星を堕として 水のほとりに

崑崙八仙 禰々

序 二人蟲毒

「ねえ、李鬼りき


 名を、呼ばれた。

 細やかなひかりもほとんど届かない闇の底で、積み上がった屍に囲まれた物寂しい闇の底で、とうとう動けずに横たわる彼女へと振り向く。艶のない長い髪に哀しみが込み上がってきた。


 ああ……。


 かよわい、声が響く。


「いよいよ、終わりね。他の何がどうでもふたりでいられてよかった。わたしは、よかった……それこそ永遠だったらもっとずっとよかった」


「…………、…………。…………、……――」


 ――何が。

 何が、いいのか。一体、何が……。


 何も、よくない。


 おたがい殺し殺されるしかなかった檻の中で、ただ、残されたいのちを殺すのをやめたというだけ。終わりの終わりにようやくやめたというだけ。


 たしかに、そこから寄り添いつづけた日々ではあったが、けっしていいことなどではあるはずなかった。

 そもそも、となりのむすめは死に掛かっているのだから。


 若い、むすめだ。


 おそらく、檻の外の空の下でまともな生活していたなら、姫君めかしたきれいなむすめだったのだろう。おかしなちからを得ないで生まれていたなら、幸福もたらすおとこと結婚していたのだろう。


 哀しくも、想像した。つたない、夢を。


 空の下でおとこと連れ合うむすめのすがたを。この、からだをあちこち毀されて横たわるむすめの、本当ならあるべき健やかで愛らしいすがたを。


 だが……もう、終わりだ。


 真実、終わりだ。

 いのちは、奪われる。何者かに――


「ごめんね。ごめんね。……ごめんね。ごめんね。あなたを、残す」


 むすめは何回でもむなしい繰り言を繰り返す。となりに座る俺にひたすらあやまりつづける。

 そうして、乞うのだ。何回でも。


「李鬼、おねがい」

 しつこく、何回でも。

「わたしを、糧にして」


 柔らかく、ほほえむ。死なんて、嘘の如く。


「あなたの、ちからに」


 俺は、返せない。何も……何ひとつ、返せない。

 おのれがこのいまどういう気持ちでいるのか、そういうことさえまったくわかってないから。ただ、耳にする。


 願い事をつづけるむすめの細くかよわい声を。消えゆく、声を。耳を塞ぎたかったくせしてそれさえできずに。

 ただ、ただ、耳にする。


「ねえ、李鬼……おねがい……おねがい……おねがい……おねがい……」

 

 何ひとつ叶わないおのれを殺したいほど呪いつづける。


「おねがい……」


 終わりが、来るまで。

 ただ、となりで。

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