第34話 純情王子とヒロインと

 作戦会議の翌朝、砦内の宿舎に宿泊した一行は、朝食を済ませた後、スージーが皆を昨日の会議室に招集した。今朝はゼルリナも一緒に同席していた。


 皆が集まったことを確認すると、スージーが話し始めた。


「先日のディロン騎士団長からの話にもありました通り、ここから先は本格的な魔王領となります。そして、その先の『深淵の渓谷』を越えれば、補給は絶望的と考えた方が良いでしょう。そのため、今後の戦闘に備え、必要な物資や食料は、このエンデリオンにて揃える必要があります」


 スージーの話にレイリアが頷く。


「ごもっともですわ、スージー。このエンデリオンで、できる限りの準備を整えるのが賢明でしょう」


 そう言うと、​レイリアはイアンとライナスに目を向けた。


「ライナス様、イアン様。旅の準備は私とスージーで行おうと思います。その間、お二方は騎士団長であるディロン様の訓練を受けられるのはどうでしょう? 魔王との戦いに備えて、戦力を鍛えるのも、とても大事だと思いますので」

​「それは良い案だ、レイリア!」


 ライナスは力強く返した。イアンは少し嫌そうな顔をするが、レイリアの「あなたがおバカ王子の面倒を見てください」と言わんばかりの眼光に気付き、しぶしぶ頷くのだった。


「お話はもう終わったと言うことでよろしいかしら?」


 終始退屈そうにしていたゼルリナはそう言うと、ライナスにぴたりと寄り添い、愛らしい微笑みを浮かべる。


​「ライナス様、わたくし、魔王との戦いが近いと思うと不安でいっぱいですわ。どうか、わたくしのために強くなって、この戦いを終えてくださいね」


 ​ライナスはゼルリナの手を取り、熱烈に誓う。


「ああ、ゼルリナ! 私の愛と剣は、すべて君のためにある! 私が強くなって、君の不安を取り除いて見せよう! それこそが、騎士王の血を引く者たる私の使命だ!」


​​ イアンは、自分の隣で繰り広げられる茶番に対し、無言で視線を逸らす。イアンから見れば、ライナスが熱狂的に愛を捧げるゼルリナは、ただの夢見がちな高慢ちきな姫君だ。ライナスにしても、世間知らずな上に、世界は自分のために存在していると信じていそうな大バカ王子だ。


(お互い何がそんなにいいんだろう?)


 ……そこまで考えたところで、考えようによってはお似合いなのかもしれないと思い直し、ため息をつくのだった。



 ​その日の午後。エンデリオンの砦内の石畳の訓練場では、ライナスとイアンがディロンとの猛特訓に励んでいた。ディロンは二人の剣技の欠点を的確に指摘し、過酷なメニューを課す。


「ライナス様、その炎の一撃は確かに強力ですが、一撃に集中しすぎて隙が生まれます! 勇者殿は、剣の扱いは完璧ですが、剣筋が正直すぎて動きが読みやすくなっています!」


 ディロンは二人の戦い方を分析し、的確なアドバイスを与えていた。ライナスの剣は情熱の炎を纏い、広い範囲の制圧には向いているかもしれないが、どこか粗い。対して、イアンの剣は氷のように冷たく、一寸の無駄もなく敵の急所を突く、効率に特化した剣技だった。


 ​休憩の合間、二人は冷たい井戸水を飲みながら、並んで座った。


​「ディロンの訓練は、さすが我が国の騎士団長だけあってキツいな! まぁスージーの地獄の特訓よりはマシだが……」


 ライナスは何かを思い出したのかブルッと震えた。


「だが、こうやって誰かと一緒に鍛錬するのも楽しいものだな! 城では一緒に励んでくれる相手はいなかったのでな」


 汗を拭きながら​楽しそうに騙るライナスの横で、イアンは静かに水を飲んでいたが、意を決したようにライナスに問いかけた。


​「ライナス。お前は、本気でゼルリナ姫を真実の愛の相手だと考えてるのか?」


 ​ライナスの顔が一瞬引き締まった後、彼はイアンの目を真っ直ぐに見つめた。


​「イアン。ゼルリナは、私の探し求めてきた姫君だ。彼女こそが、私が追い求めてきた『真実の愛』の証拠だ。そこに疑いの余地などない」


 ​ライナスは、いつもの芝居がかった口調ではなく、純粋な心からの確信を込めて語った。


​「私が崇拝する騎士王の物語。それは、愛する者を守る大切さを教えるためにある。騎士王の血を引く者として、囚われの姫である彼女を救うこと、それが私の運命だと信じている」


 ​イアンは目を細めた。物語を心酔するライナスの言葉は現実離れしているが、そこに嘘や打算がないことだけは理解できた。その偽りのない心根に、イアンはどこか心を動かされていた。


(こいつはホントに真っ直ぐなだけなんだろうな……バカなことには変わりはないが)


 イアンの心の中で、ライナスに対する「物語脳のバカ」という評価に、ほんのわずかではあるが「背中を預けられる仲間」としての信頼が加わった。


​「まあ、好きにすればいい。俺には関係ないことだしな」


 イアンは短く答えた。


「おお! わかってくれたか! 時にイアンよ。前から気になっていたのだが、お前はレイリアの言うことはやけに素直に聞いているように思える。もしやレイリアのことを好いているのか?」

「ば、バカか!? 俺は別に……。前に助けてもらった恩があるから言うことを聞いてやってるだけだ! 変な勘違いするんじゃねぇよ!」


 ライナスからの予想外な質問に、イアンが珍しく顔を真っ赤にして反論する。


「ははは! イアンよ、お前でも可愛い反応をするのだな! とりあえずはそういうことにしておいてやるぞ」


 ​ライナスとイアンの男同士の会話は、束の間の他愛のない内容で、二人の間に少しだが確かな連帯感を生んだ。


「さあさあ、楽しそうなところ申し訳ありませんが、そろそろ休憩時間は終わりにして、鍛錬の続きをしましょうぞ!」


 ディロンの休憩時間を終える言葉によって、二人は鍛錬に戻るのであった。



 夜が更け、訓練を終えたライナスは、イアンと共にシャワーで汗を流した後、宿舎にある自室に戻ろうとしていた。疲労からか、二人の足取りは重い。


 宿舎に戻り、イアンと別れたライナスが自室の扉を開けた瞬間、ライナスは息を飲んだ。

 ​室内は、暖炉の火が落とされ、窓から差し込む月明かりだけが、中央の長椅子に座る人物を照らしていた。


​「お待ちしておりました、ライナス様」


 ​そこにいたのは、今夜のためにわざわざ豪華な薄絹のローブに着替え、いつものツインテールの髪を下ろしたゼルリナだった。彼女は長椅子から立ち上がり、ライナスに歩み寄る。その瞳には、どこか熱狂的な期待が宿っていた。


​「ゼ、ゼルリナ! な、なぜここに?」


 ライナスの顔は、急激に熱を帯びていく。


​「これから死地に赴かれますのに、どうして愛するわたくしと一夜を共にしてくれないのですか?」


 ゼルリナは甘く囁き、ライナスの胸板にそっと手を触れた。


​「わたくし、知っておりますわ。真実の愛の誓いとは、魂と肉体の全てを交わすことです。そうすれば、ライナス様の炎はより強くなり、魔王などすぐに打ち倒せますのに……」


 ​ゼルリナは、ライナスが信じる「騎士王の物語」のロマンスを逆手に取り、自分を「力を与えるヒロイン」として演じることで、ライナスを誘惑しようと考えたのだ。


 ​ライナスは、その誘惑に全身が燃え上がるような衝動に駆られた。しかし、彼は驚くほど生真面目で純情だった。


​「だ、駄目だ、ゼルリナ!」


 ライナスはかろうじて理性を保った。


​「婚前交渉は……騎士の道に反する! 私たちの愛は、魔王討伐の後、皆に祝福されて完成されなければならない!」


 ライナスの頭は、真実の愛の物語のシナリオでいっぱいだった。彼は、愛するヒロインを抱く前に、まずは魔王討伐という偉業を成し遂げなければならないと固く信じていた。

 ​ライナスは顔を真っ赤にして、ゼルリナの腕を外し、彼女を部屋から追い出そうと、勢いよく扉を開けた。


 ​開かれた扉の向こう側、その廊下には、ちょうど買い出しから戻ったばかりのレイリアとスージーが立っていた。


 ​ゼルリナは、扉が勢いよく開いたことで体勢を崩し、ライナスの胸にしなだれかかるような体勢になっていた。薄絹のローブ、乱れた髪。

 ​その光景は、ライナスがゼルリナを情熱的に抱き寄せているようにしか見えない。


 ​レイリアの顔から、一瞬で全ての表情が消えた。その瞳は氷のように冷たく、憤怒の色を帯びていた。彼女は手に持っていた荷物を音もなく床に置くと、腕を組み、静かに言葉を放った。


​「……随分と、熱心な鍛錬だったようですわね、ライナス王子」


 ​レイリアの声は、冷たすぎて殺意すら感じさせた。


 ​ライナスは完全にパニックに陥り、手をぶんぶん振って弁解しようとする。


「ち、違うんだレイリア! 誤解だ! ゼルリナが、その……!」


 ​しかし、横にいたスージーは、冷めた目でその状況を一瞥すると、淡々と、まるで今日の天気の話でもするような口調でライナスに忠告した。


​「ライナス様。そういうことは、もっと賢くやるものですよ。敵地へ赴く前に、愛する姫君と愛を確かめ合うのは結構ですが、人の目に触れるような場所で、無粋に騒ぎ立てるべきではありません」


 ​スージーは、ライナスの弁解を聞かず、その行為を「未熟な密会」と断じた。

 ​純情ゆえに、そして騎士道精神ゆえにゼルリナの誘惑を拒否したライナスは、誰にもその真実を知られず、「出陣前に目先の情欲に溺れた不謹慎な王子」として、最も信用する二人の女性(レイリアとスージー)に、決定的な誤解を与えたのだった。

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