二 となりの、幽霊

 本当なら恐るべき戦陣へと送られるいのちだった。

 そういう存在だとして鎖された檻の中で造られた。詰め込まれて殺し殺されてちからを凝集していく――あたまのいかれたお偉方のいかれたその〝実験〟。


 完成品が、俺だった。


 けれども、俺が送られたのは剣戟飛び交う戦陣ではなかった。


 背景など、知らない。

 実は、くだんの実験が成功しなかったせいかもしれない。我が身を失敗だったと判断したせいかもしれない。


 俺は、知らない。

 高邁な人々が俺如きに説明などするはずなかった。


 ただ、放られた。くさりに、縛られて。


 かくして、今現在だ。

 実験の産物は敵兵でもないいのちを殺戮している。


 来る日も、来る日も。終わりが来るまでそうだと確信してしまったほど。


 そう、人殺しの人生に劇的なことなどあるはずなかった。

 クズどもから犬の如きあつかいされても反抗せず、罪のない者たちを諦念するままいたぶりつづけて、ゴミみたいに死ぬのがオチだと確信してしまった。


 そういう、人生だと――。ところが、


「な、ん……?」


 あるとき、起こった。


 ある夕刻。

 愚かしい者たちが狼藉しているあいだのつかのま、赤色の直中でぼんやり突っ立つあいだのつかのま……俺は、気付いた。


 おのれのとなりが〝激変〟してしまっているのに。


 いま、淡雪めかした見知ったすがたがとなりにいるのに。


 長い髪が、揺らいだ。金に近い、茶髪。一房、結わえた――。刺繍きらめく細やかに華やかなころもをまとって、白い顔が俺の方を見上げてふんわり微笑している。死期とはちがって怪我一つない健やかなすがたで。


「あっ……」


 ――あの、むすめだ。


『ねえ、李鬼。……ごめんね』

 最後の最後でおたがい殺し殺されるのを諦念した、あの……。


 固まった。指先すら、動かない。

 まさしく、劇的。


 突っ立つ俺の横でにこにこしているきれいな鬼娘。


 だが、なぜ。

 何だ、これ。幻覚? あたまが、いかれた? 


 それとも、幽霊? 


 俺は、恨まれた? 祟られる? 

 たしかに、死ななかった俺を死ぬよう呪うのは当然ではある。最後の最後にやっぱり底なしの理不尽を抱くのは。人間なら、当然。


 いや。なんなら、裁くのか? 

 助かったいのちでいのちを奪うなど大罪だとして……今の俺は、最低だと。為に、身辺まとわりつづけて呪い殺すつもりでいるのか?


 彼女こそ我が身に制裁くらわすものだというのか?


 ああ、だったら、どんなに……。


 けれども、微笑している彼女には剣呑さは見当たらなかった。

 ただただ、ほほえむ。俺を、見つめて。


「鬼娘……」


 当惑した。

 何なのだ、これ。


 おまけに、こちらを見遣ったクズには果たして見えないみたいで。


「おい、バケモノ。手が、空かねえ。てめえは、檻に戻れ」


 等と、言われる。

 柔い髪が揺らめく彼女などさっぱり見えないみたいで……。当惑、しかない。無意味に、まごつく。


「ああ? どうした、バケモノ。うっぜえ。早く帰れ」


「…………、…………。…………、……――」


 いっさい返答できないから回れ右をするしかなかった。ほほえむむすめもどういうわけだか共に歩きはじめる。俺の、となりを。


 何なのだ。





◇◇◇◇◇





 起こった、劇的。


 とはいえ、むすめはいつでも存在しているわけではなかった。

 ふと、気付いたときにはいきなりすがたが存在している。朝も夕も、いつでも。そうして、俺の顔を見遣ってガキみたいににこにこしている。


 怒らない。嘆かない。喚かない。


 何も、言わない――そう。口を、利かない。


 何か。

 幽霊だったら何かしら伝えたい気持ちはないのか。


 幽霊……だと、俺は思う。

 崩れたり腐ったり異形めかしたところはなくとも、あそこでむすめが絶命したのはまちがいないから。


 元来、彼女には俺の如き不思議のちからが内在していて、おまけに、仕留めたいのちのちからも凝集してしまったため、濁世さまようすがたになるのもおかしくなかろう。


 ……そうだと、思う。

 故に、物悲しい。


 眠れない、魂が。いつでも蛮行ばかりの俺のとなりでただよう魂が。きれいなものなど創造できない俺のとなりの魂が。おそらく、生前にもいいことなど寸毫たりともなかったのに。死んでも、これ……。


 何を。

 何を、望むのか。この、むすめは。


 人間の機微に疎い俺はそれさえわかってやれない。


 ほほえむ、鬼娘。攻撃性は、ない。

 けれども、安眠できないほど何か思うところはあるのだろう。何かしらたしかに伝えたいこころがあるのだろう。


 恨みなり、怒りなり、なんなり――なんでも。


 とすると、死ねない。

 我が身は、死ねない……そう、思い至る。


 すなわち、いきおい諦念するままたやすく自死などできない。


 俺にしか見えない彼女だったら放るまま死ねない。

 解放するべき気持ちの一片すら読み取れなくとも、けっして落胆しないでとなりにいないといけない。


 ひいては、究極、となりの我が身が絶命するなら終わりの気がする。真実、終わりの。ああ、すがたを認識するものさえないとはそういうこと。


 完全なる、終わりだ――


 故に、死ねない。

 さまようむすめが納得しながら消え去るときまで。


 ……そういう、気がした。傲慢でも。

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