十七

 軍は、そのまま臨戎りんじゅうにしばらくとどまった。南にはりょう州の武威ぶい北地ほくちがあり、そこで略奪を行った北狄ほくてきの通り道にもなりやすい、とよんでいたからである。

 延熹えんき年間、この土地の太守をしていたのは董援とうえんという人であったとされる。桓帝かんてい期に権勢を誇っていた梁冀りょうきを殺した、五人の宦官のうちの一人、単超ぜんちょうという人の外孫である。

 しかし、この単超という人の弟や、その子というのはことごとくが腐敗官僚として、延熹八年(一六五年)に降封されているから、この年(一六六年)の太守は、董援ではなかったかもしれない。

 ともあれ、この朔方郡を収める太守にこの軍旅の長が挨拶に行ったとき

「帰らんとするえびすどもを捕らえ、首魁たるものをころす。そのために、臨戎に駐屯しようと思っている」

と伝え、塩などを供出されたのちに、この臨戎まで来ている。

 呂布のいるこの軍旅は、その義理を果たさねばならない。こと、今回の沈氐ちんてい先零せんれいといったきょうの諸部族や、烏桓うがん匈奴きょうどをも巻き込んだ、鮮卑らの縁辺九郡に及ぶ寇掠の嵐は、必ずや報復をしなければならない、国家の一大事であった。

 その時は、早くに来た。略奪を終えて帰ろうという匈奴を主とした賊軍が、臨戎の城門をたたいたのである。

 彼らを待ち受けていたのは、先頃に臨戎城内の内通者を数十人殺した、呂布らの属する軍であった。

 彼らはこの郷土らの集団が来たのを察すると、城内のいたるところに兵卒をかくし、己らの軍に味方する匈奴の者を使って応対させた。

「疲れたでしょう」

 とうやうやしく城内に引き込ませ、その深くのにまで匈奴のうまのりたちが入り込んできたところを、一息に匿れていた兵たちが飲み込んだ。いくら騎兵の方がかちの兵よりも有利であるとはいえ、突然のことに驚いた匈奴の兵たちは何もすることができず、混乱の中に身を揉まれた彼らは、多勢に無勢、瞬く間に圧し殺された。

 呂布は、その中の一番先頭にいた。立たされたわけでも、偶然になったわけでもなく、自らその脚を飛ばして先頭に躍り出たのである。手には刃を鋭く研ぎ澄ました矛を短く持ち、躰には甲冑の何れもつけないはだぎのまま、戦傷を恐れずに突っ込んでいった。呂布自身も、なぜここまで鋭く駆けていけたのかは解らないが、ただひとつあるとすれば、呂布自身の持っている鬱憤が、武の才能という衣を纏ってこの場に発揮されたということなのかもしれない。兎角とかく、この場における呂布ははやかった。

 目の前にいる慌てた顔の騎に一撃を加えて落馬させると、其れの乗っている馬の胴を蹴って跳び、さらに横にいた者の腹を目掛けて一撃を加えた。瞬く間に、二人を馬から引き摺り落したのである。落ちた者の周りには兵がたかり、次々に剣や矛で止めを刺していった。呂布はそのまま三人目を狙ったが、その暇もなく、みな殺された後であった。

 呂布にとって、これは痛快事であった。己の手で掴んだ戦功は、野営していた狄どもの元に突っ込んだ時であったが、その時はあまりに強い昂揚と、己ではどうにもならないその場の勢いとに圧されていた。しかし、今度はどうであろうか。紛れもなく己が主導して先陣を切り、そして、手柄を獲ったのである。周りの者も、

──甲冑もつけない奴が二人を突き落として見せた

という光景を見て、心胆を驚かしめたかもしれない。

 とうぜん、呂布の動きは目立っていた。呂布の動きを見た者のうち、粗方この狄どもの掠め取っていた物を手に取れる分だけ手中に収めた兵卒は、呂布のもとに近寄ってきて

「おめえ、すげえな。これ持ってけよ」

などと言って、元は誰のものかもわからない、賊軍が抱えていた財物の類を呂布に手渡していった。その人混みの中には丁原もいた。

「有難く貰って行け。お前はそういうことをしたんだ」

 そういって励まされると、騎から剝ぎ取った氈帽せんぼうけむしろを呂布に手渡した。まだ付いた血の生暖かさが残るこれらを身に着けるのを呂布は戸惑ったが、丁原に

「寒かっただろ。これで温まるぞ」

と言われ、荒野中を裸同然でいた孤独を思い出し、感動にふけって

「ありがとうございます」

と言って、その身に着けた。

 軍はそのまま臨戎の地に十日のあいだ駐屯し、さらなる戎狄じゅうてきどもの跋扈の気配がないことを確かめると、またもや七百餘里を戻って朔方へ還り、そして張奐らの軍と合流すると、呂布らの一行は五原は九原の県城までの合計千里近くを三十日かけて戻った。


 季節はすでに冬である。并州に雪はさほど積もらない。しかし、刺すような冷たく乾いている風が頬を斬り付けるように吹いてくる。川の水は凍り、軍旅がその上を通っても問題の無いほどに厚い氷が張っていた。

 さきの臨戎での戦闘で鹵獲ろかくした氈を羽織っていたから幾らかはましであるが、それでも、足の指が痛いほどに寒い。軍旅の行程が止まると、頭に被った氈帽を外して己の足に被せて暖をとった。そうでもしないと、己の足の指が冷気に切り取られてしまう。それでも五体満足で何とか耐えられたのは、紛れもなく天祐といっても良いものだった。

 場内に入り、火に当たることを許された呂布は、固まりかけている手足をせわしなくはたらかせて日の前に駆け寄り、弱くも確かに燃えている火に対して手をかざした。

 心から凍えていた自らの躰は、次第に温度を取り戻して体を縮まらせなくともその寒気に耐えうるようになってきた。

「どうにも、無茶な行軍をするもんだ」

 そう言ってきたのは丁原である。従軍する中で呂布と丁原には情誼ともいえる感覚が醸成されていた。

──お前のために、戟の一、二本でもくれてやれれば良いのだが

 ということを、呂布は丁原から、遠くの城すら見えぬ平原の真っただ中で言われたことがある。呂布に武人としての並々ならぬ素質を感じていた丁原からすれば、そのことが一番、呂布に寄与できるものであったのかもしれない。

 しかし、呂布は断った。そしてその代わりに

──騎射を教えてはくれませんか

ということを言ってみたのである。

 そのことは、丁原の武装を見ればすぐに分かった。馬に乗って戦うにもかかわらず、長兵を持っていることは一度もなかった。その代わり、常に弓を手にし、えびらに矢を詰めていたのである。

 丁原は最初、この呂布という人間がその膂力を生かすためには大戟を振らせるのが好かろう、などと思っていたが、しかして騎射に興味を寄せるとは何事だと、そして、よくぞ俺の得意とすることを見破ったものだと思った。その点で、丁原は呂布のことをいた。

──本当に、弓のほうが良いのか

 と、丁原は問うたが、呂布は真っ直ぐな目をしていた。そして

──母が得意でした。近くで見ていた俺にも素養はあるはずです

ということを丁原に伝えたのである。

──そういえば、父はあのようになってしまっていたが、母はどうなったのか

 と丁原は呂布に訊いた。母親のことは、出会ってから一度も聞いたことがないのである。どこか齷齪あくせくともしているこの男は、そういった疑問がはらに生ずると、すぐにのどを通って口から出た。

 その会話を隣で聞いていた李植は

──そのようなことは好んで聞くものではありませんぞ

と言ってたしなめたが、今の丁原にとってはそんなことはどうだって良い。とかく、この呂布という少年の持つ全貌を知りたくなった。一種の童戯心である。

──俺の母は

そういって、呂布が口をつぐんだ。

──さらわれたんだと思います

 その口調は釈然としないものだったが、納得するしかなかった。丁原は深謀遠慮がない分、こういった言葉から受ける感情の波を、鏡のようにすぐ跳ね返すような性質も持っていた。

──俺が帰るまで、少しの間だが、教えてやる

 そういった丁原は、臨戎から五原に帰る道中、隙を見つけては呂布に騎射の基礎を教え続けていたのである。

 かといって、ひと月でこれに慣れるほど甘くはない。もともと馬に乗れる呂布の身があるとはいえ、その上で弓を引くのは全く別の技が要った。

 九原の城外。丁原の叱咤を受けながら馬を奔らせ、目当てとした城壁のしるしに向かって矢を放つ。しかし躰が振れて、その芯を穿うがつことができなかった。

「呂布、おまえはその程度で俺にならおうと思ったのか」

 丁原は怒鳴ったが、その声色に呆れはない。寧ろ、期待が込められている。

 呂布は馬を城壁沿いに連れて行くと、その外れた矢を手に取った。

──自分の躰の使い方はよく知っているが、他人の躰の動かし方を知らない

というのは、丁原から言われたことである。

 馬を駆けさせたり、留まらせたりすることは出来る。しかし、そこから別の動きをしようとすると、途端に自在さを失うことは、呂布自身も判っていることだった。しかし

──どうすれば良いんだ

呂布はこの癖を自分自身で捉え切ることが出来ていない。

 果たしてどこが悪いのか。そのことを理解するのには経験も知識も乏しい。

 これを克服したがった呂布は、日の暮れるまで丁原とともに矢を射た。

──一日に何百射もしたがるのはいけない。自分の中での最高の一射を打てれば、その日はそれで終わり

 そのことを教えてくれたのは郷里にいた頃の母である。しかし、丁原はその逆のことを言っている。

「日に何百でも射ろ。そうすれば、自然に自分の劣っているところが見えてくる」

 呂布はそのどちらにも従った。日に何百と射て、会心であると思える矢を何本と射ち、その感覚を自身の身に染み込ませようとした。しかしそれでは、己がその形をを意識し過ぎているようにも思えた。

「ふむ──」

 丁原は拱黙きょうもくして考え込む格好をした。そして

「それがお前の悪い癖だな」

と、言いつけたのである。呂布はその言葉に主題となる言葉を見つけられず困惑をしたが、丁原の言ったことはつまり、呂布自身の持っているどちらとも附かない柔弱さを指していた。一射を求めるのならば一射を求めれば良い。百射に耽るのならば百射に耽れば良い。しかし、この呂布という冠するに至らない少年は、あまりに貪欲である、と丁原は思ったのである。

──どちらにも至れなくなってしまう。そうすれば、この天稟てんぴんを無駄にしてしまう

 それはこの北辺において、あまりに大きな損失ではないのか。その思いをいうのには、先の言葉はやや唖的だったのかもしれない。

 そのせいか、呂布は愚直に騎射を続けた。この部分では丁原の方が諦めが早かったと言って良く、呂布の為せるがままに、日没まで呂布の修練に付き合った。

 暗くなって矢の軌跡の見えづらくなった頃を見計らって、両者は城の中に入った。中では夕餉ゆうげを作る炊煙が、各々の釜から吹き上がっている。

「ようやく戻られましたか」

 李植が二人を迎え入れた。そして諭すように

「将帥は夙夜忠勤し、兵を慰めなければなりません。あなたは一人のみを重用しておられる。これでは、兵の心が離れるのも時間の問題でしょうや」

と言った。丁原はわらって

「なに、俺は小さな一隊をひきいて居るのに過ぎない。その中にあっては、人心を得ることよりも、一人でも多くの壮士を作ったほうが良いだろうよ」

と言って、李植の肩を叩いた。

「帥よ、そんなことをしておれば、後々に響くと言っているのです」

 李植は眉を顰めながら言ったが、丁原が意に留めた様子は無かった。


 呂布は己に突き刺さる目線がわかっている。それは羨望とか、嫉妬とかいうものではなく、何か奇異なものを見る目である。堂々たる躰躯と丁原らの大きな声は、それを惹き付けるのに充分なものであった。もともと丁原らの下についていた兵は、呂布が度々たびたび人間離れした動きをしていたことも、行軍の最中に丁原に師従のようにして武芸を教え込まれていたことも知っていたから、余計に奇妙なものである、という視線で見ていた。

 呂布はこの当時、我が強かったというわけではない。当然、十歳にして我の強い人間であれば、その将来に禍根が在ることが憂慮されたであろうが、周りの人に恵まれていたからであろうか、呂布自身の持つ心根というものは、この時点では相当に素直なものであった。その部分も、丁原に大器になり得ると思わせた部分であったのかも知れない。

 丁原は、呂布を陋巷ろうこう一孺子いちじゅしに収めるのは非常に惜しいと思った。その気分を内に収めるのは難しいと思った丁原は、己の上司となっている人物に

「俺の配下には、優秀な人物がいる」

ということを言いふらした。そうなると、このことに興味を持ったその上司は

「試しに、その人を見せてほしい」

ということを丁原に言った。丁原はこの機を逃すまい、と思い、試しにその上司の前で己が呂布と騎射をしているところを見せたのである。

──なるほど、これは何とも筋が良い

 丁原は粗野とも称されるような、独行型の武官である。その上司ならば、そういった人を制御できるような、怜悧な判断ができる人物だったか、或いは丁原に似た人物であったのか。

 何れにせよ、呂布の持つ天賦の才というものは素人にも易々と分かるようなものであるから

──なぜ、こんな人間が野人として居るのか

ということは即座に思っただろう。

 ここでいう野人というのは、野蛮人ということではなく、在官でない者のことである。

 さらに、この人物の年齢を聞いたことでさらに驚いた。成人もしていないどころか、志学の年齢ですらないというのは衝撃的である。怜悧な人間であれば

──あまりに才が大きすぎる。これが膨満すれば過ぎたものになるぞ

と思っただろうし、根っからの武人であれば

──これを戦場に出せぬというのは勿体ない

と、思っただろう。

 いずれにせよ、孤児にしておくわけにはいかない。彼はどこかで丁重に扱うべし、という気持ちには一致していた。

 どこかに良い処はないか。名家に養子になる、ということはできないかもしれない。ならば

──いっそ、官衙に売り込めはしないか

ということを思った。九原はちょうど、五原郡の群治所がある。この六、七年前まで崔寔さいしょくという人物が勤めていたが、その人は跋扈将軍とも呼ばれた梁冀という人の属吏であったが為に禁錮刑にされている。したがって、この頃の五原郡の太守はその後任に当たっただろう。


 話は逸れるが、この崔寔という人は農業殖産というものを非常に重視した人でもあった。

「四民月令」

 という書がある。この書は四民というのは

のことであり、言ってみれば世間一般の人々のことである。

 そして月令というのは、一か年の十二の月それぞれに祭祀や礼儀などといったものを五行などの中華的文化、宗教思想を使って当てはめて作り上げられた標識である。

 その内容は多岐にわたるが、特に中国史に於いて重要視されるのは、当時の農業事情と紡績、加工技術が分かることである。当然、この当時においても、その内容はもう一篇、

「氾勝の書」

と並び立って重宝されていた。当時の信じられていた宗教的事実とはかけ離れた、科学的な農業所だったのである。

 また同時に、教育の嚮導書でもあり、祭祀儀礼の指南書でもあり、衛生を説いていたり。非常に多面的な内容の所ではあるが、原文は元代のあたりで散佚している。その代わり、唐代以降にこれを引用した分が多く、現代ではそれをあつめる形で書籍が発刊されている。

 さて、そういった書を書く人が自らが治める地域で

──しかも植物の繁茂が難しいであろう并州の北端で──

殊更ことさら農業や紡績業に力を入れない訳は無く、崔寔の赴任前後では、恐らくは発展の度合いが全く違ったものと思われる。農業の転換には五年、十年はかかるだろう。この年に大きな寇偸こうとうがあったのも、もしかしたら崔寔による産業の拡大が原因の一端としてあったのかもしれない。


 話を戻す。この呂布の壮健ぶりを見た上司は、すぐに報告を行った。曰く

──人に勝る壮健な男子が、野鄙やひに身を甘んじさせています

 こういった言葉で飾ってみたのである。

 果たして、この飾り言葉は嘘ではなかった。そのことに驚いた人はどれだけいたのだろうか。報告を受けた主も

──これを用いないのも勿体ない

と思って、愈々いよいよ官衙の吏人に

「彼は大器の素質があります。用いるように言上ごんじょうしたほうが良いです」

と、昂奮気味に話した。とは言っても、出自も判らないこのみなしごの身の上を安んぜようという奇特さを持った錚々そうそうたる人というのは、多くは居るものではない。結局、この場で衙にでも預かってもらう、ということは出来なかった。

「まったく、世知辛いもんだ」

 丁原は嘆息を吐いた。

 剛毅にして孝心が強いとか、五経に通じているという評判なら良かったかもしれないが、躰格に優れて敏捷であるという能力は、いうなれば個に帰属しすぎている能力であった。歳もいっていない内に其の膂力に己の評価を依存しているのであれば、それは暴のさきがけである──。

 官吏どもはそう思ったのだろう。己も粗略であることを理由に重んぜられたことがないから、呂布がどういった立場にいるのかをよく分かっていた。

──衙門の衛にでもなれれば、恵まれた方ではないか

 そんな風にも思う。

「素直ではありますが、外見でそれを知るのは難しいですからな」

 李植は丁原に言った。

「そうはいってもだな、後禍を懼れすぎて琦玉きぎょくに触れられんのか」

「琦玉を獲ったことを誇れば、だれから貶められるかもわかりません。それに、もしけることがあれば何を以ってあがなうのですか」

「おまえは学問をしてから辞句を並べることが巧くなったな」

 丁原は不快そうな顔をした。

──高くとまった奴は、俺たちに手を差し伸べようとはしない

 それは、丁原のこれまでの人生から得た実感でもある。

 この貌を見た李植はしかしてこの言葉に同調することをせず、ただひと言

「天祐はあるものです」

と言った。


 このとき、呂布に親近感を持って接した人がいる。名を樓益ろうえきという。

 この樓益は生来、粗忽蛮勇の人で、丁原下に属している人間ではあったが、そこにいる理由というのも丁原の戦いというものに惚れたからであった。そういった人間が、呂布の持つ雄偉さに見込みを付けないわけが無く

「俺と打ち合え」

と果し状でも突きつけるかのように呂布に申し出てきたのである。

 結果は、呂布の圧勝であった。終いには樓益も矛をかなぐり捨てて取っ組み合いになったが、腰腿が太いとはいえ六尺三寸程度の樓益と、八尺で虎臂を持つ呂布とでは寧ろ力の差は明白になった。

「ちくしょう、なんでこいつに負けなきゃならねえんだ」

 と捨て台詞を吐き、自分の持ってきた矛を拾い上げると、そそくさと自分の持ち場に戻っていった。突然始まった撃ち合いに周りは熱を発していたが、呂布自身は

──何だったんだ、あいつは

と、冷たい目を以って去っていく樓益の背中を見つめていた。

 翌朝になると、再び樓益が呂布のもとに来た。朝餉あさげの粥をかしいでいる間に、暇でも潰しに来たのかと呂布は思ったが、果たしてその通りだったようで、自らの口に草の一枚でも加えながら呂布の隣に座り込んだ。

「くそ。今回の戦は全く旨くねえ」

 樓益はそんなことをぼそりと言った。呂布は

──戦に旨いも不味いも有るものか

と思って無視をしていたが、樓益は言葉を止めず、こんなことを言った。

「せめて絹の一切れでもあればいいんだがな」

 呂布はすぐさま、この樓益の言っている言葉の意味に得心がいった。つまり、戦に乗じて偸盗ちゅうとうを働きたい、と思っているのだろう。呂布も一人で荒野を行っている間、皮裘ひきゅうを求めて其れを望んだことはあったが、それは自分の生命の危機をも感じていたからである。樓益のように己からぬすみを働きに行きたいというのは思ったことがない。

──だけど

 呂布の母は鮮卑だったことは知っている。父によって戦の最中にかどわかされた結果、自分が生まれたことも知っている。そう思うと

──これも戦なんだな

と納得せざるを得ない。

「お前、名前はなんだ」

 樓益が名を訪ねてきた。

「呂布だ」

「そうか、呂布か」

「おまえの名は」

「俺か。俺は樓義升ろうぎしょうだ」

「義升か」

 この時代、春秋戦国期に生まれた倫理概念の広がりは甚だしい。呂布くらいの生まれであっても

「義」

という言葉は聞いたこともあるし、意味も知っている。もちろん、樓とか升という言葉も、解る。

──随分大仰な名前の割には、考えていることはせせこましい

 そんなことを、呂布は名を聞いたときに思った。

 そんな呂布の心中を、樓益は知らない。それなのに、その声色から軽侮の心を感じ取ったのか

「おまえ、俺が馬鹿げているとでも思ったか」

と、棄てるように言った。

「馬鹿では無い。でも、名前に似合わない」

 呂布は正直だった。実を言えば、もっと大きなことでも言えないのかとも思っていたが、ここで樓益の言ったことを否定してしまえば己の父のやったことを、ひいては己の身上を否定することになってしまう。それを言葉としてしまうことは憚られた。

「名前に似合わないか」

 樓益はわらった。しかし呂布の目には、それがどうにも悲しそうに見える。彼我のどちらもが認めていることなのに、がえんじることができない。不思議な感覚が、二人の間にはあった。

「親につけてもらった名前に、似合うような人間になりたいと俺は思う」

 呂布はそう言った。樓益の言っていることを直接否定しない代わりに、己の思うところを吐露したのである。これは美辞麗句の類ではなく、本心であった。

 だが、樓益の反応は冷ややかであった。

「俺は、そうは思わないね」

「なんでですか」

「俺の親が、不義だからだ」

 呂布は樓益を知らない。だからこそかもしれない。その言葉の意味を、なんの忌憚もなく、聞いた。

「俺は四男坊だった。上の三人はそれぞれが恵まれていたのに、俺だけは見込みが無いと言って棄てた。俺に益という名をつけたのも、義升という名をつけたのもあいつらだってのに、結局、要らなくなったらこうさ。寄る辺が無くなって、徒党を組んで、暴れ回って、今はここにいる」

 呂布にはきょうだいが居ないから、その間にある確執とは無縁である。それ故に、この樓益の持っている暗い感情を知る術も無かったが、それでも

──親に棄てられるということも、あるのか

と思うしかなかった。

「呂布、お前も棄てられたのか」

 と言われた時、呂布の背中が寒くなった。呂布は誰かに捨てられたというわけではない。しかし、いま呂布は孤児である。果たして、呂布は誰に棄てられたのだろうか。父に棄てられたわけではない。母に棄てられたわけでもない。邑の中にいた誰に排撃されたわけでもなく、ただ寇掠に遭った中で、全てが消えてしまったのである。

 強いて言えば、呂布の場合は時代に棄てられ、この樓益は人に棄てられたのかもしれない。

 兎も角、呂布はこの問いかけに明確に答えることはできなかった。樓益はその呂布の様子を見て鼻哂し

「お前が俺のことを言えるのか」

と疑問符をつけた。人の過去をえぐると、自分の過去も抉られる。呂布自身にも思い出したくない過去が、それも直近にある。これ以上何も言うことができなかった代わりに、呂布は出来上がった粥を樓益の元に持っていった。


 呂布の貰い手の話に戻る。

 結局、官吏に引き立てられる事のなかった呂布は、丁原の下に寄宿することが適当だと思われた。丁原もそのつもりでいて、李植に

「呂布を連れて行くから、その分、先立つものが欲しい」

ということを告げていた。

「一人分なら、すぐに工面できましょう」

 李植は馬を一頭、呂布のために連れてきたが、そんな時、一人の男が丁原のもとに訪ねてきた。

「軍幕の中にまでやってくるとは、何者だ」

 と、丁原はいぶかしんだが、聞いてみると、どうやらこの地の商賈しょうこらしい。伝手を辿って、丁原の元にまで来たのだという。

「いち県吏の元に来るなんて、随分と奇妙なことをするじゃないか。名前はなんだ」

「わたくしは、張栄ちょうえいあざな伯皮はくひと言います」

 そう言いながら、この男はなふだを渡した。そこには確かに、

姓張名栄字伯皮 九原商賈人

と書かれている。確かに、と受け取った丁原は、この張栄という商賈に

「で、お前は何の用で来たんだ」

と問いかけた。張栄は落ち着いた様子で息のひとつも乱さずに

「将軍下におられる呂布という孤を、預からせていただきたいのです」

と言った。

「おお」

 丁原は思わず声を発した。丁原が上司に告げ口したことが巡り巡って市井の風聞となり、一人の商賈の耳に入って、こうして奇遇をもたらした。しかし、丁原としては憂いがある。

「お前は、呂布をどう使いたい」

 丁原は、呂布のことを武人として大成すると思っている。しかし、張栄がただの僕俾ぼくひとして呂布を使うようなことがあるのなら、それはあまりに天賦の才を無駄にしすぎる使い方である。もし、ここで

──わたしは彼を、商賈としたい

などとのたまおうものなら、すぐに追い返すところであったが、しかし張栄は

「呂布を将帥として見れるような人間としたいのです」

と言った。胸を撫で下ろした丁原は、呂布を連れていく準備をさせていた李植にその手を止めさせて、呂布を呼びに行かせた。

「よろしいのですか、帥」

「構わん。俺が連れていくよりも良いだろう」

 この言葉を聞いた李植はうなずいて、呂布の元に走った。

「そういえば、呂布の名はどこで聞いたのか」

「兵士たちが言っておられますよ。──呂布という偉丈夫が丁原という属吏の下にいるらしい──と、口々に言っています」

「やはり、目立つのかな。あいつは」

「幼少の君をって六尺之孤ろくせきのことは言いますが、八尺之孤なぞ、聞いたこともございません。抜群の人であることは疑いようがないでしょう」

「決して口外するなよ。官吏に目を付けられるのはいけない」

「勿論です。ここだけの話でございます」

 そういった話をして時を過ごしていると、丁原のもとに呂布を連れた李植が戻ってきた。

「帥。呂布を連れてきました。」

 呂布は何か自分が罪を犯したのかと、その覚えもないのに動揺した目をしていた。丁原はその呂布の緊張を解すように

「とりあえず、そこにでも座れ」

と言って、自分は地べたに腰を下ろした。呂布は

──立っていては頭が高い。

ということを反射的に思って、すぐにひざまずいた。

 張栄は驚いている。

──何をどう見て、孤というのか

 そう思ったに違いない。

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