最終話 沼った男の末路?

 やかんが湧いた音が、手狭なキッチンに響きました。


 コンロのつまみを回して、火を止めると、少しだけガスの臭いが鼻をつく。


 お湯をすぐに保温ポットに入れようとやかんを傾けると、少し手元が狂ってこぼれてしまいました。



「……あつい」



 すぐさま靴下を脱いだおかげか、ちょっとヒリヒリする程度で済みました。

 ですけど、気分は一気に冷めちゃいました。



「御手くん……」



 ふと寂しい気分になって、スマホの画面を光らせます。


 待ち受け画面には、はにかむ御手くんの顔写真。


 彼は今頃、どうしているのでしょうか。

 きっと安らかに眠っていますよね…………。



「あなたのことは忘れませんよ……」



 感傷に浸っている時間はありません。

 すぐに料理の準備を――



「何をやっているんだ、明麻絵」



 振り返ると、寝起きの男の姿。


 

「あ、御手くん、おはようございます♪」



 まあ、御手くんは元気ピンピンで生きているんですが。



「なんだ、朝食の準備中か。俺も手伝うぞ?」

「大丈夫ですよ。これも力を制御する練習ですから」

「そうか。困ったことがあれば呼んでくれ」

「はい。いつもありがとうございます」

「あと、ひとつお願いがあるんだが」



 珍しく御手くんの目が泳いでいますね。



「なぜ、下着にエプロンをつけているんだ?」



 あ、忘れてました。


 

「……えっと、その、面倒臭かったので」

「靴下を片方だけ履いているのは?」

「えっと、さっきお湯をちょっと零しちゃったので……」

「なぜ靴下だけ履いたんだ?」

「裸足でキッチンに立つのって少し不潔じゃないですか?」

「下着姿はいいのか?」

「それは、その……それぐらいはいいかなーって」

「…………まあ、俺としては眼福だからいいのだが」



 おや。意外な反応。

 御手くんは元々むっつりすけべなところがありましたけど、徐々に素直になってきたんでしょうか。


 せっかくなのでポーズをとって誘惑しようかと考えていると――



「ごしゅじーん」



 猫又がキッチンに入ってきました。



「ご飯はまだかにゃー」 

「ちょっと待っていてくださいね」

「早くしてほしいにゃー」

「はいはい。ワガママですねぇ」

「ご主人に似たんだにゃー」

「拾ってまだ一か月なのに、よく言いますよ、まったく」



 ちなみに、御手くんは猫又を見てちょっと怯えています。


 まあ、それも仕方がないですよね。

 この猫又は御手くんにとどめを刺そうとしていた猫又ですから。


 御手くんがわたしを助けにきてくれたあの日。


 御手くんを助けようと必死になるあまり、隠された力が目覚めてしまったみたいなんです。

 妖怪の総大将として、妖怪を従わせる力。


 それで猫又を従えて、御手くんを地上に送り、なんとか命を取り留めたという訳です。


 さて、こう考えているうちにも朝ごはんの準備が整いました。

 サラダと卵とお味噌汁。

 ザ・朝食といった感じです。


 味噌汁が少し余ったので、猫又のエサはにゃんこ飯でいいでしょう。


 御手くんに配膳を手伝ってもらって、食卓の準備は整って『いただきます』と手を合わせました。

 

 

「うまい」

「御手くん、いつもそれしか言わないですよね」

「実際にうまいのだから仕方がないだろ」

「御手くんと比べるとまだまだですけどね。出来が全然安定しなくて……」

「それもまた面白いからいいだろ」

「そうですか?」



 なんていうか、御手くんは丸くなったというか、少し子供っぽくなった気がするんですよね。

 わたしの居場所を捜索している過程で吹っ切れたそうなのですが、堅物の御手くんと子供の時の気弱な御手くんがいい感じにミックスされた感じで――。

 なんていうか、昔から好きなわたしとしては心にくるものがあります。



「明麻絵、もっと食べた方がいいんじゃないか?」

「せっかく痩せたんですから、なるべく維持したいんですけど」

「俺としては物足りないのだが」



 なんでしょんぼりした顔をしているんですか、この人は。


 

「最初は、太っているから興奮しないとか言われていたんですけどねー」

「仕方ないだろ。お前に性癖を曲げられたんだから。ちゃんと責任をとってくれ」

「はいはい。ちゃんと責任とってますよー」



 2人っきりでアパートに住んでいるのに、これ以上責任をどう取れというんでしょうね、この恋人は。

 

 ぬらりひょんのせいで島田家は倒壊し、地下には妖怪たちが掘った大空洞。

 さすがにもう住める場所ではありませんでした。


 そこで、今はアパートの一室を借りて、御手くんと同居中なんですが……なんていうか、これ、もう新婚みたいじゃないですか?


 御所さんは現在、ラブレター焼却事変で傷心旅行中。

 

 わたしのパパとママと言えば、こっちも旅行中。というよりパパの修行にママが付き添っている形です。

 ぬらりひょんに瞬殺されたことが相当悔しかったようです。

 毎日送られてくるメールをみるに、ちゃんとラブラブしているようなので、まだまだこの生活は続きそうです。


 いやー。

 いいですね、狭い部屋で2人暮らし。


 もう完全に甘々。

 ご飯はあ~んさせあったり、一緒のベッドに寝たり、ゲームしたり、宿題したりとか……。

 ……あぁ。

 最近は一緒にお風呂に入ったりもしてますね。


 御手くんはすごく恥ずかしそうにするんですが、わたしがお願いすると断れないみたいで、すごくかわいいです。


 正直、毎日が幸せです、はい。



「それじゃあ、そろそろ行くか」

「そうですね」



 登校するのも、随分と慣れてきました。


 わたしの力が暴走してしまうと、妖怪ハーレムができてしまうのでちょっと疲れるんですが、それでも青春って感じで楽しんでいます。


 さて、ちゃんと恋人らしく腕を組んで登校していた――のですが。



「…………ぁ」



 校門が開いていませんし、他に生徒が誰もいません。



「今日、創立記念日……」


 

 すっかり忘れてました……。



「ぷっ」

「ははははっ!」



 思わず、噴き出してしまいました。


 なんていうか、2人とも忘れるなんて面白いじゃないですか!

 まったくもって、この人とは相性ばっちりですね!


 それから、予定がなくなったわたしたちは適当にデートをすることにしました。


 カフェにいったり。

 服を見に行ったり。

 映画を見たり。

 こっそりキスしてみたり。


 一通り遊んで疲れたなー、って思った時に、御手くんが言いました。


 

「ちょっと休むのに、いいところがあるんだが」



 そして、御手くんに連れられてきたのは、人気のない公園でした。

 周囲に建物がなくて、風がよく通る草原。

 一瞬でもラブホかな? って思った自分をぶん殴りたい気分です。

 

 こういうところでカップルが何をするのかは決まっています。

 まあ、わたしたちは少し特殊ですけど。


 ひざ・・枕ではなく、はら・・枕。

 



「……やはり、少し物足りない」

「腹枕ソムリエですか、あなたは」

「俺以外にその称号にふさわしい男はいないだろ」

「確かにそうですね」



 まあ、腹枕を許容しているわたしも大概ですけどね。



「まったく。こんなところを誰かに見られたら、なんて思われるんでしょうね」

「いいだろ、別に」

「おや、世間体を気にしている御手くんとは思えない発言」

「世間体を気にすることは大事だ。だが、自分の気持ちより優先することじゃないだろ。最近、そう思うようになった」

「たしかにそうかもしれないですね」



 徐々に周囲が夕日に染まって、穏やかな風が御手くんの匂いを運んできました。



「御手くん、あの時はすみません」



 助けに来てくれたのに拒絶してしまった時のことは、今でも後悔しています。


 

「別に気にしていない。ぬらりひょんのせいだろ」

「確かにそうですね。でも、謝りたいんです」

「俺は気にしていないんだが」



 そう言われても、心配になってしまうんです。


 

「まだまだ謝りたいので、いつでも許してほしいです」

「ああ。一生言ってやる」

「……そう、ですか」



 一生。

 御手くんの口から出た2文字が、わたしの脳髄に染みわたって、思わずため息がもれました。


 それからは、ただただお互いの存在を感じるだけの時間。

 御手くんの吐息。

 御手くんのぬくもり。

 御手くんの鼓動。

 くっついている部分から、否応なく流れ込んでくる、相手の存在感。


 静かにしていると、頭の中に色んな思い出が浮かび上がってきます。


 幼い時に出会った時のこと。


 教室で不意に再会してしまったこと。


 島田家での日々。


 そして――

 ぬらりひょんにさらわれた後の、日々。


 死ぬかと思っていたし、地獄でした。

 座敷牢の臭いを思い出すだけでも辛くなって――



「ぐがぁっ」


 

 御手くんのいびきが聞こえて、ハッとしました。

 お腹の上の御手くんは完全に寝てしまったようです。


 こっそりと写真を撮ると、とても安らかな寝顔をしていて、嫌な思い出がふっと消えてきました。



「…………こういうので、いいんですよ」

 


 風が髪を撫で――

 草の揺れる音が耳をこそばゆく揺らし――

 夕日から流れてきた風が、肌の火照りを冷ましていく。


 思うんです。


 ああ。

 あの時、死ななくてよかった。

 

 この人がそばにいるお陰で、自然と頬が緩んで、顔がほころぶ。



 

 そう噛みしめられる時間のために、わたしは生きているんでしょうね。










 ——————————————————

 最後まで読んで頂き、ありがとうございました!(^^♪

 ここまで執筆をつづけられたのは、いつも読んでくださった皆様のおかげだと思っていますm(__)m


 堅物な男がぷにぷにな女に沼る過程のお話、これにて完結です

 (予想以上に重くなってしまいましたが!)


 もし、この作品が少しでもあなたの心に響きましたら、☆評価や♡応援・レビューなどをして頂けると嬉しいです。


 また、ちょっと序盤を修正したいので、それが終わり次第完結設定にする予定です。

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贅肉アンチの俺が、ぷにムチ透明少女に沼るまで ほづみエイサク @urusod

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