一 黒風、さすらう

 村落にはみにくい真っ赤が舞い上がっていた。

 さながら、血風。鼻を突く、血の匂い。馴染みの、臭い。


 重苦しいくさりで繋がれて運ばれたそこでは、真っ赤に毀された者たちがゴロゴロしていた。屍たちは弱い者を守ろうとしていた善人たち。おんなやわらべの盾として殺されたものたち。


 見慣れた、光景。よくある、光景。


 いま、村人から雇われた用心棒に囲まれているのも。


 悪いのは、こちらだ。故に、囲まれる。なにしろ、俺をくさりに繋ぐ者たちは悪さしかやらない。


 強盗、凌辱、暴行、殺人……。

 皇国の権勢が衰退しているのを熟知していて、一帯の村々でやりたい放題しているクズども。


 おまけに、強いのはかよわい者たちをいたぶるときだけ。用心棒に遭遇したときにはすかさず俺を頼る。

 卑怯だが、狡猾。いかにも悪いあたまをかしこく使うところも。


 屍たちの、脇を進む。血の香の、中を。渋々。


 気は、進まない。露ほども。おのれのやりたいことではまったくないから。けれども、俺がきまって放たれるのはそういうところだ。


 クズから、叫ばれる。

「ゆけ、バケモノ! 敵を屠れ!」


 じゃらり。くさりを、解かれた。

 鞭を、打たれる。

 そんなのいまさら痛いともなんとも思えない。ただ、突っ立つ。


 敵を、見据えた。弱い者を、守る者を。


 まともな、顔だった。いつでも、そう。

 いのちを守りたい者たちはいつでもまともだ。金のため村々から雇われた人員たちだったが、それでも、乱暴するしか能のない俺たちに憤慨している。誇るべき、顔だろう。


 殺すのは、忍びない。いつでも。


 とはいえ、俺の中に反抗する気力などとっくになかった。


 俺は、繋がれた。いのちを、繋がれた。

 牢獄から出されて売られて買われた身だった。いまでも、檻の中だ。いのちをくさりで縛られていっかな動けない。


 但し、不思議のちからがはたらく〝呪縛〟ではない。

 たんなる、くさりだ。当然、ここから逃げ出す余力ならどこかにあったが、それでも、いかなる行動するつもりも湧き出さなかった。


 何物かが、千切れた。己が、胸の内で。


『ねえ、李鬼――』


 あの、かよわいむすめがいなくなってしまったとき。


 俺は、もう、空だった。内側には、何もない。何も、感じない。

 ただ、いのちがつづいているからつづけていくだけ。かんがえたくないからかんがえなかっただけ。もう、限りなく愚かだと自嘲することさえ忘失した。


 ああ、鬼娘きじょう。俺は、しんどい――……


「殺せ! バケモノ!」


 それでも、飛び出す。敵を、目掛けて。


 腕を、振るった。武器など、ない。

 いつでも、こぶしだ。


 身に負うちからを見舞っていのちをほうむる。禍々しい黒い風をまとった不思議のちからだ。二親から生まれたときから手にしていたのか、かんがえなくても制御できうるちからだった。


 いのちが、消し飛ぶ。それこそ、見る間に。

 俺は強い。強いから、死なない。いつでも、勝利する。


「ぎゃはは、やったぜ!」

「弱いなら、出んなよ! この雑魚!」


 うるさい、うるさい、うるさい。黙れ、クズども――


 いつでも、同じ。胸の奥のどこかにむなしい気持ちがあるのも。空っぽの胸だって何かしら痛むのを痛感して……。


 だが、逃げ出さないならこのままやるしかなかった。


 転戦して、転戦して、転戦して。また、転戦して――誰よりもただしい者たちをいたぶりつづけて。

 ただ、ただ、殺戮した。





◇◇◇◇◇





 オンボロ、廃墟。

 最前までおんなの叫び声がしたものだったが、日没したいまではすっかり途絶えてしまった。また、死んだか……。


「おい、バケモノ。飯だ。ほら、食え!」


 頭上、容赦なく降り掛かったのは残飯だとわかった。固まって動かない俺を睥睨して嗤うクズども。


「うわ、きたねえ」

「隅々まで、舐めろよ。餌なんて、他にねえ」

「あは、餌ってさ。ひっでえ」

「餌だろう? 俺は、食えねえ」

「んだそれ? やっぱり、ひっでえ。この、人でなし」

「てめえが、言うかよ。このクズ! ひゃはは!」


 笑い声が、遠ざかる。

 明らかに清々したみたいな毒々しい声だった。


 俺は、嘆息した。酷い、仕打ちだ。だんだん、酷くなる。囚われた始まりはけっしてこうではなかった。だが、変わった。


 ――いいから、死ね。早く、死ね。バケモノ。


 等と、胸の内で言われているのは気のせいではない。

 目が、言うのだ。おまえは存在するべきものではないはずだと。そりゃあ、狼藉するにはなにより丁度いい武器だったが、けっして存在していいものではないはずだと。


 ひいては、愚かしい者たちもそろそろ恐怖しているのだろう。


 俺を、飼うのに。使うのに。

 いのちが真っ赤になるのをさいさん目撃してきて、おのれがいずれはそうなる光景を想像しはじめた。


 クズの一団も当初よりだいぶん拡大してきており、そろそろ用心棒もそこまで難敵ではないようなら、俺の方が手を焼く存在ではないかと動揺しだした。


 では、殺される? 俺も、そのうち……?


 別に、悪くない。このまま継続させたい人生などどこにもないから。絶望きわめてみずから縊り殺すつもりはなくとも、抵抗するほどいのちに執着するこころもなかった。そんなのあるならやっぱりとっくに逃亡していた。


 だが、してない。

 だったら、ないのだ。執着など。


 ――とはいえ。


「……はあ、まったく」


 手を、伸ばして――うつわを、手にする。餌を、口に運ぶ。


 まだ、生はある。まだ、捨てない。

 いのちを継続したところでまったく意味なくても、ただ、制裁ではないかたちで死んではいけない気がして……。


 いのちを、繋ぐ。愚かしく。

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