第1話 狐の穴

 古くから伝わる伝承の一つに『狐の穴』というものがある。



 神の使いである狐はその出入り口として穴を掘るという。多くは社殿の裏にあり、有り難いものとしてそれ自体が信仰の対象にされるとか。とすれば……




 「この穴も、なのか」




 違和感の正体としてすぐに行き当たったのは、山の斜面にぽっかりと空いたほら穴。

 大人一人が軽々と通れそうな大きさで、形は綺麗な正円。少なくとも自然の産物ではなさそうだった。



 どうも見た目には人工的な感じがあるが、人の手でこれを作るのには大した労力が必要だろう。思わず近くに寄って来てしまったが、見れば見るほど不思議である。

 良く観察すると内部は完全な暗闇に包まれている。どれほどの奥行きがあるのだろうか。




 「まさかこれが必要になるとはな」




 バックパックに入れていたサバイバルグッズの懐中電灯で中を照らすと、狐の穴というより洞窟のようだった。しかし、壁面は綺麗に研磨されていて、虫なんかは一匹も居ない。

 それが却って不気味だったが、蚊に刺されるよりはマシかと考え直した。



 ただ、生き物が居ないという訳では無いらしい。




 「……亡き骸では無いな」




 奥の方を照らすと、影でぐったりと伸びている小動物の姿が見当たった。健康には見えないが、細かな震えを見るに息は有るようだ。シルエットから分かったのは、そいつがこの山本来の生物相にそぐわない狐であるということだった。



 ペットとして飼われていたのが野生化していたのだろうか。俺が近づいても警戒心を示さない。




 「あっコラ!」




 硬い地面から移してやろうと手を伸ばしたら、なんと素行の悪いことか。俺の懐中電灯を盗んで逃げ出してしまった。慌てて追いかけるが、野生動物は流石に素早い。先程までの様子が嘘かのようだ。




そうこうしている内に……




 「あ」




 気づけば俺は外へ出てしまっていた。

 この穴が貫通していたのは予想外だった。しかし、暗いトンネルを安全に通って帰るためにも、今はアレを取り戻さねば。



 狐の穴の内部(?)にも木々が生い茂り、鎮守の森のような清浄な空気が漂っていたが、どこか外国に居るような風土の違いが感じられた。目を凝らして木々を眺めると、その全てが鎮守の森には生えていない針葉樹なのだ。

 ———同じ山に繁る森でも植生は違う、なんてのはよくある話だが、これはレアケースじゃないだろうか?



 森の中で歩いていると、兎を追いかけて不思議の国に迷い込んだアリスのような気分になる。

 そうしてしばらく移動したところで、俺は足を止めた。……アイツだ。エキノコックス予防に手袋を着けた俺は、じりじりと近づく。




 「さっきは良くもっ———」




✿❀❧✿❀❧✿❀❧✿❀❧✿❀❧✿❀





 「長、いかがなされますか」




 「神託を待て。かようなことは前例がない」




 「はっ」




 部族の神域とされるヘルヴァンの森。普段聖地として厳かに佇むその場所は、異様な空気に包まれている。そしてその原因は、火を見るよりも明らかであった。




 「……彼の者は、未だ起き上がらないのか」




 神霊の棲まうとされる泉。そこに、黒い瞳と髪を持ち、巫師のような格好をした青年が溺れていたと言う。長と呼ばれた男は、その前代未聞の報告に瞼を閉じて頭を悩ませていた。

 幸い、見張り役の村民が直ぐに引き上げたことで目立った怪我も無く、呼吸も続いているが、中々目を覚まさない。集落の者とも思えず、言葉が通じるかどうか。

 仮に意思疎通が図れたところで、扱いに困るというのが彼らの本心であった。




 「異郷の者か、妖か、或いは……」




 「……長! 長! 伝言です! 彼の者が目を覚ましたと! 我らの言葉に応えたと言います!」




 「何、本当か! ……彼の者は、何と?」




 「はい、伝言によりますと———」




✿❀❧✿❀❧✿❀❧✿❀❧✿❀❧✿❀




 「あーイテテ……」




 散らばった荷物を取りまとめ、俺はヨロヨロと起き上がる。結局、あのドロボウ狐には逃げられてしまった。




 「まさか狐にドロップキックをカマされるとは……全く、酷い目に遭った」




 世の中不思議なこともあるものだ。しかし、ここで油を売ってる場合では無い。ウカウカしてると本当に帰れなくなる。




 「おーい」




 「携帯はあるから万一の事があっても……うわ、圏外かよ」




 「おーい」




 「ライト機能じゃ懐中電灯並の光量は出せないし、こいつは使えないな」




 「……おーい」




 「っていうかここ、案内標識も無いのか……今どき田舎にも一つはあるってのに、不親切な」




 「おい、聞いているのか?」




 突如現れたそいつを見て、俺は目が点になった。




 「……ば、化け狐!?」




 「うーん、狐じゃないんだがな。それよりキミ、ボクの姿が見えるのか?」




 不遜な態度で話しかけて来たそいつは、一見すると狐のようだが、尻尾が九又に別れている。……伝説上の霊獣、九尾の狐と瓜二つであった。




 「なるほど、なるほど。服装を見るに、巫師のようだな。なら丁度良い。」




 硬直した俺を見た狐(?)は、そう言うと九つある尻尾の内の一本で俺の体を持ち上げ、森の中を駆け出した。小動物のような見た目とは裏腹に、力は俺よりも強いらしい。




 「おい待て! 俺をどこに連れて行く気だ!?」




 「ボクが巣にしている泉だ。」




 おかしなことは山ほどあった。しかし、そんなことを尋ねる余裕は無かったのだ。




 「最近、霊力が弱まっているせいか水の出が悪くてね。キミ、巫師なんだろう? どうにかしてくれないか」




 「れ、霊力……?」




 突然飛び出たファンタジーな単語に俺は戸惑った。




 「つまるところ、祈祷をして欲しいのさ」




 走りながら会話をする内に、拓けた場所へ出た。しかし、その先に道は続いてない。




 「お、おい……」




 「ん、何だ」




 「何だって、この先は崖だぞ!?」




 「崖を越えた先、ちょうど下に泉があるんだ。巫師なら神足通ぐらい使えるだろ。だから突っ込む」




 「突っ込む……!?」




 冗談ではない。俺は神職だ。神足通は仏教の概念だし、仮に仏教徒の僧侶だとしてこんなこと言われたら普通にキレていい。




 「って考えてる間に!?」




 「さあ巫師くん! 今すぐ神足通を———」




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 「い、生きてる……」




 目が覚めると、俺は天幕の中で、藁で出来たしとねのようなものに寝かせられていた。崖に突っ込んだ辺りから記憶が無いが、ここはどこだろうか。




 「なんだキミ。巫師のくせに神足通も使えないのか」




 考えていると、天幕の隅で狐(?)がふんぞり返っていた。

……ハッ! そうだ、俺はこいつのせいであんな目に……。




 「お前、何してくれ———!」




 「静かに。見回りが来ると面倒だ。今の状況を説明するから黙っててくれ」




 俺が渋々口を紡ぐと、狐(?)は偉そうな態度のまま口を開いた。




 「今、ボクたちはヘルヴァンの森という場所に居る」




 「ヘ、ヘルヴァン?」




 なんだか日本離れした地名だ。というか、渚町にそんな名前の森があるなんて聞いたことがない。

 仮にこいつの言葉を信じるとすれば、俺はあのトンネルをくぐった瞬間、日本ではないどこかへワープしたなんて、SFみたいな出来事を……




 「黙っててくれと言ったろ? ……ここに住む者の言葉で、守護神という意味だ。そしてその守護神がボク……その顔、絶対信じてないだろ」




 信じるも何も、頭が混乱して訳が分からない。

 そんな俺をよそに、狐——もとい、守護神は「ともかく」と話を続けた。




「もうすぐ見回りが来るから、応対をしてくれ。キミは恐らく異邦人だろうから、ボクが通事の術を掛ける。彼らにボクの姿は見れないし、声も聞き取れないから安心しろ。影で適当にアドバイスしてやる」




「ハァ!? 何言って———」




『おい、今声がしなかったか?』




『気のせいだろ』




「だから黙っててくれと……。まぁいい。応対、頼んだぞー」




 呑気な守護神をよそに、俺はかつて無いほど冷や汗を流していた。

 天幕の外から聞こえた声。あれは間違いなく日本語ではない。それどころか、地球上の言語とすら思えなかった。例えるなら、狐の鳴き声だろうか。



 しかし、今の俺にはその意味するところが明確に伝わった。なんなら、その言語で会話すら可能に思えた。

 まるで、元から




『いいや、絶対ここから聞こえ、て———!?』




 瞬間、俺はと目が合った。

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