6.苦い珈琲
喫茶店に入ると、珈琲の匂いが鼻を楽しませる。
店員に案内されて席についたころには、圭子の涙はいくぶん、落ち着いていた。
「すみません、お見苦しいところを……。でも、明美ちゃんはあのままだと本当に死んじゃうかもしれません……」
圭子は鼻を啜りながら言う。
「明美さんとはどういうご関係なんですか?」
怜司は世間話をする口調で尋ねる。
「大学の同期です。なんの授業だったかな……隣の席になったんです。
変な子だなと思いました。
出欠で手をあげないし、ずっと居眠りしてるし、テストはたいして書かないで退出するし、どうして? って聞くと、飽きたからって言うんです。
わたしのことを見て、圭子ちゃんのことじゃないからねって。
わたしに飽きたっていう意味じゃないよって言いたかったらしいです。
でも本当に変な子です。友達に向かって飽きたとか飽きてないとか、そんな失礼なこと言う人も、そう言われてるって思う人も、あまりいないですよ。明美ちゃんが少し変わってるんです。
三年生になったあたりから見なくなって、病気になったって連絡が来たんです。
それから、時々、明美ちゃんのお家にお見舞いに行くようになりました」
怜司は「へぇ?」と頬杖をつく。
「明美さんとは、どんな話をするんですか?」
その時、珈琲とプリンが運ばれてきた。
怜司はカップを口元にもってくる。少し啜って、口をへの字に曲げた。苦すぎるのだ。
圭子はプリンを先に食べ、珈琲をごくりと飲む。
「明美ちゃんとは……」と話しを続きを始める。
「明美ちゃんって、わたしのことを羨ましいって言うんです。
旅行に行った写真を見せたり……病気が元気になったら、一緒に行こうねっていう意味で、写真を見せたんです。
冬の伊豆の、少し暗い青の海です。
そしたら羨ましいって言ったから、やっぱり闘病中の人に見せない方がよかったかなって思っていたら、違うんですって。
海を綺麗だと思えるわたしが羨ましいんですって。やっぱり変な子です。
……明美ちゃんは、青い海を許せないって言います。
海って本当は真っ黒なんですって。どこのことを言ってるんですかね?」
圭子は喋りながら涙声になる。
「……明美ちゃんの病気、よくなればいいのに」
怜司は頬杖を解く。
「……圭子さん。明美さんは、霊です」
圭子は目を開いたまま固まる。
「……はい?」
「さっきの家……僕には、なにもない、誰もいない、空っぽの家にしか見えなかった。あなたは、なにもないところに向かって一人で喋ってました」
「……そんな」
「そしてあなたは、自分の手を自分の首に掛けたんです」
圭子は黙り込む。
「明美さんは悪霊です。あなたを死に誘い込もうとした」
「違います。わたしの意志です」
「この世は、自分の命を差し出したからって誰かの命を助けられるほど甘くありません。命は交換が出来ません」
圭子は首を横に振る。
「自分を犠牲にして他人を助ける人だっているでしょう!? わたしの曾おじいちゃんは戦死しましたし、わたしのおばあちゃんの友人は会社の不祥事の責任を取って亡くなりました。死んだら、周りの人たちが大人しくなって業務を再開することが出来た。
死んだら助かった人がいた。
だから、わたしは、そういうやり方もありだと思っているんです」
「曾おじいさんが命を差し出して手に入ったものは、戦局における一部の成果で、おばあさんのご友人が命を差し出して手に入ったものは、責任者がいなくなり事実がうやむやになったのに干し続けるのは無意味だ、というただの事実です。
その結果、もしかしたら誰かの命は救われたのかもしれないけど、
直接、命と命を交換してないんですよ。よく考えてください」
「そんな言い方をしますか!?」
「しますよ。圭子さん、おかしなこと言ってますから。
命を差し出したところで、命よりくだらないものしか手に入らないんだ。
この世は世知辛い。お悔やみ申し上げます」
怜司は珈琲を飲み干して立ち上がる。
「明美さんは、祓っておきますね」
圭子は「待って下さい」と言って怜司の袖を掴む。
「いくらなんでも、言っていいことと悪いことがありますよね。
――明美ちゃんは悪霊なんかじゃありません」
「いいえ、悪霊です」
「だとしても――明美ちゃんを祓ったら許しませんから」
怜司は圭子の手を払う。
「別にいいですよ」
怜司は席を立って歩き出す。
後ろから突き刺さるような圭子の視線を感じたが、振り返ることはしなかった。
喫茶店から出て、ズボンのポケットからスマホを取り出した。
「……はーい、お祓い仕事ですよ~。キッズども、オフィスに集合してくださーい」
ボイスメッセージが、たちかわ悪霊退散キッズのチャットに投稿された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます