十八

 呂布りょふから見た張栄ちょうえいは、丁原ていげんより少し背がひくいくらいの、胴回りの太い男だった。

 これまで呂布を好んできたような、武骨な感じのする男では全くない。その風体を持った男が自分に何用なのか、もしや隷属でも請いに来たのか。もしもそうなのであれば、丁原もその流れに一枚嚙んでいることになる。そうだとすれば、自分の心はどこに寄せるべきなのか、いよいよ判らなくなってしまうだろう。

 その猜疑を抱えた呂布は肩膊けんはくの辺りを力ませた。

 ただ、そんな表情を呈した呂布に向かう丁原や張栄、あるいは李植りしょくの目線は、あまりに朗然としたかおをしていたので、それがまた、呂布にとってはいぶかしかった。

「良い報せがある」

 丁原が明亮めいりょうな声で呂布に言った。

「良い報せ、ですか。俺にはいきなりのことでさっぱり」

「まあ、そうだろうな。焦らず、ここにいる張伯皮ちょうはくひの話を聞いたら良い」

 丁原は呂布の横に立つと、その背を押した。呂布は張栄に礼を示した。

 そこから会話が始まると思ったが、張栄は呂布の顔をじっと見つめたまま、口舌を動かそうとしない。

 呂布は談柄だんぺいを持っていない。故に、この奇妙な行動を黙って見返すくらいのことしかできなかった。

「ふむ」

 張栄はあごを擦ってなんぞ得心したかのような表情をすると、やっと首肯しながら言葉を発し始めた。

「やはり、この者は才気が満盈まんえいしているようですな。見事な躰躯、澄んだ目、そして正直さ。これを育てることができねば、自らを凡鄙ぼんひと蔑むことすらもはばかられましょうや。必ずや、このものを大人たいじんとするべく、家を傾けることを約束いたします」

 張栄はそう言うと、胸を張って丁原のほうに首を傾けた。

 丁原は

「その言葉、嘘は無いだろうな」

と聞くことがあれば、張栄はそれに応えて

「勿論です」

と、語気を強めた。

 呂布はこの会話の咬合する様を見て、すぐにでも、この人物との縁を結ぶことになるだろうと察した。そうでなければ、ここまで大言することもあるまい。ただ

──自分はそこまでの人物と見られているのか

と思うと、呂布は鼻柱が痒くなる。照れ臭いのもあるが、その期待を応えようと出来るだけの心構えを、まだ持ち合わせていない。

 張栄が軍営の中から去ったのち、呂布は丁原に問いかけた。

「建陽さん。俺は、あの人に貰われるんですか」

 提言はこの呂布の言葉を聞くと、心外そうな顔をした。

「なんだ、嫌なことでもあるのか」

「いえ」

 呂布はかぶりを振ったのち

「俺はまだ騎射ができません。そんなうちに、建陽さんのところから去っても良いのかと、そう思ったんです」

と言った。

「確かに、そのことは俺にとっても心残りだ。武芸を教えるというのは、俺とおまえの双方を生かす道だ。その繋がりが切れてしまうのは悔しい部分もある」

「それならば、俺は建陽さんの下にいたほうが良いのでは」

「そう言ってくれるのは嬉しい事だな。だが、今のお前にはもっと大事なことがある」

「大事なこと」

「俺に付き従っていると、常に戦が付きまとう。おまえはまだおさない。そんなやつを、戦禍に巻き込むのは道義に反するだろう」

「なら、そのわざわいの中で強くなりたい」

「馬鹿者。蓄えも無いのに戦うばかりでは、白痴はくちになるぞ。そうならないためにも、今は養われるのが良い。幸い、あの張伯皮という男は、お前を敬ってくれているじゃないか。お前をみちびくのには至極真っ当なやつだと、俺は思うがな」

 丁原は遠い目をした。呂布を里にやれるというのを安堵したこともあろうが、少しの間でも自分に親しんでくれた呂布という少年が去ってしまうというさびしさというのも、確かに丁原の胸裡には有りそうだった。

 呂布は、このことを李植にもいた。

「建陽さんはこう言ってたんです。俺は、従うべきでしょうか」

 そう言った途端、李植は戦時より崩さなかったかたちを和らげて

「帥にも、そんな愨然かくぜんたる心が生まれたか」

と言った。呂布がいま人に貰われるか否か、ということよりも、丁原に誠実な素直さが生まれたことを喜んでいたらしい。

 李植は己の表した表情が、呂布の求めている答えとは離れていることをすぐに気付いた。だが、いちど汗のように出したものを再び収めようとするのはむしもとる行為だと思ったのだろう。顔から拭い取ることはせず、呂布の目を其の柔らかい表情のままに見つめて

「呂布。この話に乗らない手は無いだろう」

と、呂布を励ますかのように言った。

 これほどまでによろこび、薦めてくれているというのに、断ってしまえば不義理である。そういったことは稚い呂布にとっても、言葉に飾り立てるようなことなく判る。ただそれでも、曲膝きょくしつして商賈の家にとどまるということは、己にとって意味のある出来事となりえるだろうか。その不安がないといえば、それは全くのうそである。


「呂布。お前の心は決まったか」

 そう丁原に言われたのは、張栄に相を観じられた翌日のひることである。

「いや、それが」

 呂布は答辞をもよおすのに困った。己の中に迷いがある以上、それを言葉にして発するというのは、まだこの頃の呂布には難しい。

 丁原は、困ったように息を溜めた。

「俺は、武人として大成してほしいと思っている。おまえにもそのこころざしがあることは、その通りだろう」

 その、というのは今までの呂布の言行のことをっている。確かに、呂布は自ら丁原に騎射を習いたいと言った。その事実は、呂布自身が如何に思っていようとも、どこか武術の道を究めたいという潜在意識があろうというのは丁原下に居る者どもの衆目の事実であった。

 呂布は、そうかもしれぬ、とおもって首を縦に振った。

「なら、少しばかりは見識を広めろ。俺は武の道にばかり行ったから、誰かに助けられなければ生きていくことすら難しい。おまえはそうならないために、銭の勘定でも覚えたら良いだろうよ」

 わずかに笑った丁原は呂布をその場に留め置いて、自らの足で張栄の処におもむき、呼びつけた。張栄は全く丁原を待たせること無く、留守の間の賈業こぎょうを信頼する奴僕に任せて丁原の後ろにいていった。

 呂布と張栄が顔を合わせるのは二度目である。夫々それぞれが、夫々の顔を見つめていた。しかし、その意味合いは違う。呂布は、己の中にある迷いを張栄の瞳に跳ね返しているのであり、張栄は呂布の器をまた見定めんとしているのである。

 呂布は自問自答した。己が往く道はこれで良いのか。往ったとして、認められるような人間となりえるのか。

 呂布は、突き詰めて言えば平穏が欲しかった。また、故郷のむらで過ごしていた時のような、人の繋がりと活発さに包まれた、牧歌的な生活を望んだ。里閭りりょうちに在るその平穏が、果たして城裏にも在るといえるのだろうか。

 恐らく、張栄の眼はその呂布の迷いや疑問を感じ取った。だから、ということでは無いかもしれないが、呂布にこう言った。

「天下の人々は、夫々に違ういとないをしている。遠路を来たみなしごであるという以上、おまえが元の暮らしには戻れるとは言えない。だが、生ける以上は己を索縄さくじょうにて縛り付けることはできんのだ。おまえにとっては故郷に近い方が良いのか、遠い方が良いのかという違いに過ぎないが、わたしにとっては、自分が燕雀えんじゃくとなるか鴻鵠こうこくとなるかの違いなのだ。一諾いちだくも出来ない者に払う銭というものは私には無い。く決めなさい」

 この言葉は、ともすれば呂布に対する脅迫でもあったように聞こえる。ただ、その場にいた者が聞けば、確かな慈愛というものがあったということは疑いようが無かった。それほどに靱やかな口調を以って、張栄は呂布に話しかけていたのである。

 あたして、呂布はその張栄が発した機微を思慮し得たのかどうか。それとも、この言葉におどろいて、その口から言葉が反射されたのか。

「お願いします」

 と発された呂布の心の中には、生まれた地からそう遠く離れたくないという慕郷の念というのも確かにあった。




 呂布は、この張栄という商賈の家に養われた。彼のように、ひとつの土地である程度は名を知られる程に財を持っているものとすれば、この孤を雇う、或いは養うというのは造作も無いことであったが、張栄以外の、この家に雇われている者の身とすれば、なかなか面白く無いことである。己の身が脅かされるのではないのか、という恐怖は、いつ何時でも生じえるものだった。

 その恐怖というものは風聞によってのみ形を成すもので、賈家じゅうの奴婢らは口から耳へ、そしてまた口へと糸を伝うように詈言りげん交じりに

「呂布とかいう丁稚が来るらしい」

ということを伝えた。その程度は甚だ誠とは思えないようなもので、例えば八尺あるという身躰的特徴というものは、まるで化外が来るかのように伝えられたし、それに乗じて頭脳は痴呆そのものであるということをも言われていた。

 蔵に住まう鼠のように身を隠しながら伝播していく風聞を、ここにいなかった主人の張栄が直接として止めさせることはできなかったが、それが自然と話されなくなったのは呂布が思ったよりも素直で純朴な少年だったことが大きかった。

 大きな財があれば、安穏とした生活を送ることもできる屋宇の下で怠惰に過ごすということはさほど難しいことではないのだが、呂布自身は己が農民として畑を耕しながら躰を鍛えていたあの頃の習性というものが抜けることがなかった。

 大きい割には素早いし、それを生かしてよく働く。読めと言われたものは確りと読むし、あんがい金勘定も早い。そして、時間が余れば裏にでも出て、斧を片手に躰を鍛え始める。そして、そう過ごす呂布の様子を、主人たる張栄が見咎める様子も無い。寧ろ

「私はこれを求めていたのだ。好かった好かった」

といって己の眼を指しながら自慢げに話すものだから、人々は呂布の目立つ風貌もあって

──これは、われわれと過ごす場所が違うのかもしれない

と思わせもしたのである。


 そうした月日を過ごして数月。ある報せが九原の方にまで届いてきた。

──李膺りようたちがゆるされたらしい

 呂布達が臨戎りんじゅうの辺りにいた頃の話である。都では宦官らを主とする派閥と、官僚らのを主とする派閥との争いが激しさを増していた。宦官らは讒訴ざんそを以って清剛の士を獄に下そうとしたし、官僚らは宦官らの朋友が不正を犯そうものなら、これを殺しても構わない、という態度で罰した。その中で、李膺りよう杜密とみつ、或いは陳蕃ちんはんという人は清廉毅直であるということで高名を馳せていたが、宦官らの詐謀というものはそのつよさというものを上回っていた。

 風角

──つまりは占い──

くする河内かだい張成ちょうせいという人の弟子が、人を殺した。これに対して張成は卜占ぼくせんによってこの弟子のことを赦したのである。司隷しれいの李膺は構わずにこれを捕らえたが、その罪は許された。このことは清直な人間にとっては許しがたい。

「法が履行されず、巫言ふげんによって人の善悪が量られるなど、あって良いものか」

 そう憤疾ふんしつしたの李膺は

──いっそ殺すべし

と案じた。そのはかりごとは、すぐさま宦官の耳に入った。

──これは使える

と思った宦官は一計を案じた。そも、張成はその方伎ほうぎ

──うらないのうでまえ──

によって宦官と交わりを通じており、そしてその繋がりから、時の帝である桓帝かんていにも、卜占についてよく訊かれていたのである。その信任性を使った。

──李膺らは太学に游士を養い、諸郡の生徒と交わりを結んで相駆させて共に部党を為したうえで、朝廷を誹訕ひせんし、風俗を疑乱せしめています

 という上書を、牢にいる張成の弟子からおさめさせたのである。勿論これは妄言であったが、桓帝は区切りに従うことしかできない官僚よりも、さきに梁冀ら一族を族滅ことすらした宦官や、張成の名を信用した。さらに言えば、先に李膺の怒り様を

憤疾

と記したが、この疾というのは言ってみれば病的である様なのだから、李膺のほうも冷静さを失っているような有様だった筈である。

 兎も角、桓帝はこの有様に激怒した。

──李膺こそ欲の塊。あの狂気の徒が、果たして朝廷に利する献策をしえるのか

 そう思った桓帝は、李膺ら党人と目された者どもを重臣であろうが構わず逮捕し、尋問しようとした。

 しかし、この事態に反駁する人がいた。陳蕃ちんはんである。

 先に記した党人の逮捕は、三府即ち

太尉たいい──主に軍事を仕切る──

司徒しと──教育や土地の管理などを司る──

司空しくう──土木工事などを仕切る──

の三公の全員が許諾せねばならない採決であったが、太尉であった陳蕃は李膺らの逮捕というものにあきらかな理由が無い

──つまり、張成の弟子が修めた上書に確かな証拠がない──

として、署名することを拒んだ。そしてなお、こう言ったのである。

「いま、ここに名を連ねられているものは、みな海内の人の誉れであり、国を憂い、おおやけに忠を尽くしている。これらはなおも、まさに十世のゆうなり。それなのになぜ、罪名が章らかでないのに収掠せねばならないのか」

 陳蕃は正義の人だという自負があった。そして、それを遂行するのに章かならざるは罰せずという気概もあった。しかしながら、この気概は寧ろ、桓帝を怒らせた。

 これはなぜであろう。きっと桓帝の中で

──部党を為している

という上書の中の言葉と

──十世の宥なり

という言葉が綿密に絡まったに違いない。

──やはり貴様らは、皇帝たる朕を傀儡としようとしているではないか

 もしや、桓帝はそう思ったのか。桓帝はますます党人を嫌悪した。そして

「北寺獄に移せ」

と命じた。この北寺獄というのは、

黄門北寺獄

と記されることからも解る通り、宦官らが管理する牢獄のことである。つまりは、李膺らの最大の敵である宦官に私刑の場を与えたのと同義であった。宦官らは李膺や杜密とみつ范滂はんほうといった人々に拶指さつしを加えたが、彼らは素より毅直なることで知られた人ばかりである。決して辞をげることは無かった。

 世間の人は李膺らを賢人であると讃えていたために、例えば皇甫規こうほきは己も党人の一派であるとして

「臣、宜しく之に座す」

と言って迂遠な形で桓帝に諫言し、さきに署名を拒んだ陳蕃もまた、激切な文章を以って桓帝に直言した。しかし、今や党人を忌むようになっていた桓帝にとっては、これらは半ば越権的な五月蠅うるささに他ならない。

──陳蕃のような人物は遠ざけるのが良い

 そう思った桓帝は陳蕃を太尉からしりぞけ、光禄勲こうろくくん周景しゅうけいを、また、司空の劉茂りゅうもを黜けてこちらも光禄勲の宣鄷せんほうをその位に就けた。

 結局、桓帝は己からのちかさや、自分自身の好悪を持ち込んで罪過の判決や人事を行った。このことが天下に大きな失望を与えただろうことは、想像に難くない。

 しかし、ここで竇武とうぶという人が上訴することによって流れが変わった。

 竇武は桓帝の皇后である竇妙とうみょうの父、つまり桓帝にとってみればしゅうとである。この竇武もまた正直であることを旨とした人であることは、このとき出された上訴の内容を見ればわかる。

──天下寒心海内失望

と敢えて言って見せたあたり、いち外戚の権力者というよりも、桓帝の義父であるという誇りがあるようにも聞こえる。

 そしてもうひとつ、北寺獄に於いても、一人の宦官の行為が刑罰の執行を遅らせた。

 その宦官は王甫おうほという。

 王甫は范滂ら党人に辧詰べんきつした。

「きさまらは互いに名を挙げあい、庇いあっているな。それは何故か」

 そうすると范滂はこう答えた。

仲尼ちゅうじはこう言いました。善を見るに及ばざるが如く、悪を見るに湯を探るが如く、と。わたしは善をくするに清らかさを同じくし、悪をにくむに汚らわしきを同じくし使むるを欲し、王政はつつしんで聞くというのが本懐で、悟らざれば党を為すを以てあらたむるのです。むかしの修繕は、おのずから福の多きを求めることであり、今の修繕は身を大戮たいりくに陥れること。この身が死した日には、愿んで首陽山の側に埋めていただきたい。上は皇天を負わず、下はたいらかなるをづかしめず。これが全てです」

 首陽山しゅようざんとは、古の時代に、孤竹国こちくこくの公子であった伯夷はくい叔斉しゅくせいが主君のいんを滅ぼした周の武王に反抗して籠り、最終的に周の粟を食わずに餓死するに至ったという言い伝えのある山である。ここに葬れ、ということは即ち、主君を殺すような貴様らには加担しない。我々こそが伯夷、叔斉のような忠臣であると言ったようなものなのである。

 この言葉を聞いた王甫は

──この者らが失意のままに死んでいくのは哀れに過ぎる

と思ったのだろうか。愍然びんぜんとしてかたちを改め、范滂らの桎梏しつこくを外して、酷刑を与えるのを取り止めた。

 そののちか、そのさなかか。獄の中に押し込められていた李膺らは、敢えて宦官の子弟の名を尋問の折に出した。そうすると、宦官らは己の身に罪過の咎めが来ることを恐れるようになる。彼らは党人を尋問するのに拷問を行った。即ち、己らも同様に扱われるであろうということは想像に難くない。押した波が引いてくるというのは、自然の摂理とでもいうべきである。宦官らは

「天の時はめでたくも宥赦ゆうしゃをするのにい形を成しております。これは天意です。陛下の徳を示されない手はございません。改元し、天下の罪人に大赦を出されるべきです。そうすれば、威光はますます炯炯けいけいとし、天下万民が畏服するに違いありません」

と言った。こういった甘い言葉には訝しむ人のほうが多いだろうが、しかし桓帝は党人を忌み嫌った反動として、身近にいる宦官の言葉を従順に聞くようになっていた。

「よし」

 と笑みを浮かべた桓帝は

延熹

という年号を

永康

と改めて、大赦を出した。これによって李膺ら党人は獄から出されたが、彼らには郷里に帰ること、そして終身罷黜ひちゅつされる身になることは避けることができなかった。こうして黜けられた党人の数は二百餘人に上ったという。


──永康、か

 呂布はそう思った。張栄から聞いたその話だけでも、漢という王朝がながく続くとは思えない。もしや、その元号に含まれた小難しい意義麗訓の類は解らないが、もしやするとこの改元は朝廷の持つ不安の裏返しなのではないかというのは、十一になって半年ばかりの彼にだって理解ができる範疇である。

 張栄伯皮も、その想いというものは同じくしているようで

「この王朝は、早く潰えるかもしれないな」

ということを、誰にも聞こえない程度に、しかし呂布にだけ聞こえるように言った。呂布が

「なぜそこまで声をひそめるんですか」

と言うと、張栄は

「己の身を守るために他ならん。官吏どもが聞けば、われら商賈は瞬く間に目の敵にされるに違いない」

と言った。

 呂布は商賈の凡そがが目の敵にされる、と言った張栄の言葉をそのままに受け取ったが、張栄の脳裏には、古の呂不韋の名が念頭にあったかもしれない。或いは、張栄にとってみれば、呂布こそが奇貨であったか。

 その真意を測りえることは、まだ呂布にとっては難しい。ただ、家の主人といち使用人がこうして口語を交わすこと自体が珍しかった世情、その雰囲気を呂布が勘付かない筈は無く、より一層おのれの修身に努めるようになった。

 呂布は様々な説話を言伝に、或いは書簡を読む内に楽毅がくきを好んだ。その戦果を云うのであれば白起はくきの方を好むべきかもしれないが、どうにも、白起には人間味がないとも思っていた。楽毅の持つ忠節心というものに含まれている、いまの呂布の持つ親への思慕の心を触発していくような悲しさが、呂布にとって堪らない。そして、その説話を以って屹伏きっぷくしていく感情の波をも超えるかのような戦果の輝かしさというものも、呂布は好んだ。

──こうなりたい

 と思った呂布は、空いた時間に行う弓馬の鍛錬に身を入れた。

 張栄はこの呂布の姿を見て、ひとつ憂いていた。

──この少年が長じていったとして、果たして何を天は求めるのだろうか

 張栄は商賈の人間として、人の天命というものは生まれたときに決まるような先天的なものでは無いということを感じている。寧ろ歳を重ね、物事に長じていったときに、その人が何に優れ、周りの人が何を用いるのかということを知らない限りは、天命というものを形作っていくことはできない

──つまり天命というものは天文にあるのではなく、人にある──

というふうに信じている。そういった視線で見てみるのであれば、呂布が今、自らの頑健な躰以外何も持ち得ていないというのは、将来に無頼となってしまうのではないかということを予感させた。

 もとはと言えば、己はこのみなしごを育てるに足りると思ったからからこそ、呂布を引き取ったはずだった。しかし、今の世情はそれを十全に発揮して大成の路にせることができるほど、安定したものではない。現に、銭を扱う張栄はそのことをよく知っている。


 この年の十二月、桓帝が崩御した。

 国を挙げて喪に服した。張栄もまた呂布を引き連れて南面し、平伏した。

 この時の呂布の、或いは張栄の胸中にどんな想いがあったのか。

 少なくとも、張栄は

──国が終焉に向かっているのかもしれない

という不安でいっぱいであった。帝の位には新たに解瀆かいとく亭侯がいたらしいが、十二歳であるが為に、政柄は皇后であった竇太后が握るという。

 張栄は梁冀りょうきの時代を知っている。

 あくどい螺旋の中を、今の世の中は輪転しているのではないか。疑う心がなかなかに消えない。

──いま、我々は何に向かって平伏しているのだろうか

 横で頭を下げている呂布の姿を一瞥すると、居た堪れない気分になる。そして、帝の権柄の弱まった今、跋扈する者どもも現れることになるだろうという予感もある。もしかしたら、いまにも増した酷虐が始まるのだろうか。

 心胆が寒い。張栄の躰はひとりでに震えた。

 一方の呂布も、張栄が苦心しているのではないかということは、徐々に判ってきていた。

 六月よりのち、張栄は呂布に銭の話をすることがあった。そのきっかけは、張栄が呂布に銭の数を申し付けたときに、呂布が

──あれ

と、違和感に気づいたことにある。張栄は豚一頭分の肉を買い付けるための銭を申し付けていたはずだったが、それに必要な銭の量よりも、明らかに多い。そのことを、呂布は以前の記憶と結び付けて思い出した。最初のうちは、よほど質の良い豚か、あるいは大豬だいちょとでもいうべき大きさなのかとも思ったが、それでも、どうにも納得がいかなかった。

 張栄に可愛がられていた呂布は、それ故に直接会話することが多かったが、その際に正直にその疑問を投げかけたのである。

「あの銭の量は明らかに豚一頭のものより多い。倍もあります。なぜ、そこまで銭を出さざるを得ないのですか」

 この問いかけに、張栄は

──やはり、布の耳にも入ったか

と嘆くかのようなかおをしたのち、みずからの寐室びしつへと呼び寄せると、事の次第を話し始めた。

「近頃は、党人を斥黜せきちゅつしたことに勢いづいて、宦官の息の掛かった者たちが跋扈するようになってしまった。彼らは郷里の者を推挙するのにまいないを欲し、それを納めさせて己の溷廁こんしまでもを飾り立てるありさまだというではないか。巨銭を払うものは巨銭を要する。大夫たいふどもは己が高位にのぼらんするために、今度は人民から巻き上げる。そのために、税のほかに多くの賄賂を渡さねばいけなくなったのだ。なんと嘆かわしいことか」

 張栄は、商賈の持ち得る損得勘定というよりも、人ひとりの持つ勧善懲悪の感情が勝って、低く、しかして力強い息遣いをしながらこう言うと、喉を震わせて深く慨嘆した。

──そんな

 呂布もその張栄の説話と息遣いを聞いて、憤りを同じくした。

 少なくとも、呂布の住んでいた小邑に於いては父老も、駅逓の主人も、そういったことをしなかった。それは地理的な遠隔性をもって中央と隔絶していたから、というよりも、むらを守るために人々は一丸とならなければならないという社稷遵守の精神を持っていたからだ、というほうが正しいのかもしれない。兎も角、そういった道徳観念を植え付けられていた呂布という少年は、幼いながらも醸成され始めていた確固とした個的信念の中で

──官吏どもは、なぜ苛虐を愉しむのか

ということまでもを思うようになった。

「このままでは万民は、饑饉ききんの甚だしさから逃れられんだろう」

 張栄は、自分では歳を重ねすぎていると考えているのかも知れない。だからこそ、呂布にこう言ったことを話したのだろう。

 呂布もまた、なぜ万民をかつて己が過ごした邑のように穏やかにならざるのか、というのを疑問に思った。確かに、その素朴な感性をもって様々な人が己のやるべきをやる生活ならば、かったのかもしれない。だが、こと国家という集合体に身を投じた以上、呂布のような人間が持つ素朴さは思想的遅滞と言われてしまうのが落ちなのだろう。

 薄暗い寐室の一角は二人の人影をとどめるのみで、何も応えることは無い。

 呂布はこういったやり取りの中で、張栄という人間がむしろ支配されている人間であることを知った。傍目から見れば銭をやりくりし、物と交換して殖財し、己の家を富ませて其のことを羨望される。そういった人間である。しかし、その裏では常に銭をせびられ、蔵の財をたくわえるのに使われる。

 商賈は常に公平でなければ、売り手も買い手も附かないものである。そういった部分を確かに心得ている張栄は、そのことが許しがたかっただろう。

 張栄は常々、

「銭にうるさいほうが良い」

ということを呂布に言っていた。呂布は銭なぞに縛られない大志を持ってみたいとも思っていたが、しかしその言葉の意味は

──己がいま酸苦をめているのだ

ということを暗に呂布に伝えるためでもあった。

──お前はこうなってはいけないのだ

という、自己批判の意味もあったのかもしれない。

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