第14話 嵐の前
深層への侵入禁止令。
その絶対的な通達はケージ・シティから活気を奪い、代わりに澱んだような焦燥感を蔓延させていた。ダイバーズ・クレセントの酒場は、昼間からやけ酒を煽るダイバーで溢れかえっていた。
浅層であればダンジョンへ行くことはできる。しかし、今更そんな場所の探索を配信してもまったくカネにならないどころか人気が落ちるであろう中堅ダイバーや、ダンジョンの異常事態に対応できるわけもない新人ダイバーが潜るはずもない。
ごく一部のダイバーを除き誰もが、進むことも戻ることもできない閉塞感に苛まれている。特にリヒトはマーカーを打った場所が最悪だった。四層手前。また一からすべてを攻略してあそこまでいくのかと自問すれば、それだけはあり得ないと言えた。
アビス・コーポレーションから派遣された、一切の感情が見られないガーディアンが治安維持に当たっているからか大きな事件は起きていないが、その威圧感もまたダイバーたちの神経を逆なでする。
あちこちで衝突や小競り合いが起き、いつ火がついてもおかしくない一触即発の雰囲気に街全体が覆われつつあった。
リヒトもまた、陰鬱な雰囲気を打破しようと一度外に出てみたのだがこれほどまで街にダイバーがいたのか、と驚くほどに人々で溢れ、そしてよりひどい空気に当てられたことで自室の方がマシだったと、さっさと引き返すことになった。
とはいえ、自室にいてもできることはない。スキルを磨こうにも、相手がいない。配信をしなければ、視聴者は水物のように離れていく。
プライベート配信という手もあるが、戦うこと以外何もできないリヒトがこの全く情報がない異常事態を配信して何になるというのだろう。
今はただ待つしかできない。しかし、日に日に自分の力が減退していくような感覚。スキルの根源を視聴者に依存するリヒトにとっては、一般的なダイバーよりもはるかに死に直結する問題と言えた。
「アビス・コーポレーションからの連絡は、まだ来ないのか……」
殺風景な自室の空気がやけに重い。ログを見返したり、ECを消費することでできる娯楽に手を出してみたが、長続きしない。情報が与えられないまま、この状態が続けばどうなってしまうのか、その恐怖に押しつぶされそうな感覚が支配する。
(あとは……)
他に暇つぶし――気を散らすことできるものがないかと考え、リヒトはふと思いついた。
(自分のログを、見返そう)
直近のログであれば、それこそ夢に見るほど見返し、ミスや良かった部分などを徹底的に洗い出している。だが、今回のような『未知の事態』においては、最近のデータなど何の役にも立たない。
(なら、原点はどうだ……?)
全てが始まった、あの日。ダイバーとして初めてダンジョンに立ち、初めてスキルを取得し、初めてVEXと遭遇した、あの配信。
あの時の自分は、あまりに無知で、無力だった。あの時の気分を思い出そう、そう思ったのだ。
リリックがリヒトの初ダイブのログを映し出す。久しぶりに見る過去の自分はへっぴり腰で声が上ずっており、気恥ずかしさと若干の懐かしさで思わず笑ってしまう。
(このとき、初めてのスキルが発動したんだよな)
無様にもゴブリンに殺されそうになり、その直後の逆転劇。一瞬チャンネル登録者は増えたものの、結局配信終了までには数人――6人だったか、に減ってしまったのだ。
その時のフォロワーも、今や一人を除いて残っていない。
――プロメテウス。
例の救助事件でリヒトに攻略法を教えてくれただけでなく、スキル発動の呼び水になってくれた、命の恩人。
だが、彼がまともなコメントをくれたのは例の一件だけでそれ以降は沈黙している。
他のダイバーのログには、今もたまにコメントをしている事が確認できる。なのに、リヒトに対しては常に視聴者には含まれているものの、一切の反応がなくなってしまった。あれからピンチは幾度もあったにもかかわらず、だ。
誰もが「botだ」と噂するアカウントだが、あの時の、まるで神の指先のように正確だった指示。あれが、ただの機械的なプログラムだったとはリヒトにはどうしても思えなかった。
(一体、何者だったんだろう……)
リヒトは、小さく頭を振った。考えても仕方のないことだ。正体不明の支援者のことを思うより、今は目の前の現実に集中しなければならない。
思ったよりも、自身の初ログ確認は気晴らしにはなった。現状を打破する策は見つからなかったが、あの頃の無知に比べれば今は遥かにマシだ。ログで予習できなくても、今まで培ってきた努力が、経験値がある。
ただ何か、不吉なものが迫ってきている。街の空気が違う。ダイバーたちの会話から軽口が消え、誰もが武具の手入れに没頭している。酒場の喧騒すら、どこか切羽詰まった響きを帯びていた。嵐の前の、不気味な静けさ。誰もがそれを肌で感じていたからこそ、些細なことで火花を散らした。街に溢れるダイバーたちも、それに勘づいているから神経が逆だっているのだ。
彼は過去のログを閉じると、改めて自室の窓からゲートを見据えた。
嵐が、すぐそこまで来ている。
◇
ダンジョンにダイブできなくなって二日目の夜。
浅い眠りに落ちていたリヒトは、オービターが発する控えめなアラート音で目を覚ました。
「情報、来たんだね?」
『A.R.I.S.に投影します』
リヒトの視界に、アビス社のロゴが入った、公式通達のウィンドウが現れる。
リリックには公式情報が入ったらすぐに知らせてくれ、と言っていたので、実行してくれたのだろう。
最初に目に飛び込んできたのは、『イグレス・ビーコンの臨時支給について』という項目だった。
このイグレス・ビーコンはざっと説明を見る限り、現在設置している転移マーカーとは別で使用できる特殊な転移マーカー、という話だ。
「……助かった」
思わず安堵の声が漏れる。これなら、また一から潜り直す必要はない。緊急事態が解除されれば、自身が最後にマーカーを埋め込んだあの場所――忘却の迷宮の先に戻れるのだ。
次に彼は、今回の事態の原因についての公式見解に目を通す。
(原因は……やはり、イレギュラーの増加か)
リヒトは妙な納得感を覚える。自分自身が、その異常な増加率を肌で感じていたからだ。
だが安堵と納得は、次の項目を読んだ瞬間に驚愕へと変わった。
『――本日より三日間、ダイバーランクB未満の者のダンジョンへの侵入を全面的に禁止する』
「はあ!? なんでだよ!」
思わず声が大きくなる。現在のリヒトのランクは、番人を倒したことによりC+で止まっている。次の層まで行けていたのならば、間違いなくBランクには上がれたはずだった。あと一歩、本当にあと一歩のところで、足止めを食らった形だ。
『リヒト。まだ続きがあります』
リリックに促され、リヒトは通達の最後まで目を通す。そして、そこに書かれていた言葉に、彼は息を呑んだ。
『該当ダイバーは、三日後、指定された防衛区域にて待機。状況に応じて、ダンジョン内より出現する脅威の迎撃を命ずる』
そして、その脅威の正体を示す言葉が、リヒトの目に焼き付いた。
――『局所的スタンピード』の発生予測について――
『16年前に発生したアビス・カタストロフとは異なり、その規模、性質は限定的であると予測されるが、万全の警戒態勢を要する』
リヒトは、孤児院で何度も繰り返し見させられた、あの地獄のようなカタストロフの記録映像を思い出していた。
◇
翌朝から、ダイバーズ・クレセントは様変わりしていた。
普段は姿を見せないアビス社の職員たちが、拡声器でダイバーたちに指示を飛ばしている。リヒトもまた、他のCランク以下のダイバーたちに混じり、ゲート前の広場でバリケードを築くための肉体労働に従事させられていた。
「う、重っ……!」
たった一つの土嚢が、ずしりと腕にのしかかる。ダンジョン内であれば、アビスの加護で軽々と持ち上げられるはずの重さ。地上では、自分もただの非力な少年でしかないという事実を、汗だくになりながら痛感していた。
リヒト自身は過去のスタンピードを知らない。だが、日々モンスターと戦う今となってはあれが地上に出てきたらどれほどの災厄が起こるか、まざまざと想像ができるほどに実感を伴っている。きっと他のダイバーも同じだろう。
臨時の作業員となったダイバーたちは文句を言いながら物資を運び、お粗末な工作スキルで板を打ち付ける。それでも手を一切休めないのはほぼ全員がスラム出身であるからだろうか。
もし、VEXがこの街に溢れ出せば、最初に破壊されるのは壁際に広がるスラム・リングだ。それは、自分たちが生まれ育ったあの街なのだ。
配信もできず、ただ肉体を酷使するだけの日々。だが、リヒトに不満はない。これは故郷を守るための戦いなのだと、自分に言い聞かせて時折スラムの方角を見つめていた。
そして作業を始めて2日目の夕方には、ダンジョンのゲートとスラムを繋ぐ道に歪ながらもそれぞれの思いの詰まったバリケードが完成していた。
「あとは武器と物資、か……」
夜、自室にて。ストアを見ながらリヒトは思案する。
この緊急時に対してアビス社からはダイバー向けに無償でコーポレート・ギアを配布したり、または大幅な割引を行っている。
これから始まるであろう防衛戦に対し、装備の拙い新人の死亡率を少しでも下げようということなのだろうか。
ざっとカタログを見てみたが、今のリヒトにとってめぼしいものはない。どれも性能としてはイマイチである。それもあくまで駆け出しの新人用なのだから仕方のないことなのだが。
通常の商品に目を移す。ダイバーズ・ランクが上がりアンロックされたストアには、臨時カタログとは比較できないほど様々な武具が並んでいる。
現在の手持ちはおよそ一億二百万EC。とてつもない数字だ。
だが、こうして上級者向けのアイテムを見ているとそのどれもが数千万後半、いや、数億というものまである。
これらのアイテムに本当にそれだけの価値があるのか。――それは確実に、ある。
トップダイバーが使っている武器は、彼らの凄まじい威力のスキルに耐えられるほどの強靭さを持ち、そしてそのスキルを使わなければ倒せないようなVEXとの戦闘で耐え抜くだけの頑丈さが必要なのだ。
中には一度の戦闘で消耗した武器は捨てるスタイルのダイバーすらいるが、さすがにそこまではできないな、とリヒトは思う。
コーポレート・ギアではなくアーティファクト――極めて稀にVEXが落とす、強力な武器――であれば、トップダイバーの要望に応えられるのだろうが、それを持つダイバーは全世界でも50人に満たない。
稀にオークションにかけられているのを見たことがあるが、最低落札価格であっても記憶に新しい異形のボスを数体倒したところでまったく足りないほどの値段だ。頭がくらくらする。
それでも。
「命の値段には代えられないよな……」
あの、ブースト・リジェネの効果は凄まじかった。番人との戦いで脇腹を抉られた激痛と、あの薬によって傷が塞がっていく奇跡的な感覚がフラッシュバックする。中々高価ではあるが、今なら数本買えないこともない。
プロテクターにしてもそうだ。新調したばかりではあるが、バルトのプロテクターが壊れたとき、剣が欠けた時。あのときもっと良いものに代えていたらと考えるのは、これまで何度もあった。
こういった武具も予備を用意しておくべきなのだろうか?
しばらく考え込んだリヒトは、リリックに指示を出した。
◇
三日間の準備期間が終わり、決戦の朝が来た。
ダイバーたちは、指定された持ち場へと、静かに移動を開始する。その雰囲気は、いつもの功名心に逸るダイバーたちのそれとは全く違っていた。
リヒトは、ゲートを潜る直前、ケージ・シティの全景を目に焼き付けた。
(B以上のトップダイバー――シリウスたちは、今もダンジョンの奥で戦っているんだろうか……)
トップダイバーたちが深層で強力な個体を間引けば、スタンピードの勢いは弱まる。それが、アビス社が提示した作戦の概要であり、誰もが信じている希望だった。
(本当に、そうだろうか……)
だが、リヒトの心には、拭いきれない疑念が渦巻いていた。
ゼノを殺し、バルトを再起不能にした、あの『イレギュラー』や『レガトゥス・タイプ』。あの、通常のVEXとはまた違う不気味さをもった白い肌の怪物。
彼らは、これまで戦ってきた化け物とは、明らかに何かが違う。ただ強いだけではない。もっと根本的に異質な、別の法則で動いているような……。
リヒトは、その疑念を胸にしまい込み、深く息を吸った。
これから始まるのは、ただのVEX討伐ではない。この世界の常識そのものが、覆される戦いになるのかもしれない。
そんな予感を胸に、彼は他のダイバーたちが待つ防衛線へと足を踏み出した。
次の更新予定
NEXUS THEORIA -視聴者数を力に変えるダンジョン攻略- 亞酩仙介 @CaTiSiO5
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