第38話 メイドと姫の密約

 翌朝。魔王領の冷たい朝露が石造りの廃村を濡らしていた。

 レイリアは小屋の隅で、一睡もできず重い頭を抱えていた。昨夜目撃した、真っ赤なドレスを翻して魔族に命令を下すゼルリナの姿――。その光景が網膜に焼き付いて離れない。


(ゼルリナの目的は何……? なぜ魔族と繋がっているの? 勇者であるイアン様の命を狙っているのかしら? ……いいえ、それにしては今まで隙はいくらでもあったはずよ。なんなら……本気でライナス様を落とそうとしているようにしか見えないけれど……)


 考えれば考えるほど、パズルのピースが噛み合わない。誰かに相談すべきだが、相手を選ばなければならない。


(ライナス様は……論外だわ。相談した瞬間に「なんだって!? ゼルリナ、それは本当か!」と本人にぶちまけてしまうのが目に見えている。そうなれば白を切られるか、逆上して何をされるかわからないわ。……イアン様は? 話は聞いてくれるでしょうけれど、あの人は魔族への復讐以外に興味がないと言いかねないわ。最悪、その場で彼女を斬り捨てようとしてパーティが崩壊するリスクもある……)


​ 消去法で残ったのは、ただ一人だった。いや、そもそも考えるまでもなかったのかもしれない。相談できる相手なんて、最初から一人しかいなかったのだと、レイリアは深くため息をついた。


「レイリア姫、顔色が優れませんね。朝食の準備のために近くの川へ水を汲みに行きますが、少し歩かれますか?」


 スージーが、いつものようにあまり感情の乗らない声で声をかけてきた。レイリアはこれ幸いと立ち上がった。


「ええ……。私も手伝いますわ、スージー」


 集落から少し離れた川辺。水のせせらぎが周囲の音を消してくれるこの場所で、レイリアは周囲を警戒しながら、昨夜の出来事をすべてスージーに打ち明けた。


 ゼルリナが霧の中で外に出たこと、魔族が彼女を「ゼルリナ様」と呼び跪いたこと、そして彼女が魔族に「包囲を解きなさい」と命じたこと。


 スージーは水を汲む手を休めることなく、黙って最後までレイリアの話を聞いていた。話し終えたレイリアが、(信じてもらえるかしら……)、と不安げにスージーを見つめると、スージーは静かに立ち上がった。


「……確かに、怪しいと思うところはありますね」


 スージーは驚く様子もなく、淡々と同意した。


「昨夜、私も見張りの最中に不自然な眠気に襲われました。癒しの魔力を持つレイリア姫が起きていたのは、ゼルリナ姫にとって計算外だったのでしょう。魔族が何もせず包囲を解いた理由も、それで説明がつきます」

「今すぐライナス様やイアン様に伝えるべきでしょうか?」

「いえ。今それを言ったところで、ライナス様は『ゼルリナを疑うなどあり得ない!』と聞く耳を持たないでしょう。それどころかライナス様は、『仲間を疑うなんて』と貴女を責める恐れもあります。イアン様も……確証がなければ動かないかもしれません」


 スージーの冷静な分析に、レイリアは唇を噛んだ。


「では、どうすれば……」

「ここは私達二人で、徹底的にあの方を監視するに留めましょう」


 スージーはバケツに水を汲みながら、レイリアの目を見つめた。


「レイリア姫は今まで通り、あの方を毛嫌いする『嫉妬深い元婚約者』を演じ続けてください。あの方が油断して尻尾を出すまで、私は気取られないよう行動を監視します。……いいですね?」


 その言葉に、レイリアは深く頷いた。一人では抱えきれないような不安を、頼りになるスージーと共有できたことに安堵するレイリア。このことでレイリアとスージー、二人の間に、これまでにない奇妙な連帯感が生まれた。


「ねぇ、スージー。もしこのままライナス様が魔王を倒せば、私はどうなるのかしら……? ライナス様がゼルリナ姫を真実の愛の相手として結婚してしまえば……そうなれば、私は……」


 そこまで言って、レイリアは下を向いてしまった。


「レイリア姫。私はライナス様の従者です」


 そう答えるスージーの横顔をレイリアはハッとした顔で見た。


「そ、そうですね。困らせるようなことを言って申し訳ありませんでした」


 慌てて前言を撤回しようとするレイリアの言葉を遮るように、スージーは言葉を続ける。


「私がゼイラム王より賜った使命は、ライナス様とレイリア姫、あなた方二人の安全を守ること……。忘れないでください。私は貴女の味方でもあるのですよ」


 そう言ってスージーはレイリアに微笑みかけた。レイリアはスージーの滅多に見せない優しい笑顔に、なぜだか涙が溢れて止まらなくなってしまった。


「えぇ……えぇ、そうだったわね。スージー。私は貴女を誰よりも信頼していますわ」


 スージーはレイリアのキラキラと輝く金色の髪を、彼女の涙が止まるまで、優しく愛でるように撫でるのだった。



 レイリアとスージーの二人が小屋へ戻ると、焚き火のそばでミスリル剣を磨いていたイアンが、ふと顔を上げた。

 イアンは、レイリアのわずかに赤い目元と、二人の間に流れる、これまでになかった、まるで二人だけの秘密を共有したかのような、親密な連帯感を一瞬で捉えた。


​(……何かあったな)


​ イアンはそう確信したが、あえて何も問わず、ただ静かに視線を剣に戻した。彼には、余計な詮索よりも、今は魔王戦に向けて、ミスリル剣の刃を研ぎ澄ませることの方が重要だったからだ。しかし、イアンの心の隅には、レイリアが見せた「変化」への小さな引っかかりが残った。


 同じく焚き火にあたっていたライナスも、二人が戻ってきたことに気が付いた。


「レイリア! 昨夜はよく眠れたか? 魔王領の夜は冷えるから心配していたんだぞ!」


 レイリアは、何か吹っ切れたようなスッキリとした顔で、ライナスに明るく返事を返す。


「ええ。おかげさまで、よく眠れましたわ。ライナス様もよく眠れましたか?」


 内心では、先日までの蔑むような顔が向けられるかもしれないと心配していたライナスは、その意外な反応に驚いた。


「あ、ああ! 私もしっかり眠れたぞ!」


(よし! ゼルリナの髪を焦がしはしたが、やはり昨日の多勢に無勢な中での私の頑張りを見直してくれたんだな!)


 見当違いな思いを胸に、ライナスは嬉しそうにパッと顔を輝かせていた。


 その様子を、馬車の影からゼルリナがじっと見つめていた。しかし、明るく振る舞うレイリアと、無表情で朝食を作るスージーの様子に、ゼルリナはまだ「気づかれた」とは思っていないようだった。

 ゼルリナは満足そうに微笑むと、ライナスの元へと駆け寄っていく。


「ライナス様ぁ! わたくし、昨夜はライナス様が守ってくださる夢を見て、とっても幸せでしたわ!」


 その光景を、レイリアとスージーは冷めた目で見つめ合った。


 敵は魔王城にいるのではない。自分たちのすぐ隣にいるのかも知れない。

 レイリアとスージーによる、静かな逆襲が始まろうとしていた。

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