。
きょとんとした顔の由利衣に向かって言う。
「五メートル間隔で置いたロウソクの火を守りながら、同時に薄く結界を展開するんだ。
できるようになったら、距離を伸ばすのと同時に角度も。
当面の目標は――有効範囲百メートル、前方百八十度だな。
索敵能力の向上と、結界の精密コントロール。
これができれば、チームの生存率は段違いに上がる」
由利衣が集中して結界を展開する。
次の瞬間――五メートル先のロウソクの炎が、フッと消えた。
「ええー、難しいなあ」
まあ、最初はそんなもんだ。
俺は由利衣を自主練に任せ、部室に入る。
そして、来奈と梨々花の方へ向き直った。
「入江は命中力に難があるんだったな。桐生院も課題は同じだ。
まずは魔力をコントロールできるようにならないと」
来奈は格闘技の素人だ。
動体視力と腕力で強引に殴っている――それも魔眼能力があれば、ある程度は通用するかもしれない。
だが、ダンジョンにはダンジョンの戦い方がある。
「魔力ってのは、精霊から得られる力だ。
魔法使いなら誰でも持っているし、ダンジョンモンスターにも流れている」
俺は右の掌を開き、そこに魔力を集中させた。
空気がわずかに振動し、サッカーボールほどの岩塊が形成される。
「おおっ!」
来奈が子どものように声を上げる。
「いまのは、出てきた塊はどうでもいい。
その前に――何か感じたか?」
二人は顔を見合わせて首を傾げた。
「もう一度だ」
そう言って、再び土魔法を展開する。
すると、梨々花がおずおずと口を開いた。
「あの……先生の右手に魔力が溜まって、何かが変わったように……思えました」
「そうだ。
魔法使いはみんな無意識でやっているが――精霊から得た魔力を変質させるのが魔法だ。
火・水・風・土の四大属性も、身体強化も、黒澤の結界も、根っこは同じ」
この“魔力の流れ”を読み、制御する。
それが、魔法使いだ。
「一般的にイメージされる詠唱とかは要らない。
まあ、集中の助けにすることはあるけどな」
俺はそう前置きし、軽く息を吐く。
「よし。入江、桐生院。
いまから俺が――左右どちらの手足に魔力を込めるか、当ててみろ。
お前たちから見て左右だ」
二人が構えるのを見届け、精霊とのパスを開いて魔力を流す。
最初は分かりやすいように、あえて強めに。
「右手!」来奈。
「左手です」梨々花。
「正解は――桐生院。左手だ」
来奈は、ぽかんとした顔。
……まさか左右を間違えたんじゃないだろうな。
俺は来奈の目をまっすぐに見る。
「格闘スキルはもちろん強みになる。腕力と反応速度で殴り勝つ場面もあるだろう。だが、魔法使いの戦闘の本質は違う。相手の魔力の位置と流れを読み、自分の魔力を制御すること。これが基本であり、極致だ」
相手の動きを“視る”のではない。魔力で“感じる”のだ──それができれば、相手が魔法を放つ前に先回りして制圧できる。加えて来奈の魔眼の身体能力強化を乗せれば、他に並ぶ者のない近接戦闘魔法使いになれるだろう。
梨々花もだ。モンスターの魔力を感知し、有効な魔法を叩き込む。
強力な魔法でのごり押しではなく、最小効率で最大効果を上げるのだ。
俺が最初に見た、こいつらのジャイアントバット戦の動画――。
魔力制御の基礎からなっていなかった。
この学院は魔法使いの育成機関だ。
それなのに、あの有様。
……まあ、これも時代か。
俺のときは、全寮制だった。
朝五時に叩き起こされ、魔力を乗せて校歌を絶唱。寮と校舎を舐めるように清掃したあと、五分で朝食をかきこむ。
その後はひたすら魔力集中と戦闘訓練。
放課後は希望者だけダンジョン探索。門限は夜七時。
九時消灯。
脱走者が出れば連帯責任で草の根を分けてでも探し出す――そんな時代だった。
だが今は、そんなことをすれば教育委員会が黙っちゃいない。
今の学院は“戦う魔法使い”というより、“魔法の分かる社会人”を育てる方針。
一般教科が中心で、魔法使いとしての特別教科は、ダンジョン史だの、素材やアイテムの扱いだの……そんな講義がほとんど。
実戦は体育の授業で、ほんの少し。
――まあ、将来ある若者を朝から晩まで魔法漬けにしていた昔の方針も、今思えばだいぶアレだったが。
「でも、部活動での戦闘訓練には、かなり力を入れてるんです。そこなら、多分……」
梨々花がそう言いかけて、ふっと顔を曇らせた。
魔法使いの全員が、戦闘民族ではない。
適正のある子だけを選別して集中的に伸ばす。それもひとつの理屈だろう。
しかし、梨々花の表情。何か訳ありなのか。
来奈が頬をぷくっと膨らませる。
「いまはSRが四人も入って忙しいから、Rは“待て”なんだって! ほんっと、馬鹿にしててさ!」
……そういうお前も、Rのおじさんを馬鹿にしてたけどな。
しかし、状況は見えた。千連ガチャで出たSRは七人、そのうち高校生が四人。
学院はその受け入れ対応でてんやわんや。おまけに、SSR三人の情報は秘匿しなきゃならない。
――面倒の塊だ。
「高等部のSR四天王。有名ですよ」
梨々花がぽつりと言う。
四天王だと? 高校生にもなって。
まさか自分で名乗ってるわけじゃないよな。
そんな内心ツッコミを入れていると、外がざわついた。
俺たちが部室を出ると、由利衣がひとりの男子生徒に絡まれていた。
「黒澤、お前、それ何やってんの?
ロウソクの火? 昔の演歌歌手の特訓かよ」
……なんでそんなこと知ってるんだ。
ジャージ姿に、金髪のツンツン頭。
日焼けした顔に、どこか挑発的な目つき。
俺の背後で、梨々花が小声で囁く。
「獅子丸くん……SRの。同級生なんですけど」
ネットで見た顔写真では、たしか黒髪マッシュルームに分厚いメガネだった。
見事な魔法使いデビューだ。
獅子丸は由利衣に詰め寄り、しつこく絡んでいる。
「お前、うちの部活に来たかったんだろ?
特別に口きいてやってもいいぜ。
先生にだって、イヤとは言わせねーし」
分かりやすいほど調子に乗ったやつだ。
だが、それも無理はない。いきなり超常の力を授かったのだから。
こんなやつは山ほど見てきた。
由利衣は、困ったように曖昧な表示を浮かべている。
そこへ――来奈がツカツカと歩み寄った。
「ちょっと、シッシー。
由利衣が困ってるじゃん。ナンパはよそでやれっつーの」
その声に獅子丸の目が鋭くなり、鼻で笑う。
「はんっ。Rの中でも、回復はまだ使えるからな。
入江みたいな腕力バカはお呼びじゃねえんだわ。
……ま、SR様に付き合ってほしいって言うなら、考えなくもないけどな」
「なにぃ!?」
来奈が前のめりになる。
俺は学生同士の小競り合いに口を出すつもりはなかった。
だが、獅子丸の視線が俺を捉える。
「なんだよこのオッサン。若作りしてんじゃねえよ」
ストレートに抉ってくる。
由利衣が慌てて声を上げた。
「やめてよー。うちのコーチだから。
格好はおかしくても、すごい魔法使いなんだよ?」
フォローになっているようで、ならない。
獅子丸は「はあ?」と声を漏らし、あからさまに俺を値踏みするように見る。
そして――迷いなく指先に魔力を込めた。
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